橿原市十市御縣坐神社 市場東垣内地車

皆さんこんにちは。

今回は堺型の中でも面白い一台を記事にしたいと思います。

市場東垣内地車は橿原市十市で曳行されている板勾欄堺型地車です。
板勾欄堺型と言うと、萬源の作である河内長野市石坂地車や河村新吾の作である松原市更池が私の中では第一印象として上がりますが、この2台はどちらも明治14年・15年と、堺型が作られていた時期の中ではかなり後半になって登場してきた作品で、大屋根側・小屋根側・下勾欄全てが板勾欄になっているフル板勾欄の作品です。

上記の2台が登場する以前に板勾欄を有する堺型地車が無かったかと言えば、そんなことは決してなく、かなり歴史は古いもので、天保年間に製作された河内長野市小塩地車は小屋根側3面が板勾欄になっています。
他にも、改修で原形からは遠ざかりましたが、羽曳野市樫山地車や河内長野市三日市北部地車も同様で、堺北の作品と思われる春木川戎や橿原市小綱町地車や門真市小路地車も小屋根側3面が板勾欄であり、小屋根側正面1面だけであれば、広陵町平尾地車や東大阪市稲田旭地車も板勾欄です。
このように小屋根側だけであれば、それなりに採用例は多いものです。

しかし、この地車の興味深い点は大屋根側も板勾欄であること。
いざ大屋根側・小屋根側が板勾欄、下勾欄は擬宝珠勾欄の堺型は?となると、かなり数が減り、今回記事にしている市場東垣内地車と、大阪市加美北東地車の2台しか該当する作品がありません。

これはあくまでも推測で、全ての堺型がその順番で進化していったという訳ではありませんが、板勾欄という堺・住吉の文化圏だけで独自に発展した形態は、突拍子もなくいきなり生まれたとは考えにくく、擬宝珠勾欄から徐々に板勾欄の箇所を増やして試行した結果、石坂地車や更池地車のようなフル板勾欄の完成形に至った。と考えるのが自然ではないかと思います。
市場東垣内地車は、小屋根のみならず大屋根側も板勾欄にする試みが行われており、進化の途中経過にある作品ではないか、と思う訳です。

実際にそんな話があったかは分かりませんが、新しい試みは大工の一存のみで生まれるものでもなく、発注した村の人々も「他所とは違うものを!」と、大金を用意したことかと思います。
その影響あってか、どことなく彫刻のタッチも繊細・丁寧かつ、題材も大江山の鬼退治で統一される等、個性的な部分が強く、かなり手間暇をかけて作られたことは間違いないと思われます。

それではご覧ください。

橿原市十市御縣坐神社 市場東垣内地車

◆地域詳細
宮入:橿原市十市御縣坐神社

◆地車詳細
形式:板勾欄堺型
製作年:江戸末期(天保・弘化・嘉永年間頃?)
大工:木村一門
彫刻:彫又一門
歴史:?→橿原市市場東垣内

姿見

左が前方、右が後方。

冒頭でも書きましたが、この地車の特徴は大屋根側も板勾欄であること。
板勾欄には人物・背景の全てが彫刻されており、この仕様は後の萬源や河村新吾の板勾欄堺型にも採用され、生き残っています。

斜め前より

この地車の仕様は
①桁隠しなし。
②大屋根下は、枡合・台輪(5段に見せる細工)・虹梁の構成。
③木鼻は二段。
④脇障子あり。
⑤角障子あり。
⑥分割彫刻の縁葛。
⑦虹梁で上下二分割された土呂幕。
となっています。

破風

堺型らしいピッチの細かい箕甲で、オーソドックスに桁隠しがつきません。

市場東垣内地車が板勾欄堺型の発展途中の作品だと思う要素の一つに破風形状があります。
同じ木村一門の中でも、明治以降の萬源の板勾欄型に見られる端部がなで肩の形状ではなく、擬宝珠勾欄型と同様で、堺型黎明期からずっと続いて来たテリの効いた形状をしているのは着目するべきポイントかと思います。

