皆さんこんにちは。
今回は来週に藪入り曳行(里帰りと書かないところが面白い!)が予定されている大東市大野地車をご紹介したいと思います。
大野地車は元は岸和田市畑町出身の地車で、北河内で唯一曳行されている岸和田型として知る人ぞ知る一台であります。
肩背棒を取り付けて曳行されている岸和田型は大野に限らず少数ながら存在しており、
現役→橋本市東家・東大阪市玉串・藤井寺市沢田・太子町永田・葛城市太田
関西圏外で現役→常滑市古場
先日退役したばかり→東大阪市菱屋東
以前に肩背棒を取り付けられていた時期があった→堺市大鳥先代・堺市長承寺先代・橋本市小原田先代
など…他にもあるかもしれませんが、ざっとこの程度は思いつきます。
泉州以外の地域での岸和田型の曳行は、肩背棒を付けたとて上地車同様の動きは得られないかと思いますが、縁あって嫁いできた地車だけあって、どの地域でも上地車に置き換えられることなく大切に曳行されているのが興味深いところですね。
大野地車も度重なる整備・改修を経て、現在も綺麗な状態のまま維持されており、貴重さは今後一層増すばかりでしょう。
それではご覧ください。
大東市大野神社 大野地車
◆地域詳細
宮入:大野神社
小屋所在地:大野公民館に隣接
◆地車詳細
形式:岸和田型
製作年:1915年(大正4年)
購入年:2000年(平成12年)
大工:泉佐野の藤太郎
彫刻:不明
歴史:
岸和田市畑町(大正4年~昭和24年)
→大阪市諸口(昭和24年~平成12年)
→大東市大野(平成12年~)
参考)
地車の製造年・購入年・大工・歴史について
山車・だんじり悉皆調査 http://www5a.biglobe.ne.jp/~iwanee/
姿見
左が前方、右が後方
畑町から諸口に嫁いだ際に大阪型の曳行スタイルに合うように大改造を受けています。
鬼板は獅子噛に変更され、大屋根前方懸魚も交換されています。勾欄は跳勾欄から擬宝珠勾欄に変更され、肩背棒が取り付けられました。
2016年の改修時に車内から岸極印(江戸時代に岸和田藩が地車製作許可したことを示す焼印)が見つかったそうで、江戸末期に旧市地域で曳行されていた地車の部材が使われていることが判明しています。
謎が多いため名言はされていませんが、”旧市地域で曳行の後畑町に来た”のではなく、あくまでも部品を転用して大正4年に組み立てられた、というのが現時点での有力説でしょうか。
側面より
側面から見ると、更に手が加えられた箇所が分かります。
腰まわりは小連子が引き抜かれ、松良もカット、背丈も縮められていると思われます。
見送りは撤去され、別の部材で埋められています。
破風
切妻破風です、オリジナルではないようです。
葺地は少々厚めの印象です。
枡組
5段の枡組が取り付きます。
隅出
上が右面、下が左面
大屋根隅出:『武者』
小屋根隅出:『武者』
鬼板
上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』
服部一門でしょうか。諸口に嫁いだ際に先代の獅子噛が取り付けられました。
懸魚
上から
大屋根前方:『鳳凰』
大屋根後方:『波濤』
小屋根:『牡丹』
鬼板だけでなく、大屋根前方懸魚も交換する徹底ぶりです。これも諸口先代のものでしょうか。
大屋根後方・小屋根のオリジナルは一枚モノで作られており、こちらも大変素晴らしい作品です。
車板・枡合
大屋根前方
車板:『張果老?』
枡合:『曽我五郎大磯驀進』
大屋根前方車板はこの地車でもズバ抜けて古い作品が残っている場所ではないでしょうか。ただならぬ雰囲気があります。
左に何か書かれていますが、『弓へんに?・?・人』読めそうで読めません。
大屋根後方:『武者』
小屋根
車板:『武者』
枡合:『鳳凰・波濤に鯉』
枡合・虹梁
右面大屋根側
枡合:『武者』
虹梁:『波濤に千鳥』
右面小屋根側
枡合:『武者』
虹梁:『唐子遊び』
左面大屋根側:『武者』
右面とは違ってこちらは虹梁と枡合が一体化しています。
左面小屋根側:『鞍馬山修行の場』
虹梁:『唐子遊び』
枡合は所々、源平合戦らしき内容が読み取れます。
木鼻
上が右面、下が左面
木鼻:『阿吽の唐獅子』
勾欄合
勾欄合に彫刻はありません。
妻側 連子・土呂幕・犬勾欄
前方
連子:『武者』
土呂幕:『敦盛呼び戻す熊谷次郎直実?』
確証はありませんが、構図的にこの題材でしょうか?
