富田林市美具久留御魂神社 新堂地車

皆さんこんにちは。

個人的に夏祭り・秋祭り共、大体シーズンの2~3か月前位から祭りが恋しくなるのですが、何故か最近唄祭りが恋しくなっていますので、南河内の地車をご紹介しようと思います。

富田林市新堂は元・泉大津市宮本町の地車を所有していることで認知されている方も多いのではないかと思います。
濱八町の地車が南河内圏の石川型地車が主流の地域に嫁いだ例は2つあり、元町の先代地車が平成10年に羽曳野市尺度へ(現在は柏原市旭ヶ丘)、2年後の平成12年に宮本町の先代地車が富田林市新堂へと嫁いでいます。

元町先代・宮本町先代はいずれも折衷型・住吉型で、石川型の祭礼形態に合わせるには改造が必要でしたが、元町先代は嫁ぐ際に、宮本町先代は平成25年に石川型風へと大改造され、現地に合ったスタイルで今もなお活躍しています。

また、この地車は西だんじりや 下川安治郎最後の新調地車となっており、大変貴重な作品でもあります。

それではご覧ください。

富田林市美具久留御魂神社 新堂地車

◆地域詳細
宮入:美具久留御魂神社
小屋所在地:東高野街道沿い 若松郵便局付近
歴史:戦国期に見える村名。『興正寺御門跡兼帯所由緒書抜』より、本願寺一家衆の証秀上人指導の下、中野村・新堂村・毛人谷村・山中田村の庄屋株を持つ8人衆を中心に寺内町の建設が行われたことが記録されている。
文政11年の村明細帳によると、新堂村には大工組頭1・大工23がおり、大工村の1つとして中井主水の支配を受けていた。また、副業として籠細工が盛んであった。

◆地車詳細
形式:住吉型(石川型風改造)
製作年:1934年(昭和9年)
購入年:2000年(平成12年)
大工・彫刻:西だんじりや 下川安治郎・下川一栄
歴史:泉大津市宮本町→富田林市新堂

参考)
花内友樹 著 『泉大津濱八町地車禮讚』
角川書店 『角川日本地名大辞典 27 大阪府』

姿見

左が前方、右が後方。

平成25年に河合工務店にて、より石川型に近づけるための改修を受け、現在の姿見となりました。
旗飾りは当地では無い文化ですが、そのまま活用されています。

側面より

側面から見ると、特に腰周りの部分において背が高くなるように改造されていることがよく分かります。
背丈だけではなく、大屋根側の勾欄は平妻共に1マス足され、石川型特有の前方に張り出した勾欄が作られています。

改造前からそうでしたが、大屋根側と小屋根側で勾欄の高さが異なるのはこの地車の特徴の一つです。

斜め前より

上手く改造されており、これはこれで大変格好良いと思います。

斜め後より

破風

破風はオリジナルではなく、交換されています。植山工務店の破風でしょうか。

この地車は昭和59年に大改修を受け、大屋根において車板・枡合・懸魚の新調、枡組の追加が行われていますが、昔の写真を見ると、破風のみが改修された状態の写真がありましたので、破風だけは昭和59年より先に交換されているようです。

鬼板

上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』

特に目と口が大きく、迫力のある表情をしています。
一際破風に深く噛みついている小屋根の獅子噛からただならぬ気配を感じましたので、これまた昔の写真を見てみますと、どうやら現在小屋根にいる作品は元々大屋根前方に居たようです。

