門真市門真神社 小路地車

皆さんこんにちは。

先日門真市では新元号奉祝曳行が行われ、見に行かれた方も多いかと思います。
門真市にはだんじりが多く存在していますが、だんじりを集めるイベントはやや消極的で、市制50周年記念パレード以来のことでした。
折角良い地車が沢山ある門真市ですから、是非今後もこのような機会が増えてくれたらなぁ…と思います。

さて、私は今回の新元号奉祝曳行には参加しないと事前に情報を手に入れ、前もって秋祭りに見に行っていた一台があります。
それが今回ご紹介する小路地車です。
この地車、何とも不思議な一台で、堺型地車に大阪型地車の屋根が乗せられています。
今回聞き取り調査を行いましたが、この地車の歴史をよくご存じの方は数年前にお亡くなりになられたとのことで…その全容を明らかにすることが出来ませんでした。
しかし、興味深いお話をいくつか伺うことができましたので、ご紹介したいと思います。

門真市門真神社 小路地車

◆地域詳細
宮入:門真神社
小屋所在地:神社に隣接
歴史:
當神社は創建の年月日は詳かならず元南宮中宮北宮の三社ありて当社はその中宮なり
門真荘が発展して一~四番村が形成せられ四番村の独立と共に元村の牛頭天皇を移して当社の創建となる
文禄三年(一五九四年)片桐東市且元が検地ありし際より社地四畝一歩を除地とせり
門真三番村は元真手御宿所に早くから産土神を有し黄梅寺がその宮寺と称せしも類中府禁令により之を拡大改築するを許されず依て三番村字宇治と仝小路は夫と分別してより近き神社に合併することとなり宇治は二番村の氏神に小路は四番村の当社に合祀せらる
(門真町誌)
門真神社の石碑より引用

◆地車詳細
形式:堺型
製造年:明治時代?
購入年:不明
大工:不明
彫刻:彫又一門・彫清一門
改修年:1980年(昭和55年)10月・1991年(平成3年)7月
改修大工:【彫忠】田中忠
改修彫刻:【彫忠】田中忠
歴史:?→門真市小路

有識者の話によると、江戸~明治の頃よりこの地に地車があったとされる。
昭和?の御大典の折に大阪市内方面?へ地車を貸し出したことがあるが、木製の車軸を折られてしまったので、代わりに路面電車の金属製の車軸に交換され、返却される。
高度成長期に祭礼が行われなくなったが、1980年(昭和55年)に彫忠にて4000万円かけて修理復活。解体時に銘等は出なかった。
また、1991年(平成3年)にも彫忠にて修理を行う。
改修前の彫刻は保管していたが、いつの間にか無くなってしまった。

村名が小路であるように村中は道が狭いが、現在の地車はかなり大型で、道の奥にある家まで行けないのが難点だと言う。
地車小屋は1963年(昭和38年)10月15日に神社横に移設される前は、村中の即念寺付近に存在していた。

姿見

左が前方、右が後方

背丈の高い地車です。

側面より

堺型の特徴である腰柱が8本の仕様です。
勾欄は大屋根側が擬宝珠・小屋根側が板勾欄になっています。

斜め前より

破風

大阪型の屋根です。猪飼野地車等に似ており、桁隠しがつきます。

鬼板

上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』

全て昭和の彫忠での改修で彫り変えられています。
気になる以前の獅子噛ですが、保管していたものの、行方が分からなくなってしまったようです。

箱棟

箱棟:『雲海』

懸魚

大屋根前方
懸魚:『楠公父子 櫻井の別れ』
桁隠し:『龍』

桁隠しは彫り変えられています。
大屋根後方・小屋根にオリジナルのものがついていることから、元より桁隠しは存在していたと思われます。
もしくは大屋根後方ものが元は前方についていたものである可能性もあります。

大屋根後方:『牡丹』

左側の物は木材の質感からオリジナルのように見えます。

小屋根
懸魚:『猿に鷲』
桁隠し:『猿』

枡組

出三斗組になっています。

車板・枡合・虹梁

大屋根前方
車板:『龍』

前方は車板・枡合を一体としています。

大屋根前方
虹梁:『牡丹・鶴』
持送り:『?・王子喬』

虹梁は二重になっています。

小屋根
車板:『唐獅子』
枡合:『唐獅子』

大屋根右面
枡合:『麒麟』
虹梁:『牡丹・鶴』
持送り:『鶴控仙人・琴高仙人』

小屋根右面
枡合:『麒麟』

大屋根左面
枡合:『麒麟』
虹梁:『牡丹・鶴』
持送り:『・黄安』

小屋根左面
枡合:『麒麟』

木鼻

上が右面、下が左面
木鼻:『唐獅子・牡丹』

柱巻き

全体像はこのようになっています。

柱巻き:『賤ケ岳の合戦』

板勾欄型の柱巻きの題材として採用例が多いです。
左の人物が羽柴秀吉、右の人物が佐久間玄蕃です。
玄蕃は元は金棒を持っていたと思われますが、欠け継ぎで刀に変えられています。

