東大阪市産土神社 東楠風荘地車

皆さんこんにちは。

記事修復第二段として東楠風荘地車の記事を再度編集しましたので、アップいたします。

記事タイトルは東楠風荘地車としておりますが、画像は市町西所有時代に撮影したものを使用していますので、最新のものとは状況が異なりますことをお許しください。

それではご覧ください。

東大阪市産土神社 東楠風荘地車

◆地域詳細
宮入:産土神社
小屋所在地:鴻池児童遊園内

◆地車詳細
形式:板勾欄出人形型
製作年:江戸末期~明治13年以前
購入年:2019年(令和元年)
大工:不明
彫刻:彫又一門
歴史:
堺市黒山(?~明治37年)
→堺市上之(明治37年~平成3年)
→河内長野市市町西(平成3年~令和元年)
→東大阪市東楠風荘(令和元年~)

◆修理履歴
・明治13年9月 住吉大佐 費用335円
・明治30~31年 住吉大佐
・昭和56年 彫忠 費用1400万円
・平成12年 池内工務店 洗い、肩背棒交換、後輪ブレーキ廃止

考)
地車の歴史について
山車・だんじり悉皆調査 http://www5a.biglobe.ne.jp/~iwanee/

姿見

左が前方、右が後方

板勾欄型の中で背丈は高い方ではないでしょうか。
市町西時代はぶんまわしのために長い肩背棒が使われていましたが、東楠風荘に嫁ぐにあたり、通常の長さにカットされました。

側面より

背丈は高いですが、車長は短めなので、よりのっぽ加減が際立ちます。
大屋根と小屋根の段差は大きめで、勾欄は擬宝珠と板勾欄の二重ですが、虹梁は構造体のみです。

破風

高低差が控えめで、平たい形状です。
破風は交換されていますが、葺地はオリジナルかと思います。

枡組

珍しいのが下地車のような桁鼻の存在で、他では見かけません。

鬼板

上から
大屋根前方:『青龍』
大屋根後方:『虎』
小屋根:『獅子噛』

東楠風荘に嫁ぐ際、獅子噛が大屋根前方へ移動しました。
獅子噛はまさしく彫又一門といった感じの表情で、青龍は大阪市塚本地車のものとよく似ています。

懸魚

大屋根前方:『鷲』

大屋根後方:『雲海』

小屋根:『雲海』

シンプルに雲海のみですが、かえって良い雰囲気を醸し出しています。

車板・枡合

大屋根前方
車板:『?』
枡合:『松に鷹』

神額はありません。

小屋根
枡合:『松に鷹』

右面大屋根側
枡合:『松に鷹』

構造虹梁の雲海模様は渦が4つで、和歌山県妻地車・大阪市生野八坂神社地車と共通です。

右面小屋根側
枡合:『松に鷹』

左面大屋根側
枡合:『松に鷹』

左面小屋根側
枡合:『松に鷹』

唐獅子等はなく、全て鷹で統一です。

木鼻

上が右面、下が左面
木鼻:『阿吽の唐獅子』

全部で10体あります。大屋根と小屋根の段差が大きいので、段差境の部分もしっかりと全身彫刻されています。

柱巻き・板勾欄

まずは全景から。

柱巻き

柱巻き:『昇龍・降龍』

柱巻きが龍だけというのも妻地車・生野八坂神社地車と共通です。

出人形:『源義経』

昭和56年の修理で新たに追加された出人形ですが、東楠風荘へ嫁ぐ際に取り外されています。
過去の写真で高石市綾井先代に同じものが取り付けられているのを見た記憶がありますが、何らかの経緯でこの地車に取り付けられたと思われます。

板勾欄

前方:『敦盛呼び戻す熊谷次郎直実』

大変格好良い場面です。熊谷次郎直実は元々扇を持っていたと思われますが、今は何も持っていません。

右面:『五條大橋の出会い』

右の人物は牛若丸で、左は弁慶で良いかと思いますが、あまり弁慶らしさはありません。
顔をつけ間違えたかと思い他所を見ましたが、その様子もありません。

左面:『源平合戦』

特にこれと言った場面性は読み取れませんでした。

天蓋

天蓋:『格子』

格子で彫刻はありません。

花戸口虹梁

花戸口虹梁:『竹に虎』

東楠風荘では大太鼓を積むために取り外されました。

脇障子

脇障子:『武者』

住吉大佐では馴染みのある舞台タイプでは無い仕様です。

三枚板

正面:『大巳貴命鷲退治』

三枚板はいずれも日本の題材で退治モノが採用されました。

鷲の羽根が角障子からはみ出る程大きく彫刻されています。大迫力の作品です。

住吉大佐の銘などはこの辺りに取り付けられていることが多いですが、この地車にはありませんでした。

右面:『鬼若丸鯉退治』

場面に応じて手前の板勾欄もしっかりと使い分けられています。

左面:『雄略天皇猪退治』

この地車が生まれた時期が古いとして、当時の板勾欄型の三枚板はまだ中国系の題材の採用が多かったのではないかと思いますが、こうして彫刻されているということはこれらの題材の下絵が完成していたということになります。

明確なことは分かりませんが、同じ題材を持つ河内長野市向野地車や河内長野市千代田石坂地車と比べると、日本系の題材が採用された中では先発組にあたるように見えます。

角障子

角障子:『武者』

摺出鼻

摺出鼻:『松』

飛獅子が取り付けられているのが特徴です。
あった方がより豪華に見えます。

旗元

旗元:『鶴』

旗元彫刻がしっかり残っているのも珍しいです。

旗台

旗台:『力神』

後方妻台には後輪ブレーキの跡も。

持送り

前方:『山水草木』

後方:『波濤』

珍しく後方にも持送りがつきます。

貫腕

切断されていますが、オリジナルが残っています。
下側に抜ける渦は住吉大佐が関わった地車で見られるものです。

土呂幕

前方:『山水草木』

扉式で、彫り替えられています。

後方:『武者』

右面
大屋根側:『武者』
小屋根側:『武者』

左面
大屋根側:『武者』
小屋根側:『武者』

特にこれといった場面性はなさそうです。

下勾欄・台木

前方

引綱環は二つ取りつきます。

右面
下勾欄:『波濤』
台木:『波濤に鯉』

左面
下勾欄:『波濤』
台木:『波濤に鯉』

台木はオリジナルですが、止めホゾになっていません。

金具

①破風中央:『唐草模様』
②破風傾斜部・端部:『唐草模様』
③垂木先:『左三つ巴紋』
④台輪先:『花角紋』
⑤縁葛端部:『唐草模様』
⑥肩背棒先:『市西』の文字。

いかがでしたでしょうか。

銘等が出ていないため、大工など製作当時の情報が不明ですが、古い作品であることは間違いなく、現役で活躍している姿は大変貴重なものであります。

各地を転々と活躍しているため、私の中のこの地車の印象は上之地車であり市町西地車でもありますが、暫く経てば東楠風荘地車として徐々に定着してゆくことでしょう。
とにかくこの地車がまだ活躍してくれる場所が決まったことには一安心しました。

東楠風荘で活躍している姿もいつか見に行きたいと思います。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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