東大阪市産土神社 新庄地車

皆さんこんにちは。

秋祭りが終わり、年内のイベントは年越しカウントダウンを残すのみといったところでしょうか。
見るものが少なくなれば、まとめる方に気持ちが向くもので、今年撮った写真の総まとめをする前に図鑑の方にいくつか記事を書いておきたいと考えています。

今回ご紹介致しますのは、以前地車巡行記録にも掲載させて頂きました、東大阪市新庄地車です。
私の好きな板勾欄型地車で、ネットにもあまり詳しい写真が載っていないものですから、以前より見たいと思っていた一台です。

それでは、ご覧ください。

東大阪市産土神社 新庄地車

◆地域詳細
宮入:産土神社
小屋所在地:浄円寺より、新庄南と境の道を南東方向に行ったところ。
歴史:宝永3年(1706)9月、鴻池新田会所の造営と並行して会所の周濠外側に天照大神を勧請して神社(神明社)が造営されました。
翌年4月に会所内の現在朝日社の場所に社が写され、明治時代まで宮座制により維持管理されました。
この産土神社はもと鴻池新田の氏神でしたが、明治40年に新庄の皇太神社(祭神は天照大神)、三島の三島神社(祭神は大国主大神)を合祀し、昭和10年4月、五箇井路南側の現在地に新しく社殿を建てて移転しました。
現在、産土神社の祭神は、伊勢皇太神宮内宮にまつられ天津神ともいう天照大神と出雲大社にまつられ国津神ともいう大国主大神の2神であり、いっぽう会所内の朝日社には新田の開発者である鴻池善右衛門宗村をまつり、鴻池家の神社となっています。
境内には寛政十三年(1801)銘の鳥居が東側入口に、安政四年(1857)銘の鳥居が正面にあるほか、拝殿前に寛政三年(1791)銘を竿に刻む高さ2.2mの燈籠一対と文化十四年(1817)銘の台座をもつ花崗岩製の狛犬一対があり、文化二年(1805)銘の手水鉢も残されています。
平成16年10月 東大阪市

引用)
産土神社境内の掲示より

◆地車詳細
形式:板勾欄出人形住吉型
製作年:明治20年頃?
購入年:昭和14年春頃
大工:住吉方面の大工?
彫刻:【彫又】一門
改修大工:【彫忠】田中忠
改修彫刻:【彫忠】田中忠
歴史:?→岸和田市作才の古物商 『氏原』→東大阪市新庄

◆歴代新庄地車
明治時代に北の村と南の村に分かれ、それぞれ地車を保有。祭の時によく争いがおこるため、時の村長の「一台にせよ」との命令で、大正時代に南の村、後に北の村も売却する。
・先代(二代目):大正時代に流行した屋台地車。
・現地車(三代目):若衆の一存で昭和14年春頃に購入。堺の木管製作所宮脇氏の紹介で、岸和田市作才の古物商『氏原』より、売りに出ていた五台の地車の内の一台を購入。

参考)
購入年・地車の歴史・歴代新庄地車について
郷土文化財大阪地車研究会『祭に生きる大阪のだんじり』

姿見

左が前方、右が後方

後方は破風に手が加えられていたり見慣れない獅子噛のため、独特な印象。

側面より

脇障子やその兜桁・擬宝珠勾欄を除けば、オリジナルに近い雰囲気が保たれています。
太鼓の積載など何かと不便なことはあるかもしれませんが、板勾欄が健在である点が嬉しいです。

斜め前より

昼間でも大きな提灯群を前方に取り付けていることが多いので、貴重な瞬間を撮影出来たかもしれません。

破風

大屋根前方

浅い勾配で、中央で二分出来る葺地・桁隠しがつかない点は板勾欄型らしいですが、オリジナルではなさそうです。
葺地そのままに破風だけ交換しているのかな?飾りつけでよく分かりません。

懸魚

大屋根前方:『松に鷲』

大屋根前方のみで、大屋根後方・小屋根は取り外されていました。

鬼板

上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』

大屋根前方はこのタイプの板勾欄型ではお馴染みの彫又の獅子噛ですが、後方は見慣れない顔です。
昔の写真では大屋根後方のものが前方に来ていたので、入れ替えが発生しているようです。
可能性としては先代地車関連のような気もしますが、真相はいかに?

車板・枡合・虹梁

大屋根前方
車板:『青龍』
枡合:『牡丹に唐獅子』
虹梁:『青龍』

車板の青龍は元は飾目であった部品でしょう。同様の例を見たことがあります。
台輪・虹梁は交換。二重虹梁→虹梁へと変更されています。

車板・枡合

小屋根
車板:『青龍』
枡合:『牡丹に唐獅子』

車板は前方同様、別の場所から移設してきたものと思われます。
切断跡・部材寸法から察するに元は虹梁の部材でしょうか?

