柏原市金山彦神社 青谷南地車

皆さんこんにちは。

今回は来週修理入魂式を控えている青谷南地車をご紹介したいと思います。
以前にも一度記事にしたことがありましたが、画像サイズが小さかったため非公開としていましたが、これを機会に修正いたしました。

青谷南地車は数少ない住吉大源製作の板勾欄型の一台で、銘もしっかりと残っている貴重な一台です。
住吉大源の製作例は他に枚方市南町・門口地車三田市宮本地車、尼崎市塚口宮ノ町先代(現・個人所有)があり、他にもあるかもしれませんが、現時点で銘が確認されているのは青谷南地車を含めて4台となっています。
これらの地車と見比べながら当記事を見て頂くと面白いと思いますので、よろしければどうぞ。

それではご覧ください。

柏原市金山彦神社 青谷南地車

◆地域詳細
宮入:金山彦神社
歴史:大和川中流右岸、生駒山地の最南端部に位置する。家屋・水田・畑は山地斜面にあり、水利は谷をふさいだ溜池(青谷池)から耕地に給水。大和川畔には奈良期の創建になる青谷廃寺がある。また付近には多くの横穴式古墳がある(青谷古墳群)。古代には竜田越えの街道筋にあたっていたと考えられる(柏原市史)。
(江戸~明治22年)河内国大県郡青谷村→(明治22年~昭和14年)堅上村青谷→(昭和14年~昭和33年)柏原町青谷→(昭和33年~)柏原市青谷となる。

◆地車詳細
形式:板勾欄出人形住吉型
製作年:明治時代
大工:住吉大源
彫刻:彫又一門
歴史:?→柏原市青谷南

参考)
地域の歴史について
角川書店 『角川日本地名大辞典 27 大阪府』

姿見

左が前方

前回見たのは10年前で、この写真も10年前の写真になります。
青谷は青谷北と青谷南の2台地車があり、どちらも板勾欄型となっています。

両方明治生まれの古い地車ですが、原形のまま維持管理されており、この地車が大切にされて来たことが伺えます。

斜め前より

破風

中央二分割の平らな破風、桁隠しはつきません。
住吉大源製作の4台の中では、青谷南と塚口宮ノ町先代が桁隠しを持たないモデルになっています。製作年代が近いのかな?

枡組

二段一手先になっています。住吉型では標準的なものです。

鬼板

上から
大屋根前方:『飛龍』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』

懸魚

大屋根前方:『鳳凰』

大屋根後方:『雲海』

小屋根:『唐獅子』

この場所に唐獅子は珍しいかもしれません。

車板・枡合・虹梁

大屋根前方
車板:『雲海』
枡合:『牡丹に唐獅子』
虹梁:『飛龍』

車板中央付近は彫刻が少なくなっており、元々神額がついていたのかな?といった印象です。
残っていたら以前所有していた村の貴重な情報となり得ましたが・・・
獣のついている顔が異なっていますが、この辺りは今回の改修で直っていることでしょう。

小屋根
枡合:『牡丹に唐獅子』

枡合・虹梁

右面大屋根側
枡合:『牡丹に唐獅子』
虹梁:『飛龍』

右面小屋根側:『唐獅子』

左面大屋根側
枡合:欠損
虹梁:『飛龍』

左面小屋根側:『牡丹に唐獅子』

木鼻

上が右面、下が左面
木鼻:『阿吽の唐獅子』

柱巻き・板勾欄

柱巻き・板勾欄
前方:『?』

擬宝珠勾欄と板勾欄の二重勾欄仕様です。

加藤清正と虎が居るので成立していそうに見えますが、配置はかなりおかしいです。
配置がおかしいと考える根拠は
①右前柱巻きの人物が獣を退治している絵になっている(獣の足だけ見えます。頼政鵺退治かな?)が、それを隠すように鷲の出人形が手前に取り付けられている。
②虎の出人形が板勾欄に隠れている。
③市脇先代のように例外はあるものの、①柱巻きは柱巻き同士で題材成立②板勾欄と出人形で題材成立、とするのが殆どであるから。
の3点でしょうか。

