三田市稲荷神社 福島地車

皆さんこんにちは。

2023年初記事となります、今年もよろしくお願いいたします。
そして、年始から濃ゆい話を・・・今回ご紹介するのは三田市福島地車です。

福島は大阪から遠く離れた新三田駅付近の地域で、初めて知った時はこんなところに堺型が!と驚いたものです。
そしてよく見ると元・段差勾欄タイプの堺型で、さらに小屋には購入時期のヒントとなるものがありました!
最後までお楽しみいただけたらと思います。

それではご覧ください。

三田市稲荷神社 福島地車

◆地域詳細
宮入:稲荷神社
歴史:武庫川中流左岸に位置する。地名の由来は、七福神の1つである稲荷神社にちなむものか。行基伝説の残る福島大池は旧有馬郡の重要な農業用水。
福島村(~明治22年)→中野村福島(明治22年~昭和18年)→広野村福島(昭和18年~昭和31年)→三田町福島(昭和31年~昭和33年)→三田市福島(昭和33年~)

◆地車詳細
形式:擬宝珠勾欄堺型(元・段差勾欄)
製作年:江戸末期~明治元年頃?
購入年:明治16年?
大工:不明
彫刻:彫又一門
歴史:?→三田市福島

参考)
地域の歴史について
角川書店 『角川日本地名大辞典 28 兵庫県』
購入年について
山車・だんじり悉皆調査 http://www5a.biglobe.ne.jp/~iwanee/
安立町三丁目地車の修理について
兵庫地車研究会 『住吉大佐「地車請取帳」と彫刻』

姿見

左が前方、右が後方

遠目から見てもすぐ分かる堺型のシルエットをしています。
過去に改修を受けているようで、最も分かりやすい部分として、摺出鼻が撤去されています。

斜め前より

この地車は元・段差勾欄の堺型だったと思われる一台です。
改修により段差勾欄が撤廃され、背丈もかなり縮められています。

破風

ピッチの細かい蓑甲がいかにも堺型らしいです。
そして、堺型では少数派の桁隠しが取り付くタイプです。

小屋根側は折屋根となっています。

桁隠しありで段差勾欄と言えば、当サイトで過去に紹介した橿原市小綱町地車門真市小路地車と同系列か?と考えました。
しかし、この2台は枡合の獣の彫刻が手前に張り出すように工夫されていたり、小屋根側が板勾欄になっていたり、脇障子が枠付きタイプになっていたり、といった明らかに個性的な特徴を有していますが、福島地車はそのような特徴は無いようでした。

恐らくですが、堺北とは異なる大工(萬源か?)が段差勾欄を試行した1台なのではないかと私は考えています。

枡組

大屋根側は出三斗組、小屋根側は大斗肘木で牡丹の彫刻となっています。

これらは最近記事にした田原本町南地車と似ています。
南地車と比較をしましたが、縁葛が全面彫刻仕様になっている点や、勾欄合の数では共通していますが、それ以外では特に似ている点は見受けられませんでした。

鬼板

上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』

大屋根前方と小屋根は交換されているようです。
交換前の鬼板も一部残っており、後述します。

懸魚・桁隠し

大屋根前方
懸魚:『鳳凰』
桁隠し:『鶴』

小屋根
懸魚:『猿に鷲』
桁隠し:『鷹』

車板・虹梁

大屋根前方
車板:『青龍』
虹梁:『阿の龍』

大屋根前方は特徴あるもので、車板・枡合一体型サイズの青龍の彫刻が取り付けられていました。
オリジナルではなく、後付けされたものと思われます。

車板・枡合

小屋根
車板:『龍』
枡合:『唐獅子』

元・鬼板と思われるパーツがありました。
残り1つは行方不明ですが、この地車のオリジナルは少なくとも1面は飾目だったようですね。

枡合・虹梁

右面大屋根側
枡合:『唐獅子』
虹梁:『龍』

虹梁の彫刻の下に、幕に隠れて完全にはよく見えませんが、もう一つ虹梁(構造材?半分に切断されている?)があるようです。

右面小屋根側
枡合:『唐獅子』

左面大屋根側
枡合:『唐獅子』
虹梁:『龍』

左面小屋根側
枡合:『唐獅子』

枡組の牡丹はもしかして枡合と溶け込むように作られているのでしょうか。
だとすると、なかなか良い一工夫だなぁ、と思います。

木鼻

上が右面、下が左面
木鼻:『阿吽の唐獅子・獏』

摺出鼻が撤去された箇所にある木鼻は、本来その場所には無いものですが、オリジナルの顔をしています。
先ほど記述した構造材の虹梁があることを考慮すると、元は大屋根側は上下二段の木鼻が配置されており、背丈を縮めたことにより発生した余剰材を配置したのではないか、と思われます。

