羽曳野市誉田八幡宮 西之口地車

皆さんこんにちは。

いよいよ来週にお披露目を控えております西之口地車を検索して当サイトに訪問される方が増えてきましたので、記事を書きたいと思います。

マニアにとって西之口地車は元・堺市北王子の地車として広く認知されているのではないでしょうか。
新調から約130年が経ち、戦火からも生き残り、スピードを求めた曳行となっていった昭和末期~平成初期の堺・泉州を経験しつつもオリジナルの状態に近いまま曳行されている住吉大佐の地車、として見ると、大変に強運の持ち主であり、長年大切にされてきた地車であることがよく分かります。

他人様が撮影した写真を見ていると、今回の改修では破風・柱・台木が新調されつつもオリジナルの雰囲気を崩さないように改修が行われているように見受けられますので、新しくなった箇所はもちろんのこと、綺麗になったオリジナルの部分がどのようになっているのかとても気になるところです。

それではご覧ください。

羽曳野市誉田八幡宮 西之口地車

◆地域詳細
宮入:誉田八幡宮
小屋所在地:神社境内

◆地車詳細
形式:擬宝珠勾欄住吉型
製作年:1887年頃(明治20年頃)
購入年:1996年(平成8年)
大工:住吉大佐
彫刻:小松一門
歴史:奈良県大和高田方面?→(?~大正10年頃)堺市深井沢町→(大正10年頃~平成8年)堺市北王子→(平成8年~)羽曳野市西之口

参考)
製造年・歴史について
兵庫地車研究会 『彫 地車彫刻の美 住吉大佐』

姿見

左が前方、右が後方

柱や台木の一部は交換されていますが、原形の印象を崩すことなく維持管理されています。
豪華装備として提灯持ちや旗持ちの人形が居るのが印象的です。

側面より

擬宝珠は片側4つの計8つタイプです。
過去の改修で大屋根枡組の段数が追加されており、枡合が二段構成になっています。

斜め前より

積み重ねてきた歴史のオーラをひしひしと感じる銘地車です。

斜め後より

破風

ゆるやかな曲線を描く破風。
中央二分割で作られており、オリジナルではないでしょうか。

枡組

金綱を外さないとなかなか見えにくい箇所ではありますが、北王子時代に枡組を追加して高さを上げています。

鬼板

上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』

3面とも獅子噛で構成されています。
3面とも微妙に表情が異なりますが、大屋根前方と小屋根のものは3本指・横方向に伸びる耳・鬣の3つ渦頂点は正三角(△)配置で似ていますが、大屋根後方のものは4本指・上方向に伸びる耳・鬣の3つ渦頂点は逆三角(▽)配置になっており、雰囲気が異なります。彫った人が違うのでしょう。

箱棟

大屋根側:『龍』
小屋根側:『雲海』

立派な彫刻ですが、残念ながら顔が欠損してしまっています。
今回の修理で復元されていることに期待です。

提灯持ち

上が大屋根前方、下が小屋根。
提灯持ち:『武者』

西之口地車を見てパッと目につく箇所ですね。
今は刀や槍を持っていますが、本来の使い方は提灯を持たせることにあります。
古市界隈の昔ながらの提灯の飾りつけ方法であれば提灯持ちとして使っても良さそうに見えますが、やっていないようです。

(参考)奈良県大和高田市本町壱地車

提灯持ち本来の使われ方をしている様子。
武者の腕が折れないか心配になりますが、大阪市平野区泥堂地車は破風の相応の位置に提灯をひっかける金具をつけて、あたかも武者が提灯を持っているかのように見せる工夫をしていますね。

懸魚・桁隠し

大屋根前方
懸魚:『鳳凰』
桁隠し:『龍』

大屋根後方
懸魚:『唐獅子』
桁隠し:『鷲』

小屋根
懸魚:『猿に鷲』
桁隠し:『猿』

個人的には小屋根の作品がとてもお気に入りです。
祭礼中は後旗をつけますが、中央の吊下町名旗はつけないので、昼でもこの彫刻を見ることが出来、いつも良いなぁと思いながら見ています。

車板・枡合・虹梁

大屋根前方
車板:『宝珠を掴む青龍』
虹梁:『牡丹に唐獅子・珠取り獅子』

大きく手前斜めに取り付けられた宝珠を掴む青龍は住吉型お決まりの仕様です。
龍の躍動感、目の輝きも相まって、非常に活き活きとした印象を受けます。大変素晴らしい彫刻です。