恐らくですが、柱巻きは柱巻き同士で『源頼政鵺退治?』か何かの題材を構成しており、加藤清正の頭は誤り。
出人形に居る鷲は三枚板にあるのが正しく、本来の出人形は中央に居る虎と欠損した胴体で前方・右面・左面のいずれか(私は右面だと思う)で『加藤清正虎退治』を構成。
ではないでしょうか。

改修でこの辺りの配置を正しく直そうと思えば直せるかと思いますが、正解の確証が無い限り、直さずそのままにされると思います。

板勾欄

右面:なし

左面:『龍』

現在は板勾欄に龍だけとなっていますが、塚口宮ノ町先代と同様に、出人形とペアで『安部介丸龍退治』を構成していた可能性があります。

首と手だけの鷲の出人形が居ますが、これも前方・右面・左面のいずれか(私は前方だと思う)で鷲退治を構成していたと思われます。
この位置で鷲退治となると大己貴命ではなく、鎮西八郎為朝でしょうか。

柱巻きが『源頼政鵺退治』、板勾欄が『鎮西八郎為朝鷲退治』であった場合、正面でペアにすればお互いに平安末期の人物ですので、時代的にも合ってくることになり、綺麗におさまります。

天蓋

彫刻は無く、格天井でした。

車内枡合

車内枡合:『猿に鷲』

花戸口虹梁

花戸口虹梁:『猩々』

青谷は天神囃子系のお囃子ですが、大太鼓を積むために切除されたりしておらず、良いですね。

脇障子

脇障子は舞台がつく仕様です。
元は上に出人形があったかと思いますが、欠損しています。

三枚板

正面:なし

左に頭が無くなった出人形がいます。この出人形はサイズ的に大屋根側の板勾欄に居たものでしょう。そして身体の向き的に大屋根側板勾欄に居た鷲と戦っていた人物と思われます。

柱巻きのところで書きましたが、前方板勾欄の出人形に居た鷲はサイズ的にこちらの三枚板のものかと思います。そして三枚板で鷲退治の題材となれば『大己貴命鷲退治』ではないでしょうか。

右面:『飛龍退治』

飛龍の顔が欠損し、代わりに反対向きの鷲の顔がつけられています。
鷲の顔の正しい所在は左面板勾欄の上に僅かに残っている出人形でしょう。

左面:『雄略天皇猪退治』

角障子

角障子:『武者』

摺出鼻

摺出鼻:『松』

旗台

旗台:『力神』

貫腕

一つ渦で渦中心から辿っていくと最終的に地車の側面に行きつく模様が住吉大源の地車の特徴です。

持送り

持送り:『山水草木』

土呂幕

前方は扉式になっていますが、片方が欠損しています。

前方:『山水草木』

後方:『合戦譚』

右面:『合戦譚』

左面:『合戦譚』

敦盛呼び戻す熊谷次郎直実や宇治川の先陣争い等の題材が来ないかな?と思っていましたが、特に題材は無いようでした。

下勾欄

右面:『波濤に兎』

左面:『波濤に兎』

台木

右面:『波濤』

左面:『波濤』

台木はオリジナルが残っており、止めホゾになっています。
猫木は交換されています。

金具

①破風中央部・傾斜部:『唐草模様』
②破風端部:『唐草模様』
③垂木先:『左三つ巴紋』
④脇障子:『左三つ巴紋』 金山彦神社の神紋は『五七の桐』ですので、前に所有していた村の名残かと思います。
⑤縁葛端部

台木の裏に『住吉大源』の銘が残ります。

いかがでしたでしょうか。

謎解きゲームをしているようになってしまいましたが、何にせよ修復を終えて戻ってくる姿が大変楽しみです。
今の時代に明治の板勾欄型が金具も木の色もピカピカになって存在しているというのはそう当たり前のことでは無いですからね。

入魂式には行けそうにありませんが、また機会を見て久しぶりに青谷を訪れてみたいと思います。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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