大阪市平野区杭全神社 市町地車

皆さんこんにちは。

今回は先日お披露目曳行が行われました平野区の市町地車をご紹介いたします。

市町は平野郷で最も古い地車を所有している村で、ただ古いだけではなく、地元大工【柳屋】の作であることは特筆しておきたいところです。
柳屋の作品は他にも野堂東組の地車が該当しますが、そちらは手放され、現在は神戸市東灘区森にて曳行されています。

今回、残念ながら私はお披露目曳行を見にいけず、使用している写真は全て2014年に撮影したものです。
撮影当時はもうすぐ新調かな…的な話をされており、私もこの地車もそう長くはないのかな?また一台古い地車が消えてるのは残念だな…と思っていましたので、今回修復が行われたことを聞いた時は、大変嬉しい気持ちになりました。
今後もますますこの地車の価値は上がることは間違いないでしょう。

また、曳行面の話をしますと、市町は男子のみで曳行を行なっているのが特徴で、熱気溢れる様は平野随一のものがあります。中でも前上げでしゃくる様子は大変力強く、市町の名物となっています。

それではご覧ください。

大阪市平野区杭全神社市町地車

◆地域詳細
宮入:杭全神社
小屋所在地:杭全公園東方
歴史:昔は平野川を町の中央に導き、市浜と呼ばれる船着場を作っていた。平野川には柏原船が航行し、船着場近くには船問屋、魚市、野菜市が立ち町名の由来となっている。

◆地車詳細
形式:大阪型
製造年:1864年(弘化3年)
大工:(誤)【柳屋】三代目 柳兵衛忠良 (正)柳平兵衛 ←2022/06/20修正
彫刻:【彫清】初代 柳原清兵衛

◆歴代市町地車
・現地車:江戸末期製作の大阪型。
・先代:船地車との説がある。
1745年(延亭2年)には2台の引家台を牛頭天皇御祭に出していたという記録がある。(原本不明)
更に1795年(寛政6年)には壇尻2台保有という記事もある。

◆修理記録
・1925年(大正14年):【柳屋】四代目 柳豊三郎 【彫清】三代目 柳原清三郎にて修理
・1964年(昭和39年):梶内だんじり店にて修理
・1982年(昭和57年):吉為工務店にて修理 筒井和男にて彫刻修繕
・2021年(令和3年):植山工務店にて修理

参考)
地域の歴史・地車詳細・歴代市町地車・修理記録について
社団法人大阪観光協会 大阪のだんじり

姿見

左が前方、右が後方

平野のだんじりなので、類に漏れず大阪型の中では大型の地車です。
朱色の勾欄は他に例がなく、市町と言えば朱色の勾欄を思い出します。

側面より

平野ならではの仕様として、前後懐付きの台木に角形の肩背棒が取りつきます。
歯抜けの垂木先金具は荒々しい曳行によるものや、年月を重ねていることを表しているようで、これはこれで好きでした。

側面より

斜め後より

市町地車を製作した2年後に先代野堂東組地車が完成しましたが、非常に良い出来だったので、市町の人々は自分達の地車を更に立派にしてもらおうと柳屋に地車を置き去りにしてしまったそうです。
柳屋は欄干と彫物まわりに手を入れて納得させたとのこと。