こんな顔の獅子噛がカチアイで迫って来たら恐ろしいですね。
理由は分かりませんが、宮本町時代末期には既に入れ替えられています。

懸魚・桁隠し

大屋根前方
懸魚:『那須与一扇の的』
桁隠し:『鷲』

昭和59年の改修で交換された作品で、松本幸規師の作です。

大屋根後方
懸魚:『雲海』
桁隠し:『雲海』

オリジナルが残っており、高さ方向が控え目の懸魚がいかにも住吉大佐製といった感じです。

小屋根
懸魚:『兎に鷲』
桁隠し:『鷲』

大抵は猿と鷲が掴み合っていることが多いですが、兎でした。
こちらも貴重なオリジナルです。

車板・枡合・虹梁

大屋根前方
車板:『?』
枡合:『素戔嗚尊八岐大蛇退治』
虹梁:『後藤又兵衛勇戦』

提灯でよく見えませんがこの題材のようです。

小屋根
車板:『家康幸村に追われる』

大坂夏の陣の一幕がここに表現されています。

枡合・虹梁

右面大屋根側
枡合:『日本武尊野火の難』
虹梁:『源義政鵺退治』

右面小屋根側
枡合:『牡丹に唐獅子』

大屋根側も元はこのような感じの枡合が取り付いていたと思われます。

左面大屋根側
枡合:『神武東征』
虹梁:『仁田四郎猪退治』

左右共枡合は神話、虹梁は退治モノになっています。

左面小屋根側
枡合:『牡丹に唐獅子』

木鼻

上が右面、下が左面
木鼻:『阿吽の唐獅子』

大屋根後方の木鼻は新調されていますが、背丈を上げたことにより必要となったものです。

脇障子上人形

脇障子上人形:『武者』

脇障子

脇障子:『武者』

車内虹梁

車内虹梁:『猩々』

三枚板

正面:『秀吉本陣佐久間の乱入』

柱巻き・三枚板・土呂幕問わず様々な箇所に彫刻される人気の題材です。
背景となる板を少しだけ奥へやり、手前に出人形を置いて立体的に表現されています。

実は宮本町先々代地車の三枚板も正面はこの題材で、もしかするとそれに合わせたのかな・・・?なんて考えたりしています。

右面:『天竺の斑足王』

正面・左面と戦国時代の題材ですが、右面は全然異なる題材です。
獅子が登場しているので、この題材には違いないだろうとは思いますが、何故右面だけこのようにしたのでしょうね。

左面:『加藤清正虎退治』

虎の首を蹴り落とそうとしています。

角障子

大脇:『武者』

摺出鼻

摺出鼻:『猿』

旗台

旗台:『牡丹』

彫りなおされた作品と思われます。

勾欄合・縁葛

前方
勾欄合:『二十四孝』
枡合:『太平記』

元々4マスでしたが、新堂に嫁ぐ際に5マスへと改造され、横幅を広げました。
縁葛をよく見ると、拡張の跡と閂が出ていた跡が残っています。

後方
勾欄合:『二十四孝』
枡合:『太平記』

右面大屋根側
勾欄合:『二十四孝』
枡合:『太平記』

平側も花鳥風月が1マス追加され、勾欄が前方に張り出すように石川型風の改造が施されています。

右面小屋根側
勾欄合:『二十四孝』
枡合:『太平記』

左面大屋根側
勾欄合:『二十四孝』
枡合:『太平記』

左面小屋根側
勾欄合:『二十四孝』
枡合:『太平記』

持送り

持送り:『山水草木』

土呂幕

前方:『新堂』の文字。

宮本町時代には『宮本町』と書かれており、それを引き継いだ形となります。
元は『山水草木』辺りだったのではないかと思いますが、カチアイ時に損傷したのだろうと思います。

右面:『豊臣軍記』

左面:『豊臣軍記』

台木

前方:『波濤に鯉』

右面:『波濤に鯉』

左面:『波濤に鯉』

金具

①破風中央:『雲海に宝珠』
②破風傾斜部:『昇龍』
③垂木先:『新』の文字。
④脇障子兜桁:『抱き菊の葉に菊紋』
⑤勾欄合:『唐草模様』
⑥縁葛端:『牡丹』

いかがでしたでしょうか。

オリジナルからは色々変更されている地車ではありますが、住吉生まれの作品だけあって独特のオーラをまとった魅力ある作品でした。
非常に格好良い地車ですので、これからも新堂の地で大切に曳行されて欲しいですね。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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