皆さんこんにちは。
今回は今週頭にお披露目曳行が行われました山田地車をご紹介したいと思います。
山田は菱木村の枝郷にあたり、宮入は菱木神社、曳行は福泉連合に所属して祭礼を行っている地域です。
鎮守は山田神社(山田天満宮)で、明治44年に菱木神社に合祀されますが、昭和53年に地元に再建されます。
そのため、山田の吊り下げ町名旗は菱木地区の地車とは異なり、天満宮の紋である梅鉢紋があしらわれているのが特徴です。
今回私はお披露目曳行を見に行っていませんので、画像は全て2015年に撮影したものを使用しています。
それではご覧ください。
堺市西区菱木神社 山田地車
◆地域詳細
宮入:菱木神社
小屋所在地:会所に隣接
◆地車詳細
形式:折衷型
製作年:1996年(平成8年)
大工:大下工務店
彫刻:中山久義・木下賢治一門
◆歴代山田地車
・先々代(初代):事故により売却。
・先代(2代目):板勾欄出人形型、現地車新調に伴い尼崎市築地本町五丁目へ。
・現地車(3代目):折衷型、平成8年新調。
参考)
歴代山田地車について
山車・だんじり悉皆調査 http://www5a.biglobe.ne.jp/~iwanee/
姿見
左が前方、右が後方
大屋根切妻・小屋根入母屋(隅扇)の仕様です。
柱巻きは無く、閂タイプの突き出た肩背棒が特徴です。
側面より
立体彫刻の見送り、土呂幕は前後とも平面タイプです。
肩背棒はついていますが、差し上げるような動かし方はしていないと思います。見たことがありません。
斜め前より
破風
緩やかな勾配の破風形状です。
山田地車を見てまず目を惹くのが極厚の懸魚。
あっさりとした切妻破風であることが猶更懸魚のゴツさを引き立てているような気がします。
鬼板
上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』
3面とも獅子噛で統一されています。
箱棟
右面:『雲海に鶴』
左面:『雲海に鶴』
懸魚・桁隠し
大屋根前方
懸魚:『仁徳天皇 民のかまど』
桁隠し:『雲海に鶴』
仁徳天皇陵がある堺ならではの題材が採用されています。
高台から国を見渡したところ、民家のかまどから煙が上っていないのを見た仁徳天皇は、民が貧しいことに気づき3年間徴税を禁止しました。
結果、宮殿は屋根を葺き替えることが出来ず荒れ果てましたが、3年後にかまどから煙が上がる姿を見た仁徳天皇は、民が豊かであることは自分も豊かであるとお喜びになったと言います。
国民に寄り添った統治者のあるべき姿を表したエピソードです。
大屋根後方
桁隠し:『雲海』
小屋根
懸魚:『控鶴仙人』
桁隠し:『松に鷲』
大屋根に引き続き小屋根は大変上地車らしい素晴らしい題材です。
控鶴仙人は相野一門の作品によく登場するイメージです。
車板・枡合・虹梁
大屋根前方
車板:『青龍』
枡合:『天乃岩戸』
虹梁:『神功皇后 応神天皇平産す』
小屋根
車板:『親子獅子』
枡合:『後醍醐天皇 隠岐より帰る』
枡合・虹梁
右面大屋根側
枡合:『日本武尊 野火の難』
虹梁:『三韓征伐』
右面小屋根側
枡合:『新田義貞 稲村ヶ崎投剣の場』
虹梁:『花鳥風月』
左面大屋根側
枡合:『神武東征』
虹梁:『盟神探湯』
盟神探湯(くかたち)と読みます。
古代日本で行われていた呪術的裁判で、神に誓いを立て熱湯に手を入れると、正しい者は火傷をせず、悪い者は手がただれるというもの。
左面小屋根側
枡合:『楠木正行 如意輪堂の場』
虹梁:『花鳥風月』
木鼻
上が右面、下が左面
木鼻:『阿吽の唐獅子・朱雀』
天蓋
格子状になっています。
車内虹梁・間仕切り
車内虹梁:『?』
間仕切り:『鳳凰』
車内虹梁の題材は多少調べましたが、上手くヒットせず。何なんでしょうか。
ご存じの方いらっしゃいましたら教えてください。
見送り
正面:『難波戦記』
見送りは難波戦記です、人形もかなり詰まっていますよ!
燃え盛る大阪城をバックに伊達政宗が居ます。
右面:『難波戦記』
右面から見た武者達。
左面:『難波戦記』
左面から見た武者達。
脇障子
脇障子:『難波戦記』
脇障子も見送りと同じ題材で統一です。
大脇
右面前方:『難波戦記』
左面前方:『難波戦記』
右面後方:『難波戦記』
左面後方:『難波戦記』
大脇も同様に難波戦記です。
大脇竹の節
大脇竹の節:『唐獅子』
摺出鼻
摺出鼻:『難波戦記』
旗台
旗台:『龍』
勾欄合・縁葛
前方
勾欄合:『花鳥風月』
縁葛:『富士の巻狩り』
右面
勾欄合:『花鳥風月』
左面
勾欄合:『花鳥風月』
縁葛:『富士の巻狩り』
縁葛:『富士の巻狩り』
金網がありなかなか上手く撮影できないので、抜粋してご紹介。
前方に頼朝公、後方に仁田四郎猪退治です。
土呂幕
前方:『義経八艘跳び』
真正面からの引きで撮影出来ていないのでこの角度です、すみません。
土呂幕は源平合戦で統一です。
前方:『義経八艘跳び』
後方:『石橋山合戦 朽木隠れ』
後方が扉式の少々珍しい仕様です。
右面:『宇治川の先陣争い』
左面:『敦盛呼び戻す熊谷次郎直実』
どちらも昔ながらの上地車の定番の題材です。
見ていて安心感がありますし、どちらも大変好きな題材です。
台木
右面:『波濤に玄武』
左面:『波濤に玄武』
梃子掛けで遮られていますが、玄武がいます。
猫木は前後分割式。
金具
①破風中央:『雲海に宝珠』
②破風傾斜部:『昇龍』
③破風端部:『唐草模様』
④垂木先:『丸に梅鉢紋』
⑤脇障子兜桁:『丸に梅鉢紋』
⑥肩背棒先:後方は『鶴鳴(かくめい)』の文字。前方は『山田』の文字。
⑦縁葛:『唐獅子』
銘
見送り内部にあります。
いかがでしたでしょうか。
山田は近隣地域が次々と下地車に乗り換える中、上地車での曳行を継続しているため、個人的に応援したくなる地域であります。
また、鳴物も大変上手く、福泉連合特有の鳴物大会で披露されるオリジナルのお囃子も注目したいところです。
2015年に訪問した際には本五に嫁いだ先代地車の話を伺いましたが、鶴鳴の由来を聞くのを忘れてしまったのが心残りです。
よく似た感じで堺市上が鶏鳴の二つ名を持っていますが、そちらとはちょっと由来が違うのではないかと勝手に考えています。
山田の近隣地域には鶴の名が付く地名が複数あり(鶴田池・鶴山台など)、実際に鶴が居たのか、そっち方面の由来のような気がしています。
ご存じの方いらっしゃいましたら、ご教示ください。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。