枡合・虹梁

右面です。上から
大屋根枡合:『唐獅子』
大屋根虹梁:『青龍』
小屋根枡合:『唐獅子』

左面です。上から
大屋根枡合:『唐獅子』
大屋根虹梁:『青龍』
小屋根枡合:『牡丹に唐獅子』

枡合はどれもオリジナルの彫刻がそのまま残っているようです。
虹梁が交換された理由は分かりませんが、欠損していたか、大太鼓を積載する際につっかえるので交換したと思われます。

木鼻

上が右面、下が左面。
木鼻:『阿吽の唐獅子』

大屋根と小屋根の境目ものも健在で、全部で10体あります。

柱巻き・板勾欄

柱巻き

柱巻き:『大己貴命大鷲退治』

鷲の方には猿が一緒にいますね。三枚板にある場合とは異なる表現が面白いです。

板勾欄

前方:『武者』

擬宝珠付きの親柱が端にあります。

右面:『龍・武者』

左面:『虎・武者』

左右で龍・虎の異なるデザイン。松原神社地車・鶴山台地車と似ています。
縁板は後から追加されたものと思われます。

脇障子

左が右面、右が左面。
脇障子:『牡丹に唐獅子』

立派な唐獅子が彫刻されていますが、これもオリジナルでは無い仕様です。

花戸口虹梁

花戸口虹梁:『龍』

猩々などが来る場所ですが、二体の龍がいます。
柱サイドは少し切断されているようです。

三枚板

正面:『漢の高祖龍退治』

板勾欄型地車の正面三枚板では定番の題材ですが、格好いいですね。
見飽きません。

右面:『龍退治』

正面と同じでまた大蛇退治?龍退治?の彫刻が施されていました。
しかも顔は左面の雄略天皇とあまり変わらない感じです。謎ですね。

左面:『雄略天皇猪退治』

左面はこの題材しかあり得ないのでこれで良いでしょう。
左右ですが、本来は柱間に背景となる彫刻の板を取り付け+出人形を床に挿して表現されるのですが、この地車は背景となる板に出人形をそのままくっつけて取り付けられています。

角障子

左が左面、右が右面。
角障子:『武者』

摺出鼻

上から右面、左面。
摺出鼻:『松』

かなり大きめの部材で、力強い松の幹が彫刻されています。

旗元の上部に飛獅子がいます。

ある地車とない地車がいますが、ある方が高級感があって良いですね。

旗元・旗台

旗元:『球取り獅子』
旗台:『力神』

持送り

左が左面、右が右面。
持送り:『山水草木』

土呂幕

前方:『武者』
後方:『?』

扉式である点は引き継がれていますが、彫刻は彫り換えられています。
後方は配線でよく見えず。

右面です。上から
大屋根側:『武者』
小屋根側:『武者』

左面です。上から
大屋根側:『武者』
小屋根側:『武者』

どれも欠損がなく、状態が良いです。

下勾欄・台木

上から右面、左面。
下勾欄:『波濤』
台木:『波濤に鯉』

下勾欄に兎はいませんでした。
台木はオリジナルらしい波模様が彫刻されているのですが、下勾欄との木の色合いの違いや二枚ホゾである点を見ていると、どうもオリジナルではないような気がします。

余談ではありますが、板勾欄型では河内長野市市町西地車が同様に、二枚ホゾで台木に鯉の彫刻があります。

金具

①破風中央:『雲海に宝珠』
②破風勾配部:『昇竜・唐獅子』
③垂木先:『左三つ巴』
④縁葛中央:『唐獅子』
⑤後方勾欄親柱:『牡丹』
⑥肩背棒先:新庄の文字。
⑦猫木

要所

①大屋根枡組:修理の際に交換されています。平側・妻側に実肘木がそれぞれ2本ずつ出るのが特徴。
②小屋根枡組
③車内:お囃子は大太鼓・小太鼓・摺鉦それぞれ1つずつで構成。大太鼓は新調されたばかりです。
④肩背棒:前方に少し長めです。
⑤持送り:新しい部材に置き換えられています。
⑥台木端:止めホゾではなく、二枚ホゾ。
⑦ブレーキ:ブレーキペダルは肩背棒の上に作られた舞台の穴に続いています。
⑧ブレーキ:新庄に嫁いでから取り付けられたのでしょうか?しっかり安全対策をされています。

いかがでしたでしょうか。

躯体の部材が多く交換されているため、他の地車との比較が困難ですが、彫刻は新調当時のものが欠損少ない状態で存在している地車でした。
さて、数年前よりこぞって板勾欄型地車を見物してきた私ですが…まだ見ることが出来ていないものは、曳行休止となっているものを除き、あと2台となりました。
かなりゆっくりなペースではありますが、来年こそはコンプリートしたいものですね。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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