小屋根:『獅子の群衆』

6体の親子獅子がおり壮観です。

右面大屋根側
枡合(上):『天女』
枡合(下):『牡丹に唐獅子』
虹梁:『牡丹に唐獅子』

右面小屋根側
枡合:『牡丹に唐獅子』

枡合では珍しく親子になっています。

左面大屋根側
枡合(上):『天女』
枡合(下):『牡丹に唐獅子』
虹梁:『牡丹に唐獅子』

左面小屋根側
枡合:『牡丹に唐獅子』

木鼻

上が右面、下が左面
木鼻:『阿吽の唐獅子』

大屋根側のみ居ます。お決まりの全身彫刻で、どれも親子になっています。
枡合然り唐獅子はなるべく親子にするのがこの地車のこだわりのようです。

水引幕

彫刻を隠さない控え目な水引幕の取り付け方が好印象です。
橘紋と左三つ巴紋で誉田八幡宮の神紋です。

旗持ち

旗持ち:『武者』

珍しく旗持ち人形がいますが、旗持ちとしては使われていないようです。
この場所に旗持ち人形と言えば東大阪市稲田の地車を思い出します。
日章旗・旭日旗を掲げていたら格好良いと思いますが、どうでしょう。

(参考)東大阪市稲田橋本地車

車内枡合・虹梁

車内枡合:『牡丹に唐獅子』
車内虹梁:『牡丹に唐獅子・珠取り獅子』

大きな作品で、大変見ごたえがあります。

脇障子

脇障子
右面:『雄略天皇猪退治』
左面:『加藤清正虎退治』

脇障子は獣退治の題材で統一されています。
脇障子も私の好きな箇所で、躍動感と美しさを兼ね備えた大変素晴らしい作品です。

三枚板

正面:『【賤ヶ岳の合戦】秀吉本陣佐久間の乱入』

上半身を手前に大きく張り出すように彫刻された佐久間玄蕃は迫力抜群です。
狭い空間を目一杯使って彫刻されています。

佐久間玄蕃をアップで。

右面:『【賤ヶ岳の合戦】毛受勝兵衛の勇戦』

三枚板に同じ題材を持つ地車として、住吉郡時代:東大阪市長田西(~明治29年4月)、東成郡時代:河内長野市松ヶ丘(明治29年9月)・大阪市片江(明治30年)、住吉区時代:河内長野市高向下町(大正14年)・豊中市岡上の町(大正14年~)の5台があります。

すなわち、住吉郡住吉村の銘でこの題材が採用されている地車は長田西地車・西之口地車のみということになります。
初公開の題材とのことで、さぞ注力して製作されたのではないかと思われます。

長田西地車とは銘板の意匠も良く似ており(それを言うと鍛冶町も似ている)、同時期の生まれかと思います。
銘はあるものの、2台とも請取帳の記載のどれに合致するのか不明なところがもどかしいです。

左面:『【賤ヶ岳の合戦】毛受勝介の最期』

別角度からもう一枚。

角障子

右面:『加藤清正 山路将監討取』
左面:『堀尾吉晴 天王山奪取』

摺出鼻

右面:『牡丹に唐獅子』

左面:『牡丹に唐獅子』

先端の唐獅子は左右で阿吽になっています。

旗台

旗台:『力神』

こちらは木の色が新しく、後の時代に彫りなおされたもののようです。

勾欄合・虹梁

前方
勾欄合:『太平記』
縁葛::『源平合戦』

後方
勾欄合:『太平記 桜井の別れ』
縁葛::『源平合戦 鵯越の逆落とし』

勾欄合右端に櫻井の駅と思われる彫刻があります。
縁葛は馬を持ち上げる武者がおり、畠山重忠と愛馬三日月でしょうか。

右面
勾欄合:『太平記』
縁葛::『源平合戦』

左面
勾欄合:『太平記』
縁葛::『源平合戦』

閂の名残

北王子時代の肩背棒は現在のように四周回っているものではなく妻側は無し、前方は閂が出ていました。
現在、閂は途中でカットされ、中央部の踏板を支える部材となっています。

持送り

前方:『唐子遊び』

後方:『唐子遊び』

獅子舞と楽器を演奏する唐子が表現されています。

土呂幕

前方:『川中島の合戦』

欠損したのか、後の時代に彫り替えられたもののようです。
元は扉式で山水草木だったのではないでしょうか。

後方:『那須与一扇の的』

右面大屋根側:『平景清錣引き』

右面小屋根側:『平景清錣引き』

左面大屋根側:『義経八艘跳び』

左面小屋根側:『義経八艘跳び』

下勾欄

右面:『牡丹に唐獅子』

左面:『牡丹に唐獅子』

台木

上が右面、下が左面
台木:『波濤』

金具

①破風中央部:『宝珠・昇龍・唐草模様』 破風中央から傾斜部まで一続きになるように金具が連続しています。
②破風端部:『唐草模様』
③垂木先:『西』の文字。
④脇障子兜桁:『西』の文字。
⑤勾欄まわり・栭束:『唐草模様・牡丹』
⑥引綱環:『左三つ巴紋』

銘板

『細工人 住吉郡住吉村大佐』と書かれています。

住吉郡住吉村なので明治29年4月までには製作されていることが確実です。

いかがでしたでしょうか。

歴史があり、大変良い彫刻を持つ地車であることがお分かりいただけたのではないでしょうか。
今回改修を受けたことで、これから先何十年、100年とオリジナルの良さを残し、生き永らえる地車であって欲しいと思います。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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