堺市中区陶荒田神社 北村地車

皆さんこんにちは。

今年度、日を改めてでも祭礼を行った地区は様々ありますが、陶器地区では北村と辻之の2台が曳行しましたね。
今回は北村地車の紹介がまだ出来ていませんでしたので、記事にしたいと思います。

北村は平成の時代にあえて板勾欄型を新調しているところがまず魅力的ですが、曳行の様子では一旦暴れに入ると、他町が地車の動きに合わせて鳴物の速さをこまめに変えたり、シークレットを挟んだりする中、10分以上一度も鳴物を区切ることなく、5番・しゃんぎりのテンポでひたすら叩き続けるところが個人的には好きなポイントです。
何年か前には太鼓を張り替え、法被も変わり、更に格好良さが増した印象です。

それではご覧ください。

堺市中区陶荒田神社 北村地車

◆地域詳細
宮入:陶荒田神社
小屋所在地:会所に隣接
歴史:
陶器山は標高153.8mで狭山丘陵の一部。の地名は日本書紀に「茅淳の県の陶邑」と記されているように、この一帯の丘陵が古代の一台窯業地域であったことに由来し、丘陵南斜面に二百数十基の古窯址が発見されている。この地域に古代窯業が立地した条件としては、大阪層群中に含まれる淡水成粘土を材料に、焼成時の燃料として丘陵をおおっていたマツや雑木が利用できたことなどによると考えられる。

北村は明治22年〜昭和30年は東陶器村(北・見野山・上之・岩室・福田)、昭和30年〜34年は泉ヶ丘町(久世・西陶器・東陶器・上神谷)、昭和34年以降に陶器北と住所表記を変えている。
昭和46年に一部が三原台1~4丁目・高倉台3~4丁目、昭和47年に晴美台1~4丁目・槇塚台1~4丁目となる。

◆地車詳細
形式:板勾欄出人形型
製造年:2005年(平成17年)
大工:【あまの地車製作所】天野三郎
彫刻:【木下彫刻工芸】木下賢治 木下健司 【賢甲堂】河合申仁

◆歴代北村地車
・現地車:平成17年新調。
・先代:江戸時代新調の板勾欄型、現地車購入に伴い尼崎市塚口宮ノ町へ

参考)
地域の歴史について
角川書店 『角川日本地名大辞典 27 大阪府』

姿見

左が前方、右が後方

この世に存在する板勾欄型の中で最も新しい作品が北村地車です。
時代が進む中でどちらかと言えば淘汰されてきた板勾欄型ですが、先代地車に倣いあえて板勾欄型を選択されました。
下地車化の波に乗らない地域だからこそ出来たところではありますが、とてもセンスが良く、格好良いです。

台幅は広めで、時よりやりまわしをこなしつつ、伝統の横しゃくりも見事に披露してくれます。

側面より

板勾欄型と言っても様々な仕様のものが存在していますが、板勾欄で風景・出人形で人物を表現するのではなく、先代地車同様に背景と人物を全て板勾欄で表現する仕様が採用されました。題材も先代地車に倣っています。

斜め前より

折衷型の要素も取り入れられており、筒柱でくびれのある点や多めの枡組で美しく屋根まで広がる様は折衷型ならではの良さです。

破風

天野工務店系列の折衷型地車は綺麗な入母屋屋根が特徴ですが、江戸・明治に製作された板勾欄型の例に倣い、あえて切妻型で製作されたと思われます。

枡組

4段2手先の組物が入ります。

鬼板

上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』

河合申仁師の作品です。
非常に深い彫りでありながら、他町のどの作品とも似ていない、獅子噛に求められる個性がよく現れた獅子噛です。

箱棟

箱棟:『龍』

懸魚・桁隠し

大屋根前方
懸魚:『鳳凰』
桁隠し:『雲海』

大屋根後方
懸魚:『鶴』
桁隠し:『雲海』

小屋根
懸魚:『大鷲に猿』
桁隠し:『松』

懸魚は古風に獣の題材が採用されました。

車板・枡合・虹梁

大屋根前方
車板:『太田田根子命』
虹梁:『龍』

正面から見た際に最も目立つ場所に、地元に縁のある題材が採用されました。

太田田根子命は崇神天皇の勅命で茅淳県陶邑(ちぬのあがたすえむら・当地のこと)で探し出され、大三輪大神(大物主大神)をお祀りする大神主となります。
そして、自身の祖霊を祀るために陶荒田神社を創建し、初代神主となりました。

小屋根
車板:『醍醐の花見』

以後の枡合等も同様に、屋根周りは太閤記で統一されています。
枡合等に彫刻されることが多いですが、上地車の妻側車板の大きなスペースに彫刻されると華やかさが際立ちます。