枡組

大屋根後方しか上手く撮れませんでしたが、前方は二段一手先、後方は出三斗組です。

鬼板

上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』

3面とも獅子噛になっています。

懸魚

大屋根前方:『鳳凰』

大屋根後方:『朱雀』

小屋根:『猿に鷲』

車板・枡合・虹梁

大屋根前方
車板:『鶴』
枡合:『司馬温公の甕割り』
虹梁:『龍』

大屋根後方
枡合:『牡丹』

小屋根
車板:『鶴』
枡合:『牡丹に唐獅子』

枡合・虹梁

右面大屋根側
枡合:『唐子遊び』
虹梁:『龍』

右面小屋根側
枡合:『牡丹に唐獅子』

左面大屋根側
枡合:『唐子遊び』
虹梁:『龍』

左面小屋根側
枡合:『牡丹に唐獅子』

提灯で見えにくいですが、恐らくこれらの題材で合っているかと思います。

木鼻

上が右面、下が左面。
木鼻:『阿吽の唐獅子・獏』

大屋根側は2段になっています。

花戸口虹梁

花戸口虹梁:『龍』

脇障子

脇障子:『鯉の滝登り』

框は無く、板勾欄を跨ぐように大型のものが取り付けられています。
小屋根側の板勾欄は大屋根側より少し高さ寸法が小さいことが見て取れます。

三枚板

正面:『酒呑童子退治』

人物が大きく、大迫力の彫刻です。

三枚板にこの場面と言えば、近年では大阪市都島神社地車に山本陽介師がこの題材を採用しており、とても記憶に残る作品です。
それぞれの時代の作品として、見比べてみると面白いと思います。

右面:『坂田金時』

左面:『土蜘蛛退治』

三枚板はどれも大江山の鬼退治で統一されており、後述の板勾欄も同じ題材で統一です。

角障子

角障子:『大江山の鬼退治』

角障子は直交方向ではなく、斜め後方に出される仕様で、堺型の中では少数派ですね。

摺出鼻

摺出鼻:『梅に鶯・朱雀』

旗台

旗台:『力神』

2体であることが多いですが、3体である辺りからも手が込んでいることが伺えます。

板勾欄・縁葛

前方
板勾欄:『大江山の鬼退治』
縁葛:『牡丹に唐獅子』

後方
板勾欄:『大江山の鬼退治』
縁葛:『牡丹に唐獅子』

右面大屋根側
板勾欄:『大江山の鬼退治』
縁葛:『牡丹に唐獅子』

右面小屋根側
板勾欄:『山水草木』
縁葛:『牡丹に唐獅子』

左面大屋根側
板勾欄:『大江山の鬼退治』
縁葛:『牡丹に唐獅子』

左面小屋根側
板勾欄:『山水草木』
縁葛:『牡丹に唐獅子』

縁葛は手間のかかる分割タイプになっています。

腕木

四周囲いの肩背棒は例の如く後付けですが、貫腕が土呂幕を貫通する乱暴な改造ではなく、全ネジとねじり金物で設置してあります。
この地車の過去の所有村は不明ですが、歴代丁寧に扱われてきたことが伺えます。

持送り

前方:『谷越獅子』

上が右面、下が左面。
持送り:『松竹梅』

土呂幕

前方:『鯉の滝登り』

珍しく閂が活用されています。
本来の使われ方ではありませんが、肩背棒を支持する貫腕の通し穴として使われています。

後方:『牡丹に唐獅子』

右面:『牡丹に唐獅子』

左面:『牡丹に唐獅子』

土呂幕は上下二分割タイプで、題材は唐獅子オンリーの製作年代に合ったもの。

下勾欄・台木

右面
下勾欄:『波濤に兎』
台木:『波濤』

左面
下勾欄:『波濤に兎』
台木:『波濤』

台木は控えめな波濤の表現です。
あっさりしていますが、トータルバランスが良く、味わい深いこの雰囲気がとても好きです。

金具

①破風中央:『雲海に宝珠』
②破風傾斜部:『昇龍』
③破風端部:『唐草模様』
④垂木先:『左三つ巴紋』
⑤縁葛:『牡丹』
⑥肩背棒先:『市場・東』の文字。
⑦下勾欄親柱

いかがでしたでしょうか。

とにかく個性的で面白い一台だったかと思います。
綺麗に維持管理されていますので、歴史の生き証人として今後も末永く活躍し続けてくれることでしょう。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です