アップで一枚。
犬勾欄:『武者』
松良
松良:『武者』
上端の切り方が真っすぐでないことから、途中で切り欠いていることは明らかです。
平側 連子・土呂幕・犬高欄
右面
連子:『武者』
土呂幕:『木曽義仲?』
源平合戦で土呂幕に彫刻されるような馬乗りと言えばこの人か?こちらも確証はありません。
アップで一枚。
犬勾欄:『武者』
左面
連子:『義経八艘跳び』
土呂幕:『巴御前』
非常に分かりやすくて助かります。
アップで一枚。
犬勾欄:『武者』
松良
松良:『武者』
脇障子
脇障子:『武者』
大脇等のバランスを考えると人物はもう少し小さくても良さそうな気がしますが、もしかするとこちらも転用材か?
見送り(三枚板)
正面:『阿吽の唐獅子』
元・車板か三枚板か分かりませんが、少々強引に詰めて取り付けられています。
唐獅子の表情は大変素晴らしいものです。
右面:『武者・牡丹に唐獅子・富士の巻狩り』
左面:『武者・牡丹に唐獅子・富士の巻狩り』
最上段はやけに納まりが良いので、もしかすると元からこの場所にあったのでしょうか。
中段は上地車の車板?の一部を切り抜いたもの、下段はこの地車の見送り勾欄か連子の部品ではないでしょうか。
大脇
大脇:『武者』
失われた見送りの題材を特定するヒントになりそうではありますが…中国の題材などではないようですね。
これまでの流れからするとやはり源平合戦系か。
擦出鼻
右面:『武者』
左面:『朽木隠れ』
端部には阿吽の唐獅子です。
摺出鼻にはからくり細工のレールが残っています。
少し前に記事にした上之郷上村地車のように、構造材が交換されても彫刻が生き残るように着脱可能な彫刻になっています。
見送り勾欄
平側は擬宝珠勾欄になっています。
脇障子の半端な位置にめり込んでいる納まりを見ると、元から勾欄はあったものの擬宝珠勾欄ではなかったように見えます。
見送り勾欄:『武者』
旗台
旗台:『富士の巻狩り』
後連子
正面:『武者』
右面
後連子:『武者』
水板:『波濤』
左面
後連子:『武者』
水板:『波濤』
半松良
半松良:『雲海・松』
台木
右面
左面
梃子掛けはないようです。大きな水板が特徴ありますね。
金具
①破風中央部:『唐草模様』
②破風傾斜部:『鷲』
③破風端部:『唐草模様』
④垂木先:『左三つ巴紋』
⑤肩背棒先:『大野』の文字。
⑥台木先:『大野』の文字。
いかがでしたでしょうか。
歴史ある地車、謎がある地車はいつ見ても面白いですね。
さて、諸口・大野のように地車を売却してからも相互に交流が続いているというのは、傍から見ていても非常に心温まるものがあり、他地域でもごく稀に行われる里帰り曳行などは非常に良いことだと思います。
懐かしの以前の土地で曳かれる先代地車・・・現地車との並びも勿論あることでしょう。良い記念になることは間違いありません。
素晴らしい交流会となることをお祈りしております。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。