右面大屋根側
枡合:『日吉丸蜂須賀小六と出会う』
虹梁:『龍』

右面小屋根側
枡合:『長短槍試合』

地車彫刻としてはあまり見かけない題材ではないでしょうか。

長槍が有利とする藤吉郎と短槍が有利とする上島主水で、互いに50人の足軽をつけ、3日の準備期間を経て勝負をする場面。
上島は3日間朝から晩まで猛特訓を行い、足軽達をボロボロにしてしまう。対する藤吉郎は2日間酒宴を開いた後、たった2種類の合図による集団攻撃を教え、更に成果を上げた者は褒美を与えるとして、足軽達のチームワークと士気を高めた。

結果は統率の取れた動きをした藤吉郎の作戦勝ちで、戦いは武術だけでなく知恵を使うことが大切、という教訓の話です。

左面大屋根側
枡合:『藤吉郎信長に初見参』
虹梁:『龍』

草履取りではなく、小牧山の狩場で織田信長に仕えることを直訴する場面。

右面小屋根側
枡合:『藤吉郎初陣』

木鼻

木鼻:『阿吽の唐獅子』

斜めを向く程度で小物を持たせない辺り、より上地車らしさをイメージしたものでしょうか。

柱巻き・板勾欄・縁葛

まずは全景から。

柱巻き・板勾欄はなかなかマニアックな題材ですので、簡易的な解説付きでご紹介します。

柱巻き:『碧蹄館(ピョクジェグァン)の戦い』

向かって左手は日本側の武将。
(左上)小早川隆景 (左下)吉川広家

李如松率いる明軍は日本軍から平壌を奪還し、漢城(ソウル)を目がけて南下します。
迎え撃つ日本軍は漢城を占拠していましたが、籠城作戦は不利と判断し、約18km北上した碧帝館にて明軍と衝突します。
明軍先鋒を迎撃した日本軍先鋒の立花宗茂隊に続き、先鋒二番の小早川隆景隊は李如松本隊を迎撃します。

吉川広家は小早川隆景と共に戦い、毛利家の別動隊を指揮した武将です。

柱巻き:『碧蹄館(ピョクジェグァン)の戦い』

向かって右手は明側の武将。
(右上)李如松:りじょしょう (右下)楊元:ようげん

李如松は平壌奪還で活躍した砲兵隊に対して、次は自身の派閥である騎馬隊に手柄を立たせたいと考え、騎馬隊先行・砲兵隊後続の配置で碧帝館の戦いに臨みます。
しかし、碧帝館は騎兵隊の機動力が活かせない狭い渓谷にあり、前日の雨でぬかるんでいたことから身動きが取れなくなり、敗北の要因となってしまいます。

揚元は李軍の副総兵として活躍した武将です。日本軍に撃破される先行の騎馬隊に対し、砲兵隊を引き連れて応戦しましたが、撤退を余儀なくされました。

板勾欄・縁葛

前方
板勾欄:『晋州城(チンジュソン)の戦い』
縁葛:『秀吉高松城水攻め』

(左)除礼元:ソイエウォン (右)後藤基次
晋州城の戦いは、日本軍が敗退した第一次攻防戦と勝利した第二次攻防戦がありますが、こちらは第二次攻防戦が表現されています。
第二次攻防戦は朝鮮の役における最後の大きな戦いです。

碧帝館の戦いで勝利した日本軍ですが、秀吉は朝鮮半島南部支配において、晋州城が未攻略であることを許さず、再び晋州城を攻撃することを命じます。
そして、日本軍は加藤清正・黒田長政・小西行長等、名だたる武将勢揃いの92000人の大軍勢で晋州城を包囲します。

対する朝鮮軍は晋州城から主力部隊を撤退させており、更に明からの援軍も得られず、孤立状態となってしまいます。
除礼元は第一次攻防戦で大活躍した牧師(地方長官・市長のこと)金時敏の後任者として晋州城に入るも、戦意喪失状態にありました。

籠城する朝鮮軍に対して日本軍は亀甲車を用いて城壁を破壊し、後藤基次を先頭に城内に乗り込み、晋州城を陥落させました。

右面大屋根側
板勾欄:『平壌城(ピョンカンソン)の戦い』
縁葛:『光秀勢亀山集結』

(左)李潤徳:イユンドク (右)宗義智
この地車の板勾欄は右面→左面→前方の順番に見ると年代通りとなります。

大同江に到着した日本軍は朝鮮軍に和議交渉を行いますが、朝鮮軍は「明は朝鮮の宗主国のため、明への侵攻を止めない限り講和は不可だ。」と拒否し、交渉は決裂します。
そして、李潤徳率いる朝鮮軍は、大同江を渡れずにいた宗義智軍に夜襲を行います。
不意を突かれた日本軍は苦戦しますが、小西行長・黒田長政軍の加勢により形勢逆転し、朝鮮軍は敗走します。