水引幕

前方:『波濤に鶴』

新しく綺麗な幕が取り付けられていました。

右面:『波濤に鶴』

左面:『波濤に鶴』

車内枡合

車内枡合:『山水草木』

花戸口虹梁

花戸口虹梁:『鶴』

欠損なく、オリジナルが残っていました。

脇障子

脇障子:『武者』

脇障子は框無しとしつつも、勾欄をまたぐように取り付けられる大型のものとなっています。

三枚板

正面:『安倍介丸龍退治』

お待ちかねの三枚板、正面はこの題材。河内長野市小塩地車と同じですね。
しかし左右が三韓征伐で統一されているかと言えば、違う様子。

摺出鼻が撤去され、遮るものが無いので、とてもダイナミックにこの作品を見ることが出来ます。

右面:『武者』

左面:『武者』

これと言って誰か、という部分までは読めず。
オリジナルがしっかりと残っており、良い作品です。

勾欄合・縁葛

前方
勾欄合:『菊水』
縁葛:『合戦譚』

後方
勾欄合:『菊水』
縁葛:『合戦譚』

右面
勾欄合:『菊水』
縁葛:『合戦譚』

左面
勾欄合:『菊水』
縁葛:『合戦譚』

勾欄合の菊水の意匠は他ではあまり見ない印象です。(私が認識していないだけかもしれませんが)
美しく、格好良いですね。

段差勾欄の跡

段差勾欄の名残その1。
縁葛の金具にその跡が残っていました。見る人によっては分かるポイントでしょう。

腕木

腕木:『阿吽の唐獅子』

段差勾欄の名残その2です。
段差勾欄の地車お馴染み、斜め方向に張り出した腕木と持送りがこの地車にもあります。

腕木関係、平側はどうなっているのかと言うと、写真のようになっています。
本来であれば直接縁葛を支えているもので、その切れ込みが見えますが、一枚水平に木材を噛ませてあります。

持送り

前方:『竹に虎』

後方:『竹に虎』

上が右面、下が左面
平側:『虎・猿・犬・象・唐獅子・獏・猪・狐・馬』

干支っぽい部分もありますが、完全に干支では無いようです。

土呂幕

前方:『羅生門』

段差勾欄の名残その3です。
何故か、段差勾欄の堺型は前方の土呂幕がこのような扉式となっているのが標準です。

堺型お馴染みの閂をどうしていたのか気になりますが、跡が残っている作品が無く、謎です。

後方:『合戦譚』

右面:『合戦譚』

左面:『合戦譚』

旗台

旗台:『力神』

下勾欄合

右面:『波濤』

左面:『波濤』

台木

右面:『牡丹に唐獅子』

左面:『牡丹に唐獅子』

猫木は交換されていますが、他はオリジナルが残っていました。
傷みやすい箇所だけに貴重です。

金具

①破風中央:『唐草模様』
②破風傾斜部:『唐草模様』
③破風端部:『唐草模様』
④垂木先:なし
⑤縁葛:『牡丹』

提灯台?

『調製灯 大阪市東区 安立町三丁目 ??源右衛門』
なんと!安立町三丁目の文字が!!下手すると博物館レベルの物なのでは・・・


地車のパーツっぽい印象を受けなくもないですが、提灯か何かを立てておく台ではないでしょうか?

※2023/1/9訂正
安立町ではなく、安土町の読み間違えだと指摘がありました。ご教示いただきました方、ありがとうございます。(安立町は東区ではないですよね、早とちりでした。)

『明治廿六年 第?月 ???』

上に乗っていた部品の裏面を見せて頂きましたが、明治16年の記述がありました。

※恐らく、この地車の購入・修理に絡むものと思われます。

いかがでしたでしょうか。

当日はこの地車についてや、提灯台と思わしきものに詳しい方にお話を伺うことが出来なかったのが大変心残りですが、更に解明されることに期待したいです。

段差勾欄の堺型は銘ありの『堺北』タイプ(橿原市小綱町・門真市小路)のイメージが先行しますが、福島地車のようにオーソドックスな堺型と『堺北』タイプの両方の特徴を併せ持つ中間?発展途上?のような作品があり、これと同じ仕様の堺型は他に無いことから、福島地車がもう少し解明されれば、段差勾欄の発展についての詳細が見えてきそうな気がします。(現時点では明治16年には福島に来ていただろう、つまり明治16年以前には製作されていただろう、とまでしか分かりません。)

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

「三田市稲荷神社 福島地車」への3件のフィードバック

  1. 江戸時代製作の地車は、大阪市内では平野郷の市町、西脇、都島区の内代、鶴見区の横堤、天満市場先代地車、海老江西地車くらいしか、存じ上げませんが大阪府全体では江戸時代製作の地車はどのくらい現存しているのですか。教えてくだされば幸いです。
    東大阪でも江戸期の地車はとても少ないです。
    交野のあたりでは古いだんじりばかりだとも聞きましたが。。

    1. 地車写真保存会

      匿名さま

      コメントありがとうございます。
      私も全てを把握している訳ではないので、具体的に何台と数字を上げることは出来ませんが、上地車については千鳥会地車紀行さまのホームページにある上地車製作年表を参照されるのが大変分かりやすいかと思います。
      下地車について製作年表をまとめたサイトは存じ上げないですが、岸和田だんじり会館の五軒屋町・紙屋町、和歌山県橋本市の東家のだんじりは真っ先に思い付きます。匿名さまのご近所でいけば角田も江戸時代の作ですね。

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