大阪市東住吉区桑津天神社 桑津地車

皆さんこんにちは。

濱八町出身の地車シリーズ?として記事化する地車を決めていますが、今回ご紹介するのは下之町の先々代にあたります、現・桑津地車をご紹介いたします。
写真に残らないほど昔の濱八町の地車ですが、田中町は大阪型、宮本町・西之町は住吉型、上之町は神戸型改造の住吉型、下之町は堺型、上市町は板勾欄型、出屋敷町・元町は売却され現存不明といったように各村様々な形態の地車を所有していました。
下之町は唯一の堺型所有ですが、堺型は大阪型や住吉型よりも背丈の高い地車ですので、カチアイをするために迫ってきた時の迫力はなかなかのものだったのではないでしょうか。

堺型地車は、その名の通り堺で作られ・曳かれていた地車ではありますが、堺市内であればどの村も昔は堺型を曳いていた訳ではありません。
恐らく普及したタイミングによるものと思われますが住吉型が曳かれていたり、もしくははっきりと記録に残っておらず現存も不明なので、堺型かどうか微妙といった例もあります。
堺市以外に目を向けてみると現存していることが判断基準になってしまいますが、堺型地車は紀州街道方面ではあまり普及せず、竹内街道・西高野街道の先にある大和高田・広陵町・橿原・河内長野の方でよく普及しているのが事実となっています。

下之町は堺型があまり普及しなかったと思われる紀州街道沿いに位置していますので、何故堺型を所有していたのか色々考えてみましたが、漁師町ですので綿花を作って堺に売ることをしていたから堺に縁があったとは考えにくく、やはり曳き始めた年代が他の村よりも早かった(住吉型がそこまで普及していなかった)ので、地車を新調する際に堺型が選ばれたのではないかと考えています。他にそれらしい理由をご存知の方がいらっしゃいましたら、コメント欄にて教えてください。

さて、またしても前置きが長くなりましたが、ご覧ください。

大阪市桑津天神社 桑津地車

◆地域詳細
宮入:桑津天神社
小屋所在地:神社前

◆地車詳細
形式:堺型
製造年:1868年(明治元年)
購入年:1933年(昭和8年)7月
大工:【萬源】木村源平(内部に墨書きがあるとのこと)
彫刻:【彫又】一門
歴史:泉大津市下之町→大阪市桑津

◆歴代桑津地車
・現地車(3代目):1933年(昭和8年)に泉大津市下之町より購入。先代を売却以後この地車を購入するまでの期間は平野や田島から地車を借りていた。
・先代(2代目):1923年(大正12年)に淡路より購入するも、約2年後に大和郡山方面へ売却。
・先々代(初代):平野方面より購入した組立式。1919年(大正8年)頃まで高津宮の秋祭に曳行された。

参考)
製造年・大工について
花内友樹 著 泉大津濱八町地車禮讃

歴代桑津地車・修理年について
社団法人大阪観光協会 大阪のだんじり

姿見

左が前方、右が後方。

堺型ですので、背の高い地車です。
下之町時代の大正9年には住吉大佐で修理されており、桑津に来てからは平成6年に修理、平成11年に柱巻きの追加、平成14年に勾欄・脇障子の彫刻が追加・交換されていますので、オリジナルの箱型らしい角ばった印象からは少し離れています。

屋根上に細長い提灯を多数並べる飾り付けは今となっては大阪市内では桑津でしか見ることが出来ません。
他の地域では兵庫の和田宮にこの飾り付けが伝播し、今もなお続けられています。

側面より

構造的な話をすると、土呂幕が3分割の標準的な堺型仕様です。

他にも色々目を惹くところがありますが、まずは箱棟の豪華さが目立ちます。
また、オリジナルの台木が残っているのは驚きです。

類似している地車としては、奈良県橿原市の市場西垣内地車が最も近いと思われます。

台輪の細工・二重の木鼻、上下2分割でない土呂幕、彫刻の題材に日本の戦国武将(即ち明治時代に製作)、そして何より片背棒を支える貫腕がオリジナルの状態で最前部の柱と最後部の柱に設けられていることがポイントです。