平壌城にいた指揮官の尹斗寿と金命元は夜襲の失敗を知ると順安へ転進し、日本軍は無傷で平壌城を陥落させました。

左面大屋根側
板勾欄:『幸州山城(ヘンジュサンソン)の戦い』
縁葛:『四方田秀吉を急追す』

(左)前田但馬守長康 (右)権慄:クォンユル
李如松率いる明軍と権慄率いる朝鮮軍は日本軍を挟み撃ちする計画にしていましたが、明軍が碧帝館の戦いで敗れたため、朝鮮軍は単独で日本軍と戦うことになります。
宇喜多秀家を総大将とする日本軍は幸州山城を包囲しますが、朝鮮軍の高所からの火器・弓矢・投石攻撃により苦戦を強いられ、一日に三度攻撃するも攻め落とすことができませんでした。

脇障子

脇障子
右面:『陸軍将 権慄の勇姿』
左面:『武将 小西行長の勇姿』

間仕切り

間仕切り:『鶴』

火燈窓型にくり抜かれているのも昔風ですね。

縁葛

小屋根後方:『明智光秀小栗栖にて落命』

右面小屋根側:『本能寺の変』

左面小屋根側:『秀吉茶坊主に化け危機を逃れる』

三枚板

正面:『加藤清正馬上の勇姿』

やはり正面には加藤清正。2人の明・朝鮮軍を蹴散らしています。

三枚板・角障子

右面:『金汝吻(きんじょふん)の勇姿』

三枚板には板勾欄型ではよく見る題材が採用されています。

身長が七尺(2.1m)もある金汝吻は日本軍から恐れられており、真壁新三郎と荒御田勘左衛門の2人がかりでも討ち落とすことが出来ませんでした。

左面:『後藤又兵衛之虎退治』

この空間に3匹の虎を入れることや、又兵衛が銘槍の日本号を持っていることに拘ったと思われる作品です。
立体感がよく表現された虎も素晴らしく、他の虎退治とは一味も二味も違う、良い作品に仕上がっています。

摺出鼻

摺出鼻:『谷越獅子・獅子の子落とし』

左右で異なる場面が表現されています。

旗台

旗台:『力士』

この題材も従来の板勾欄型に倣ってのものでしょう。

持送り

持送り:『波濤』

土呂幕

前方:『秀吉本陣佐久間の乱入』

土呂幕は折衷型の奥行きを持たせた作品としつつも、写実的にスケールダウンしたものでは無い、上地車らしく人物が大振りで遠くからでも何の題材かよく分かるような作品となっています。
絶妙なバランスですね。

後方:『福島市松 拝郷五右衛門討取(奥 平野長安の討取り図)』

右面大屋根側:『糟屋武則 宿屋七左衛門を討つ』

右面小屋根側:『脇坂陣内 赤井景清を刺す』

左面大屋根側:『片桐且元三人刺し』

左面小屋根側:『加藤嘉明 浅井吉兵衛討取り』

下勾欄合

右面:『花鳥風月』

下勾欄は板勾欄ではなく、擬宝珠勾欄が採用されました。

左面:『花鳥風月』

台木

右面:『波濤』

動物は入れず、彫りの深い波をとにかく見てくれと言わんばかりの作品。
縁以外で平らな場所が全く見当たりません。

左面:『波濤』

金具

①破風中央:『雲海に宝珠』
②破風傾斜部:『昇龍』
③破風端部:『牡丹』 葺地に龍は珍しいですね
④垂木先:『北村』の文字。
⑤縁葛:『唐獅子』
⑥肩背棒先:『北村』の文字

三枚板にあります。
『大工 天野三郎 彫刻 木下賢治 木下健司』

先代地車

会館に保存されている先代の獅子噛も見させていただきました。
こちらがオリジナルの作品。

こちらが改修の近藤晃師の作品です。

出人形と枡合。

出人形。

いかがでしたでしょうか。

先代地車を引継ぎ新調された平成の板勾欄型。
普段は殆ど彫ることがない無いであろう人物のスケール感の彫刻ばかりですが、見事に違和感なく作られており、素晴らしい職人技だと思います。

また先代よりも細かく拘りぬいた部分が表現されており、非常に見応えのある作品ばかりとなっています。

陶器地区は村中は狭い道ばかりで、祭礼中はなかなか地車に近づく機会が無いですが、是非タイミングを見て素晴らしい彫刻群をご覧になってみてください。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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