香取市佐原 諏訪神社 東関戸区幣台

皆さんこんにちは。

佐原の幣台について書きたい気持ちが高まり、再び記事を書いています。

東関戸区の幣台は飾り物の大楠公にあるように、彫刻も太平記で統一されている、との情報が一般的にあり、記事も書きやすいだろうと思っていたのですが、記事を書くにあたりじっくりと調べていったところ、実際はかなり難解な題材の彫刻が多い幣台でした。
それもこれも、町民の皆さんが凄い熱量をもって昭和10年の新調、完成に向けて度重なる彫刻の追加を行ってきたことによるもので、調べながらとても感動していました。

幣台本体が素晴らしいのは言うまでもないですが、お囃子を担当する東関戸連中の演奏も私は大変好きで、のの字廻しの際にはひしぎを早々に切り上げて相馬→八木節くずし→日光和楽と、テンポよく終始ハイテンションな曲を沢山披露してくれるところが好きです。

それではご覧ください。

香取市佐原 諏訪神社 東関戸区幣台

◆幣台詳細
①躯体
形式:佐原型
新調年:1935年(昭和10年)
大工:太田達四郎・和助 (八日市場区の大工棟梁)

②彫刻
彫刻製作年:1935年(昭和10年) / 1951年(昭和26年) / 2008年(平成20年) / 2012年(平成24年) / 2022年(令和4年)
彫刻師:金子光清 / 池田信之 / 北澤一京・秀太 / 北澤一京・秀太 / 菊池侊藍

③飾り物
題材:大楠公(楠木正成)
飾り物製作年:1935年(昭和10年)
人形師:大柴護豊

④額
文字:純正(じゅんせい)
意味:純粋で正しいこと
額製作年:1935年(昭和10年)
書家:荒木貞夫(陸軍大将)

◆下座連
東関戸連中

参考)
香取市ホームページ 山車の構造
https://www.city.katori.lg.jp/smph/sightseeing/matsuri/dashi/dashi_details.html

サイバー 大楠公新聞
http://edomasari.blog.shinobi.jp/

姿見

左が前方、右が後方。

佐原の幣台の構造は様々ありますが、東関戸区の幣台の構造は仲川岸区の幣台を参考にして製作され、四方正面(平側も妻側同様に方立が入る)となっているのが特徴です。

東関戸区の幣台は独特な艶のある色味をしていますが、これは拭漆を施工していることによるものです。

大天井

金物がなく、あっさりとした見た目をしています。

飾り物

大柴護豊師の作で、桜井の別れの場面での大楠公が表現されています。

佐原には大柴護豊師の作品が他にも存在し、上仲町区の太田道灌、下分区の小楠公がそれにあたります。

大変格好良い作品です。

何より地元に所縁のある武将が遠く離れた千葉の地でこれほどまでにクローズアップされて大切に想われていることが、驚き嬉しく思います。

扁額

金子光清師の作です。

平泉澄 著『建武中興の本義』にある一節、「純正日本精神」こそ大楠公に相応しいとのことで、この文字を選ばれたのだそう。

格天井彫刻

前方:『龍十八態』

菊池侊藍師の作です。
令和4年に新調されたばかりの彫刻で、十八態の内訳は1~12月・阿吽・日月星辰となっています。

左から星(若龍・陽)、(12月)山眠、雄龍(阿形)、(1月)雪起、辰(若龍・陰)の順になっていますので、前方正面の阿形の龍からスタートして幣台の左面側へ向かって進むと順番通りに見れるようになっています。

作品の向きは菊池侊藍師のホームページを参照したところ、幣台の中心側が下側になるように配置されており、四隅の作品は妻側が勝ちとなるように配置されていました。

前方:『龍十八態』

星(若龍・陽)、(12月)山眠
雄龍(阿形)
(1月)雪起、辰(若龍・陰)

左面:『龍十八態』

左から(2月)春光、(3月)登天、(4月)花曇、(5月)卯浪の順です。

左面:『龍十八態』

(2月)春光、(3月)登天
(4月)花曇、(5月)卯浪

後方:『龍十八態』

左から日(応龍・陽)、(6月)青嵐、雌龍(吽形)、(7月)遠雷、月(応龍・陰)の順です。

後方:『龍十八態』

日(応龍・陽)、(6月)青嵐
雌龍(吽形)
(7月)遠雷、月(応龍・陰)