桑津地車は背丈をかなり下げていますが、オリジナルではこれくらい背丈があったと思われます。

斜め前より

破風

柔らかく丸みを帯びている破風、オリジナルではありません。
オリジナルは小屋根が折屋根仕様になっていました。

枡組

腰回りの高さを下げるだけでなく、枡組も省略することで、高さを大きく下げています。
やはりオリジナルの堺型地車は大阪市内で使うには背が高すぎるのでしょう。

鬼板

上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』

オリジナルを模して彫り直されています。かなり似ていますね。

箱棟

箱棟:『龍』

これほど立派なものを有する堺型はなかなかありません。

懸魚・桁隠し

大屋根前方
懸魚:『鳳凰』
桁隠し:『龍』

市場西垣内地車を見ても、オリジナルの状態で桁隠しがあったと思われます。(でなければ、わざわざ後の時代に取り付けないと思います)
現在取りついている桁隠しは彫り直されたもので、下之町時代に彫り直されたものと思われます。

大屋根後方
懸魚:『鷲?』
桁隠し:『朱雀』

こちらはオリジナルが残っています。
大屋根後方まで丁寧に懸魚・桁隠しが設けられているのは珍しいです。
桁隠しの高さが控えめなのは元・小屋根のパーツで、摺出鼻に干渉するからでしょうか。

小屋根
懸魚:『控鶴仙人』
桁隠し:『龍』

小屋根は古風に仙人の題材が採用されています。鶴のはずですが、顔が鳳凰になってしまっています。
こちらの桁隠しは桑津時代に彫り直されたものでしょう。

車板・枡合・虹梁・持送り

大屋根前方
車板:『谷越獅子』
虹梁(構造):『唐獅子』(元・枡合パーツ)
虹梁(装飾):『雲海に龍』
持送り:『雲海』

かなり彫刻づくしになっています。
特徴は一枚モノの車板と持送りで、一枚モノの車板については市場西垣内地車も同じ仕様です。

小屋根
車板:『龍』

右面大屋根側
桁隠し:『雲海に龍』
虹梁(構造):『唐獅子』(元・枡合パーツ)
虹梁(装飾):『雲海に龍』
持送り:『雲海』

枡組を潰すために枡合彫刻として設けられていた唐獅子(少し出人形風の別パーツ仕様)は取り外され、構造的意味合いの強い虹梁に取り付けられました。
そして、桁を隠すように龍の彫刻が取り付けられています。

右面小屋根側
枡合:『牡丹に唐獅子』

小屋根側は枡組は残っていますが、虹梁には大屋根側同様にびっしりと追加で彫刻が取り付けられています。

左面大屋根側
桁隠し:『雲海に龍』
虹梁(構造):『唐獅子』(元・枡合パーツ)
虹梁(装飾):『雲海に龍』
持送り:『雲海』

左面小屋根側
枡合:『谷越獅子』

余談ですが、虹梁に持送りが設けられている堺型はそれほど多くありません。
また、枡合の彫刻のパーツが取り外せる仕様というのは堺北の大工仕事に見られるもので、桑津地車からもその要素を感じます。
他にも豪華な箱棟を持つ、桁隠しがある、一枚モノの車板等…堺北らしい仕事の要素が沢山あります。

しかし、桑津地車の場合、そもそも萬源の墨書きがありますし、屋根まわり以外は全く堺北の要素がありませんので、それがまた不思議な点です。

虹梁

また、余談です。

左:尼崎市北出屋敷西町、右:桑津地車

虹梁の模様に何か見覚えがあるな…しかも堺型ではなかったはず…と思い、調べるとありました。尼崎市北出屋敷西町地車・八尾市西郡地車のものと完全一致です。
私はこれは製作大工のカギだと勝手に思っているのですが、北出屋敷西町地車と西郡地車は金岡村の河村新吾製作の板勾欄型ですので、この地車から出ている墨書きの内容と一致しません。更に、最初から桑津地車に似ていると言ってきた市場西垣内の模様が桑津地車のものとは異なるのが最大の問題です。

