大阪市生野区生野神社 生野神社地車

皆さんこんにちは。

暫く地車の記事を書けずにいましたが、その間に地車in大阪城も終わり、すっかりシーズンオフに突入してしまいましたね・・・

さて、大阪市内には銘車と呼ばれる作品が幾つか存在していますが、地車in大阪城のようにイベント事では見ることが出来ない作品が存在しています。
理由は明快で、神社の行事を行うために結成される『講』の一つである『地車講』として地車を所有している場合は、神社の行事以外のイベント事で地車を曳き出すことは本来の目的とは異なってしまうため、そのような事は行わないとするのが通例です。(例えば大阪天満宮・野田恵美須神社・都島神社などの地車は、地車講としての地車です。)

今回記事にしている生野神社地車が、生野まつりや地車in大阪城等に登場しないのも、同様の理由ですね。

地車講について解説した所で、時よりこの地車のことを生野神社が鎮座している地名の『舎利寺』と呼称している方を見かけますが、それはあくまでも過去に当地に存在した(現在は解体保存されている)地車のことであり、生野神社の地車講として平成22年に発足して曳行を行っている現在の地車とは全く別のものとして当サイトでは取り上げるように心がけています。

いつも通り、前書きが長くなりましたが、言わずと知れた銘車のご紹介です。

それではご覧ください。

大阪市生野区生野神社 生野神社地車

◆地域詳細
宮入:生野神社
小屋所在地:神社境内
歴史:神社がある舎利寺の地名は黄檗宗万福寺末舎利尊勝寺の寺名にちなむ。
(江戸~明治22年)摂津国東成郡舎利寺村→(明治22年~大正14年)生野村舎利寺→(大正14年~昭和48年)東成区舎利寺町→(昭和48年~)生野区舎利寺

◆地車詳細
形式:折衷型
製作年:1932年 (昭和7年)
購入年:2015年 (平成27年)
大工:【大宗】植山宗一郎
彫刻:吉岡義峰 (助として、木下舜次郎・松田正幸・森曲江・田沼源治・浅野某など多数)
歴史:堺市野田→大阪市生野神社

◆歴代生野神社地車
・先代(初代)
堺型。購入時に河合工務店で改修し、廃絶となった深江新家地車の彫刻の一部を取り付ける。
平成22年~平成27年まで曳行され、柏原市上市へ。
・2代目(現地車)
折衷型。堺市野田より購入。

参考)
地域の歴史について
角川書店 『角川日本地名大辞典 27 大阪府』

姿見

左が前方、右が後方。

野田時代の印象が強いものですから、懐かしい~といった感情がどうしても先に出てきますね。
活躍する場所は変われど、ゴツさと貫禄は健在です。

野田時代は彫刻保護のため多くの部分が金網で覆われており、金綱も小屋根側まで回していたのが特徴的でしたが、穏やかな曳行スタイルとなった現在は金網も外されており、彫刻が見やすくなっています。

側面より

製作から90年以上経ち、言っている間にもう100年を迎えようとしていますが、近年製作される折衷型と大きな違いは見られません。
それ程に完璧で時代を先取りしたものを作り上げた、ということですね。

折衷型を生み出した植山宗一郎棟梁の功績は素晴らしいものです。

斜め前より。

この地車は、折衷型第1号として製作された元・泉大津市田中町地車(現・松原市河合地車)に続く、第2号の作品にあたります。
製作にあたり「田中町を見本としてサイズを少し小さくすること」が条件だった、との話が残っています。

斜め後より。

田中町を見本とはありますが、差異はそれなりにあります。

田中町の小屋根下は岸和田型の要素である立体彫刻の見送りであることに対し、この地車は上地車由来の三枚板形式。
逆に、田中町の土呂幕が上地車由来の平面的なものかつ下勾欄を有していることに対し、この地車は岸和田型の要素である立体彫刻の土呂幕となっています。

破風

大屋根・小屋根共、切妻型です。

破風の形状も差異があり、田中町は小屋根が入母屋型ですが、この地車は小屋根も切妻型の従来の上地車らしい仕様になっています。

隅出

隅出:『唐獅子』

段数・手先が分かるような写真の撮り方をしていませんでした、ちょっと後悔・・・

鬼板

大屋根前方:『獅子噛』

お待ちかね、やはりこの地車で一番注目するべきは獅子噛で間違いないですね。
贔屓なことはあまり書かないようにしているのですが、やはりこれ以上の作品は無いと思います。

見る角度によって様々な表情を見せてくれるので、今回は特別に各面毎に撮影角度を変えた複数の写真を用いてご紹介します。皆さんはどの角度が好きでしょうか?

