
皆さんこんにちは。
今回は最近修理を行った地車として、尼崎市中在家の地車をご紹介します。
中在家は尼崎市貴布禰神社の氏子地域にあたり、地車と珍しい船地車の2台を所有しています。
元は村中を現在よりも細かい単位で分け、東一・西上一・西一・濱二・東三・西三・東四・濱四・濱五とそれぞれ9台の地車と船地車を所有していましたが、いずれも売却等され、元・西三の地車が現在の中在家地車となりました。
地車は1台になりましたが、それぞれ地車を所有していた名残として、各村の名前が描かれた提灯を付け、各村の紋が描かれた法被を着ているのが中在家の特徴です。
また、中在家の地車祭の歴史は尼崎の中で最も古く、宝永8年(1711)年には曳行されていたとの記録が残っています。
それではご覧ください。
尼崎市貴布禰神社 中在家地車
◆地域詳細
宮入:貴布禰神社
小屋所在地:中在家公園南東部、船だんじり小屋と同じ通り
◆地車詳細
形式:大阪型
製作年:江戸時代
大工:不明
彫刻:服部・相野一門
姿見

左が前方、右が後方
古い大阪型です。
元から中在家の地に存在していたのか、どこかから購入してきたのか、詳細は不明です。
大きな三枚板の彫刻が目を惹きます。

側面より
各村の名前が描かれた提灯をつけています。
また、この地車は一枚モノの土呂幕が大きな特徴です。
新材が随所に見られますので、これまでも地元で何度かメンテナンスされているようです。

斜め前より
山合わせをする地域ならではの太く長い肩背棒が取り付きます。
破風

勾配の緩やかな破風です。桁隠しはつきません。
桁

桁:『雲海』
枡組などはなく、直接の仕口になっています。
鬼板

上から
大屋根前方:『玉を掴む青龍』
大屋根後方:『獅子嚙』
小屋根:『獅子嚙』
大屋根前方は大きな龍がおり、中在家の地車と言えばこの龍を真っ先に思い浮かべます。また、玉の中には7つ星が描かれています。
2013時点の写真では大屋根後方はまだオリジナルの獅子噛がついていました。最近では大屋根後方・小屋根共に新しい獅子噛が取り付けられています。
オリジナルの獅子噛は船だんじりと瓜二つの顔をしていますが、何か関係性があるのでしょうか。詳しくは知りません。
箱棟

箱棟:『龍』
前方の龍の胴体を表現しています。
懸魚

懸魚:『猿掴む鷲』
彫り替えられた作品のようです。

小屋根:『桃持ち猿』
地車彫刻としては珍しいかもしれませんが、縁起の良い題材です。
車板

大屋根前方:『竜宮伝説』

小屋根:『谷越獅子』
基本的に竜宮伝説で統一されているこの地車ですが、小屋根車板と平側の土呂幕はよくある地車の題材です。

右面大屋根側:『貝づくし』

右面小屋根側:『貝づくし』

左面大屋根側:『貝づくし』

左面小屋根側:『貝づくし』
竜宮伝説に合わせたと思われますが、貝の彫刻が施されています。
貝の彫刻で思い出すのが河内長野市市町東地車の勾欄合、あとは魚介類の商売を行っていたことに由来し、海にまつわる題材が豊富な地車として大阪市野堂北組地車と、その先代にあたる神戸市都賀地車を思い出します。
あとは野里西之町にも確か竜宮伝説の彫刻があったと思います。
新調したのか購入してきたのか、この地車の詳細は不明ですが、中在家は魚市場があり、漁業の商人や漁師が住んでいる地域で、京都・大阪方面へ魚介類を販売していましたので、この地で新調された地車だとしても全く違和感はありません。
木鼻

上が右面、下が左面
木鼻:『阿吽の唐獅子・獏・獏様牡丹』
妻側は唐獅子、平側は獏です。
大屋根と小屋根の段差部の木鼻は浪花彫刻の作品でたまに見かける、植物で動物を連想させるような彫り方をする技法が用いられています。
動物のように見えることを楽しむ彫刻なので、通常は目を描かれたりすることはありません。今回の修理で補修されるのではないでしょうか。
水引幕

水引幕:『抱き菊の葉に菊紋』
貴布禰神社の社紋です。
天蓋

天蓋:『飛竜』
飛竜の群遊でこれは凄い作品だ、と思いましたが、よくよく見てみると両サイドの飛竜は身体が途中で切れています。
どうやら元は車板か土呂幕の部品だったものをこの場所に並べてあてがっているようです。
この部分はどうなるのでしょうか、飛竜の群遊の天蓋があればそれはそれで凄い作品になると思います。
脇障子

脇障子:『竜宮伝説』
こちらも彫り替えられた作品のようです。

脇障子の根本は勾欄を貫いておらず、途中に枡がありました。
他ではなかなか見ない面白い仕様です。
花戸口虹梁

花戸口虹梁:『波濤』
美しい火燈窓の形状をしています。
三枚板

正面:『竜宮伝説』
竜宮伝説の統一彫りです。
火燈窓の形状ではありますが、くり抜き方に特徴があります。

右面:『竜宮伝説』
妻側も火燈窓ではありますが、角型にくり抜かれています。

左面:『竜宮伝説』
梯子があるので、斜め方向から。
勾欄合・縁葛

勾欄合:なし
縁葛:なし
山合わせで損傷しやすい箇所ですので、彫刻はなしです。
土呂幕

前方:『松皮菱格子』
妻側は松皮菱格子です。通常の菱格子よりも手間がかかる仕様です。

右面:『波濤に兎』

左面:『波濤に兎』
この地車の珍しいポイントで、平側の土呂幕が一枚モノになっています。
柱より手前に土呂幕の板を設けているために、このような仕様が可能となっています。
台木

前方より

側面より
彫刻はなく、猫木は前後で分割されています。
金具

①破風中央部:『菊』
②破風傾斜部:『昇龍』
③脇障子兜桁:『中在家』の文字。
④脇障子:『昇龍』
⑤三枚板:『雲海・昇龍』
⑥勾欄親柱:『牡丹』
⑦勾欄・縁葛:『菊』
⑧肩背棒先:『菊紋・左三つ巴紋』
⑨台木先:『槌紋?』
⑩台木先:『変わり牡丹紋?』
⑪台木先:『三本杉紋』
⑫台木先:『細桜紋?』 台木先の家紋はかなり難解です。近しいものしかヒットしません。
いかがでしたでしょうか。
大変貴重な江戸時代の地車、荒々しい山合わせを行いながらもオリジナルの要素を多く残したまま存在しているのは凄いことだと思います。
今後も末永くこの地で活躍してほしいですね。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
中在家の天蓋、泥幕は昔の船だんじりの
物です、45-6年前に台木を変えた時に付けたものです。
火灯窓も、元は、釣鐘型でしたが、その時に切られ、今の型になりました。
コメントありがとうございます。
現地を訪れた際にそのような歴史話を伺えませんでしたので、大変勉強になります。ありがとうございます。
土呂幕はてっきりどこかの欄間彫刻を移してきたものかと思っていました。
匿名ですいません、
今その時期の事知ってはる人は、1人ぐらいだと思います。
いえいえ。
様々な場所でヒアリングをしても約50年前のこととなると、ご存知の方が本当に限られています。
一筆小屋や会館に記録があれば良いのですが、地車に対する文化財的認識は各地で様々で、つい数年前まで有識者が生きていたので色々聞けたのに・・・といった形が一番ショックです。
有識者の方々から話を伺えた時にはいつも感動し、しっかりと記録に残しておかなければと思います。