虹梁の模様についての私の勝手な説は不成立ということでしょうか。そして次に考えるべきは製作年代が同じ等でしょうか。謎が多いです。

木鼻

木鼻:『阿吽の唐獅子・牡丹』

5重に見える細工の台輪、籠彫りの牡丹が豪華さを際立たせています。

柱巻き

柱巻き:『阿吽の龍』

こちらは桑津に来てから追加されたもので、立派な柱巻きです。

間仕切り

間仕切り:『龍』

脇障子

脇障子(前方):『獅子の子落とし』

脇障子は彫り替えられています。勾欄をまたぎ、ボリュームを持たせています。
オリジナルは市場西垣内地車のように細長いものでした。

脇障子(後方):『谷越獅子』

兜桁隠し

兜桁隠し:『牡丹』

兜桁隠しなるものがついています。仕口部分をカバーをして隠すのは堺北の地車にも見られる丁寧な仕事です。

三枚板

まずは全景から。

正面:『加藤清正の勇姿』

雑兵を軽々と持ち上げています。

右面:『薄田隼人』

左面:『後藤又兵衛虎退治』

三枚板はどれも戦国時代の題材、欠損していませんので、大変見ごたえがあります。

角障子

角障子:『鶴』

摺出鼻

摺出鼻:『松に猿』

摺出鼻:『松に猿』

旗台

旗台:『力神』

台木には後梃子の穴もまだ残っています。

勾欄合・縁葛

前方
勾欄合:『龍』
縁葛:『武者』

まるで板勾欄型のような見た目になるように、既存の勾欄合の上から龍の彫刻を取り付けています。
何故このような仕様にしたのかはよく分かりませんが、大変珍しいものです。

後方
勾欄合:『龍』
縁葛:『武者』

右面
勾欄合:『龍』
縁葛:『武者』

左面
勾欄合:『龍』
縁葛:『武者』

持送り

持送り:『牡丹に唐獅子』

大変良い作品がこちらにありました。

持送り:『竹に虎・松に猿』

松竹梅のバリエーションもありますが、今回は獣の題材です。

土呂幕

前方:『松』

予想通り、濱八町時代のカチアイで損傷したと思われる形跡がありました。
恐らく扉式ではなく、間仕切りと同じような形状をしていたと思われますが、開閉するような形状ではないため、損傷しやすかったのかもしれません。

後方:『武者』

右面:『武者』

後方の武者の顔は加藤清正?

左面:『武者』

特にどの時代の話かは読み取れません。

下勾欄

右面:『波濤に鯉』

左面:『波濤に鯉』

台木

右面:『波濤に鯉』

左面:『波濤に鯉』

オリジナルが残っています。
桑津は泉州方面に比べればまだ穏やかな曳行スタイルではあるかと思いますが、走ったり・しゃくったりはそれなりにしています。四本巻きや飴棒がありますので、足回りは強固に締まっていると思われますが、まだ使用できるのが驚きです。

金具

①破風中央:『雲海に宝珠』
②破風傾斜部:『昇龍・降龍』
③破風端:『雲海』
④垂木先:『左三つ巴紋』
⑤脇障子兜桁:『左三つ巴紋』
⑥柱:『龍』
⑦勾欄親柱・縁葛:『龍・玄武』 勾欄の金具は大阪市内の地車ではよく見るもの。こちらに来てから取り付けたのでしょう。

小屋根の奥にあります。

富山県井波彫 拫古等
平野区大工棟梁 大市 河合工務店
地元 保存会々長 西田常三郎 と書かれています。

恐らく平成6年の修理の記録と思われます。

いかがでしたでしょうか。

地車本体のことばかりを書きがちですが、桑津と言えばやはり長い伝統を誇るお囃子。
演奏技術が大変高く、使用されている太鼓・鉦も非常に良いものですから、大変聴きごたえのあるお囃子をいつも演奏されています。

ご興味を持たれた方は、大阪市内唯一の堺型であり懐かしの濱八町出身の地車、そして素晴らしいお囃子を聴きに桑津を訪れてみてはいかがでしょうか。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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