大屋根後方:『獅子噛』

獅子噛は横浜の浅野(某)師の作であると、以前当サイトにコメントをくださった方よりご教示いただきました。
浅野師は岸和田市中井町地車(現・堺市栂地車)の土呂幕も手掛けられている彫刻師さんです。

小屋根:『獅子噛』

遠くからも見て分かる怒った目・・・かなり下を向いているので、真下から覗き込まなければ目が合いません。
野田時代はこの目が合わないゴツゴツした獅子噛が高速で迫ってくるので、それはもう凄い迫力でした。

懸魚・桁隠し

大屋根前方
懸魚:『天乃岩戸』
桁隠し:『阿吽の龍』

懸魚はいずれも神話から題材を得ています。
上地車が懸魚に神話等、獣以外の題材を採用するようになった流れは住吉大佐が作ったと思われますが、昭和に入り、それらはより精巧で豪華なものへと進化していきます。

小屋根
懸魚:『素盞嗚尊八岐大蛇退治』
桁隠し:『阿吽の龍』

車板・枡合・虹梁

大屋根前方
車板:『猿に鷲』
虹梁:『鶴岡八幡宮放生会』

車板の猿に鷲は田中町と同じ仕様ですね。

小屋根
車板:『珠取龍』

こちらも立体感が半端ない作品となっています。

枡合・虹梁

右面大屋根側
枡合:『後醍醐天皇壱岐より帰る』
虹梁:『安宅の関』

屋根周りは平安末期〜室町初期の題材で固められています。

右面小屋根側
枡合:『義経八艘跳び』

左面大屋根側
枡合:『桜井の別れ』
虹梁:『新田四郎の猪退治』

虹梁は金綱で見えにくかったですが、この面だけはよく見えました。
素人目の私にも分かりやすい淡路彫りの作品です。

様々な方面で幾度となく言われていますが、やはり屋根周りは木下舜次郎氏の手が入っているように見えます。

左面小屋根側
枡合:『稲村ヶ崎投剣の場』

木鼻

上が右面、下が左面
木鼻:『阿吽の唐獅子』

大屋根前柱は半身、後柱は全身の唐獅子。
珠・牡丹・子獅子・軍配等、様々な物を持っています。

水引幕

水引幕:『五瓜に唐花紋・左三つ巴紋』

新しいしっかりとした刺繍の幕をつけていました。
野田時代は赤のイメージカラーでしたが、青も爽やかで似合います。

車内虹梁

車内虹梁:『宝珠を掴む青龍』

脇障子

脇障子:『一の谷合戦』

愛馬三日月を背負う畠山重忠が彫刻されています。

三枚板・角障子

まずは全景から。

三枚板は全て賤ヶ岳の合戦で統一されています。

正面三枚板:『秀吉本陣佐久間の乱入』

板勾欄型の柱巻きに採用される等、昔から上地車の定番の題材でした。
奥行きをしっかりと持たせて6人もの登場人物を1枚におさめています。

ほぼ同時期に同じ大工・彫刻師で製作された熊取町大宮地車とよく似た構図の作品となっていますが、土呂幕よりも三枚板の方がスペースに余裕があるため、奥の人物まで大きくよく見えるように彫刻されています。