右面:『龍十八態』

左から(8月)炎天、(9月)潜淵、(10月)天高、(11月)空風の順です。

右面:『龍十八態』

(8月)炎天、(9月)潜淵
(10月)天高、(11月)空風

欄間・方立・蕨手・胴羽目

前方全景です。

扁額・前方欄間・前方方立・蕨手・持送りは金子光清師の作です。

欄間・方立・下高欄

後方全景です。

後方欄間・後方方立・下高欄は池田信之師の作です。

欄間

前方:『村上義光 錦旗奪還』

金子光清師の作です。

後方:『後醍醐天皇を迎える楠木正成』

池田信之師の作です。

迎える・見送るの2説あるようです。
使いの者がこちらを向いているので、どちらかと言えば迎えているような気はします。

右面:『梶原景季 箙の梅』

右面:『梶原景季 箙の梅』

少し時代は戻って源平合戦より題材を得ています。
東関戸区の彫刻の題材は『太平記』と言われていますが、全ての彫刻が太平記という訳では無いようです。

左面:『巴御前の勇姿』

左面:『巴御前の勇姿』

左面も右面と同様、源平合戦からの題材です。

玉簾

大楠公の家紋である菊水紋がデザインされています。

方立

前方:『後醍醐天皇 隠岐より帰る・新田義貞 稲村ヶ崎投剣の場』

金子光清師の作です。

稲村ヶ崎は有名な場面でお馴染みですね、周囲の風景の精巧さが目を見張ります。
『後醍醐天皇 隠岐より帰る』は背負って船上山に向かうシーンが描かれがちですが、これは背負う前に名和湊で迎える場面と云われています。

後方:『児島高徳 桜樹に書する・楠木正行 如意輪堂の場』

左右とも詩を書く場面で統一されています。
如意輪堂の場の楠木正行は下分区の大人形にも表現されています。

右面前方:『以津真天・妻鹿孫三郎長宗』

妻鹿孫三郎長宗は怪力の持ち主で、相撲では敵無しだったとのこと。
その怪力で武者を投げ飛ばす様子と、それを見て恐れる雑兵の姿が彫刻されています。

以津真天は建武元年に現れた鳥の怪異で「いつまで」と鳴くことからこの名前がついたと云われ、弓の名手であった隠岐次郎左衛門廣有が退治しました。
間口を挟んで前後でセットになっています。

右面後方:『?・隠岐次郎左衛門廣有』

太平記には間違いないのですが、右面後方は題材の銘板が見つからず、題材が読み解けませんでした。

左面前方:『篠塚伊賀守重廣・阿新丸』

篠塚伊賀守重廣は新田四天王の一人で怪力の持ち主で、籠城していた世田城から隠岐へ向かう際に敵が乗り捨てた船に泳いで飛び乗り、20人余りでなければ引き上げられない錨を1人で引き上げ、約20mもある帆立を軽々と立ててしまう場面が彫刻されています。
篠塚伊賀守の怪力っぷりに驚く水主も良い表情をしています。

左面後方:『阿新丸・栗生左衛門頼方』

阿新丸は父の仇討ちを行い、佐渡から脱出する場面が彫刻されています。

栗生左衛門頼方は新田四天王の一人で、彫刻されているのは天竜川を渡る際に川に落ちてしまった馬と舎人を助ける場面です。

擬宝珠

菊水紋の下を立体的な菊の葉が囲うようなデザインになっています。

蕨手

蕨手:『新羅三郎義光 豊原時秋に笙の秘曲を伝授する』

金子光清師の作です。
これも太平記とはまた異なる題材です。

下高欄

後方右側:『?』

家紋から新田義貞ではありそうですが、何を示した場面なのかは分かりませんでした。

後方左側:『?』

こちらも特徴ある場面なので、分かりそうだと思ったのですが、調べてもなかなかヒットせず・・・
池田信之師の作です。

右面前方:『菊池武光 太刀を洗う』

筑後川の戦いに勝利した菊池武光が小川で太刀を洗う場面が彫刻されています。
福岡県大刀洗町の町名はこの故事に由来します。

右面後方:『?』

左面前方:『桜井の別れ』

太平記と言えば必ず彫刻される名場面は左面前方にありました。

左面後方:『花山院師賢』

後醍醐天皇の側近の人物です。
幕府軍を欺くために身代わりとなって比叡山に籠り、その隙に後醍醐天皇は笠置山へ逃れました。

胴羽目・持送り

前方全景

後方全景

胴羽目

前方:『花鳥風月』

右面:『波濤に亀』

左面:『波濤に亀』

胴羽目は2012年(平成24年)に新調されました。
題材は1935年(昭和10年)の金子光清師の作品に合わせたものになっています。

持送り

前方:『波濤に亀』

写実的で波の彫刻も素晴らしく、動き出してしまうのではないかと思えるほどの見事な彫刻です。
金子光清師の作です。

後方:『波濤に亀』

右面(中・前):『波濤に亀』

右面(後・中):『波濤に亀』

金子光清師の銘。

池田信之師の銘

菊池侊藍師の銘。

いかがでしたでしょうか。

もう他に彫刻を施すスペースが見当たりませんので、これで東関戸区の幣台は完全に完成といったところでしょうか?
格天井彫刻お披露目のポスターには完全完成といった文字は見当たりませんでしたが、どうなんでしょうね。

いずれにせよ、現在の東関戸区の幣台が最高の状態に仕上がっているのは間違いありませんので、是非注目して見てみてください。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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