破風

薄く平たい形状で、どことなく堺型風です。
大きな桁隠しが特徴です。

鬼板と懸魚は前後共一体の題材となっています。

枡組

出三つ斗組です。この辺りもどちらかと言えば堺型風です。

箱棟

箱棟:『龍』

五瓜に唐花紋・左三つ巴紋の金物が取りつきます。

箱棟:『龍』

鬼板

上から
大屋根前方:『鞍馬山修行の場』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『陳楠』

2面が飾目、1面が獅子噛になっていますが、飾目の地車はやはり格好いいですね。
獅子噛も小ぶりですが、大変良い顔をしています。

懸魚・桁隠し

大屋根前方
懸魚:『鞍馬山修行の場』
桁隠し:『鷲』

小屋根
懸魚:『梅福仙人』
桁隠し:『日輪月輪』

日輪月輪には本来金物が取りつきます。
こちらの彫刻は大正14年の修理時に取り付けられたものです。

車板・枡合・虹梁

大屋根前方枡合:『飛龍』

前虹梁は大太鼓を置く分、折り上げられており、漆塗りの下枠が大変美しいです。

小屋根
車板:『麒麟』
枡合:『飛龍』

枡合

右面大屋根側:『阿の龍』

右面小屋根側:『阿の龍』

左面大屋根側:『吽の龍』

左面小屋根側:『吽の龍』

枡合はいずれも枠からはみ出すように大きく彫刻されています。

木鼻

上が右面、下が左面
木鼻:『唐獅子』

谷越えの様子や子獅子がいたりや牡丹があったり、非常に豊かな世界観が表現されています。

断面が菊花状になるように細工がなされています。
これもかなり手間がかかる贅沢仕様です。

間仕切り

間仕切り:『鯉の滝登り』

火燈窓状にくり抜かれており、部材の形状に合わせた題材が採用されています。

脇障子

脇障子(前方):『武者』

脇障子(後方):『武者』

特に限定された場面ではないと思います。

三枚板

正面:『加藤清正朝鮮征伐』

三枚板は文禄の役・慶長の役に関する題材でまとめられています。

右面:『後藤基次虎退治』

左面:『李如松』

先の二枚は題材が刻まれていましたが、この一枚はありません。
明・朝鮮軍の人物かと思いますが、該当するとなると李如松くらいでしょうか。

勾欄合・縁葛

前方
勾欄合:『唐子遊び』
縁葛:『雲海』

後方
勾欄合:『唐子遊び』
縁葛:『雲海』

右面
勾欄合:『唐子遊び』
縁葛:『雲海』

左面
勾欄合:『唐子遊び』
縁葛:『雲海』

土呂幕

前方:『竜宮伝説』

前方のみ扉式になっています。

後方:『竜宮伝説』

右面大屋根側:『竜宮伝説』

右面小屋根側:『竜宮伝説』

左面大屋根側:『竜宮伝説』

左面小屋根側:『竜宮伝説』

台木

右面:『波濤』

左面:『波濤』

角台木、二枚ホゾになっています。

金具

①破風中央:『唐草模様』
②破風傾斜部:『昇龍』
③破風端部:『唐草模様』
④垂木先:『五瓜に唐花紋・左三つ巴紋』
⑤脇障子兜桁:『五瓜に唐花紋・左三つ巴紋』
⑥縁葛:『唐草模様』
⑦肩背棒先:『市』の文字。
⑧台木先:『市組』の文字。

いかがでしたでしょうか。

古い地車はオリジナルであることこそが貴重で、今回の改修でも大きく手が加えられていないのが非常に喜ばしいです。
また機会があったらじっくりと見てみたい一台ですね。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

「大阪市平野区杭全神社 市町地車」への5件のフィードバック

  1. 面白く拝見しました。
    さて、私は柳屋のゆかりの者です。
    それで、柳屋の屋号は『平兵衛』と『猪兵衛』だと聞いています。
    実際に墓石等では、この2種類のものがあります。
    ですので、『柳兵衛忠良』や『柳清兵衛』という名前を聞いたことがありません。
    恐らくですが、柳兵衛は柳平兵衛(ヘイベイ)ではないかと思います。
    まずはコメントまで

    1. 地車写真保存会

      匿名 様

      コメントありがとうございます。

      この記事を書く際に書籍の内容を参考にしたのですが、柳兵衛(やなぎべえ?)では名前として違和感を感じつつも、それ以上深く考えることはしておりませんでした。
      しかし、ご教示いただきました柳平兵衛であれば非常に自然な名前だと思います。

      大変貴重な情報をいただき、誠にありがとうございます。
      誤った内容を記述してしまうことが多々ありますが、今後も引き続き勉強させていただきます。

  2. 彫り物はどれも江戸時代のものですね。台木や柱いがいは弘化のもんか。すごいな。

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