正面角障子:『秀吉本陣佐久間の乱入』

雪洞で見えにくいですが、馬の躍動感に組み討ちの様子、大変素晴らしい作品です。

別の角度から。

慌てながらも抵抗を試みる雑兵の姿が良い味を出しています。

口を一文字に噤んで睨みつける鬼玄蕃。

果敢に槍で迎え討つ武者。

右面三枚板:『中川清秀の最期』

中川清秀は豊臣方の猛将ですが、賤ヶ岳の合戦で佐久間玄蕃に討ち取られます。

右面脇障子・角障子:『中川清秀の最期』

下から槍で思いっきり突き刺そうとする武者。
大変躍動感のあるポージングです。

左面三枚板:『福島市松 拝郷五左衛門討取り』

こちらは右面とは逆に、敗走する佐久間部隊の殿を務めていた拝郷五左衛門を打ち取る場面。

左面脇障子・角障子:『福島市松 拝郷五左衛門討取り』

中川秀清はあまり見かけないかと思いますが、こちらは賤ヶ岳七本槍に関する題材で、様々な地車に彫刻されています。

犬勾欄

上から、正面・右面・左面
犬勾欄:『牡丹に唐獅子』

非常に細かい細工が施されています。

勾欄合・縁葛

前方
勾欄合:『花鳥風月』
縁葛:『両国橋引揚げ』

縁葛は忠臣蔵で統一されています。

後方
縁葛:『清水一学の奮戦』

右面大屋根側
勾欄合:『花鳥風月』
縁葛:『吉良上野介召捕り』

右面小屋根側
縁葛:『刃傷松の廊下』

左面大屋根側
勾欄合:『花鳥風月』
縁葛:『大石内蔵助の雄姿』

左面小屋根側
縁葛:『赤穂義士の雄姿』

土呂幕

前方:『平景清錣引き』

土呂幕は源平合戦に関する題材で統一されています。

後方:『敦盛呼び戻す熊谷治郎直実』

上地車ではお馴染みの題材。
遠近法を使用して表現。手前に流れてくる小さな波のタッチが素晴らしいですね。

右面:『宇治川の戦い』

側面は現代でも流行りの前後一続きで題材を構成する仕様です。
水板の採用が本当に素晴らしく、豪華で引き締まった印象になります。

先陣をきって既に対岸にいる佐々木高綱。

遅れて梶原景季。

こちらも細やかな波の彫刻が魅力的です。

左面:『粟津の戦い』

前後一続きの土呂幕は下地車以上のサイズで、こちらも大パノラマの作品です。

雑兵をなぎ倒す巴御前。

巴御前を迎え撃つ格好で彫刻されている武者は畠山重忠でしょうか。

台木

前方・後方:『波濤』

野田時代から曳綱環は1つでした。
泉州から嫁いだ地車特有の使わなくなった梃子穴の仕舞いですが、金具で綺麗に仕上げてあります。

右面:『波濤』

鯉や玄武等いない、波一本勝負です。
また、先端部分は沈め彫り・中央部分は浮き彫り、と使い分けが行われた上品でオシャレな作品です。

左面:『波濤』

金具

①破風中央:『雲海に宝珠』
②破風傾斜部:『昇龍』破風端部:『唐草模様』
③垂木先:『梅鉢紋』 野田時代の金具があえてここに残されています。
④脇障子兜桁:『五瓜に唐花紋』
⑤縁葛:『唐草模様』
⑥宝
⑦肩背棒先:『左三つ巴紋』
⑧腕木:『左三つ巴紋』

野田時代の一枚。

やはりこの頃の記憶が鮮明に残っており、いつ見ても懐かしいですね。

いかがでしたでしょうか。

いつまでも私達を魅了してやまない銘車の一台をご紹介いたしました。

作品の出来が素晴らしいことは言うまでもないのですが、何故でしょうか、昭和一桁に誕生した地車達は中毒的に見たくなる魅力を秘めているように感じます。
100年を経ることで得る味わい深さとでも言うのでしょうか?何とも言葉にし難い良さですね。

この地車第二の人生が始まり、言っている間に10年を迎えようとしています。
前書きでイベント事では出さないだろう等と言いましたが、心のどこかでは何かを機会に里帰り曳行とかしないかな?なんて事を考えています。夢のまた夢ですね・・・

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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