間仕切り

間仕切り:『一ノ谷合戦 鵯越の坂落とし』

脇障子

前方側:『五條大橋の出会い・吉野山合戦』

どちらも縦に長い部材の特徴と登場人物の立ち位置を活かした題材です。

後方側:『武者』

三枚板・角障子

全体像はこのような感じ。

三枚板

正面:『三国志?』

恐らく中国の題材と思われます。詳細は分かり次第追記します。

角障子(大)

後方側:『武者』
柱飾り:『昇龍・降龍』

立派な柱飾りが取り付けられています。本来この場所には摺出鼻があったと思われますが、それのホゾ穴隠しでしょうか。

他にもあるかもしれませんが、このようなパーツが取り付けられている地車は、何の偶然か同じ門真市の下三ツ島地車・門真市打越地車しか記憶にありません。
彫師が共通している訳でもなく…可能性があるとしたら住吉大佐が関係している?ただ、住吉大佐の地車も全てがこの仕様になっている訳ではないので、確証に欠けます。
何とも不思議な部分です。

参照:門真市打越地車

参照:門真市下三ツ島地車

前方側:『武者』

角障子が二つあるのもこの地車の不思議な点です。
外側に斜め45度を向いて取り付けられている大きな角障子は板勾欄住吉型によく見られる仕様。
妻側と並行に取り付けられている小さな角障子は擬宝珠勾欄堺型によく見られる仕様です。

角障子(小)

前方側:『武者』

後方側:『武者』

三枚板

右面:『三国志?』

左面:『 三国志?』

勾欄合・縁葛

前方
勾欄合:『唐子遊び』
縁葛:『?』

後方
板勾欄:『武者』
縁葛:『大蛇退治』

右面大屋根側
勾欄合:『唐子遊び』
縁葛:『天竺の斑足(ハンソク)王』

右面小屋根側
板勾欄:『武者 』
縁葛:『武者』

左面大屋根側
勾欄合:『唐子遊び』
縁葛:『?』

左面小屋根側
板勾欄:『武者』
縁葛:『?』

持送り

前方持送り:『牡丹に唐獅子』

平側先頭:『牡丹に唐獅子』

上が右面、下が左面
持送り:『牡丹に唐獅子』

土呂幕

前方:『樊噲(ハンカイ)の門破り』

火燈窓・閂タイプではなく、扉式。

後方:『武者』

右面:『武者』

左面:『武者』

旗台

旗台:『力神』

下勾欄

右面:『波濤に千鳥』

左面:『波濤に千鳥』

台木

台木:『波濤』

金具

①破風中央:『雲海に宝珠・左三つ巴紋』
②破風傾斜部:『昇龍』
③破風端部:『雲海』
④垂木先:『左三つ巴紋』
⑤脇障子兜桁:『左三つ巴紋』
⑥肩背棒先:『小路』の文字
⑦縁葛:『唐獅子』

要所

①②縁葛、大屋根と小屋根の切替部:謎の切れ目が入っている。
大屋根側の部材は端部処理として金物の取り付け代が用意されているが、小屋根側の部材は途中で切断されているように見える。
単純に寸法を縮小しただけか、あるいは元は段差勾欄であった可能性がある。

③台木:芯金は路面電車の車軸、ホゾは一枚。
④台木:綺麗な波濤の彫刻と少し凝った形状の先端になっています。

地車大工について

謎が多い小路地車ですが、各所の特徴から最も構造が近い地車は橿原市の小綱町地車と思われます。

◆共通点
①枡合、獣のみ別材で彫刻し、手前に張り出すように釘止めしている。
②虹梁持送りがつく。
③前方のみ丸柱、その他は角柱。
④小屋根側のみ板勾欄。
⑤段差勾欄。(小路地車も段差勾欄だったかのように縁葛に切れ目が入っている)
⑥土呂幕は1段。(虹梁を挟んで上下に彫刻が施されるタイプではない)
⑦前方土呂幕が扉式で、更に両サイドに彫刻がつく。
⑧下勾欄親柱の断面が八角形。
⑨一枚ホゾ、猫木先端に渦模様がつく。

◆共通となっているものもあるが、仕様が異なっているものもあるので、疑問となる箇所
⑩桁隠しがつく。(小路地車は彫り変えられているので、元からあった確証がない。元から無いのに付け加えたりはしないと思うが…)
⑪枡組の組み方が異なる。
⑫台輪の有無。(小路地車はあるのに、小綱町地車にはない。)
⑬柱巻きがつかない。
⑭縁葛、小路地車は全面に彫刻が施されているが、小綱町地車は分割して彫刻されている。
⑮勾欄持ちの形状は類似しているが、彫刻されている模様が異なる。
⑯角台木(小路地車は波濤形状)

いかがでしたでしょうか?共通点となっている箇所を見ると、かなり近い地車のように感じます。

余談ですが、もしこの二台が同じ大工の作だったとした場合。
・台輪の有無
・縁葛の彫刻の施し方
・台木先端の形状
は同じ大工であっても仕様が異なることがある。ということになります。

いかがでしたでしょうか?

門真市には珍しい堺型で、なかなか興味深い地車でした。
まだ見たことが無い方は是非、足を運んでみてはいかがでしょうか。

小路の皆様、貴重なお話ありがとうございました。

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