羽曳野市白鳥神社 古市東町地車

皆さんこんにちは。

コロナウイルスの影響でだんじりを見る機会が全くなく、気がつけばもうすぐ岸和田祭りの時期ではありませんか!
どこもかしこも秋祭りの中止が決定し、祭りが近づいてくる高揚感が無いせいで、すっかり季節感のない生活になってしまっていますね。

こりゃいけない!ホームページだけでも更新したいな・・・と思っていたところ、丁度古市東町の方とお話する機会がありましたので、そう言えばまだ記事を書いていなかったことを思い出しましたので、今回は古市東町をご紹介したいと思います。

それではご覧ください。

羽曳野市白鳥神社 古市東町地車

◆地域詳細
宮入:白鳥神社
小屋所在地:蓑の辻から竹内街道を東進してすぐ

◆地車詳細
形式:特殊
製作年:1865年(慶応元年)
大工:松永某
彫刻:不明

参考)
製造年・大工について
『山車だんじり悉皆調査』 http://www5a.biglobe.ne.jp/~iwanee/

姿見

左が前方、右が後方

東町と言えばやはり前方勾欄の五條大橋、他では見ない仕様です。
後方は幕式になっており、勾欄の外側へ垂らすように幕が取り付けられています。

側面より

土呂幕も幕式になっています。
幕に隠れているので分かりにくいですが、柱は8本の通し柱になっており、2番目と3番目の柱の間には火燈窓の細工が施されています。
この細工は同じ大工の作品である古市南町(改修により現在は消失)、他には太子町の東條地車に見受けられます。

前方に勾欄が張り出しているので、斜材が取り付けられています。

斜め前より

大工は松永某であることは様々なサイトにも記述はありますが、何処からこの名前が出てきたのかは私もよく分かっていませんので、是非機会をみて聞いてみたいと思います。
某と書かれていると言うことは、下の名前が読み取れなかったのでしょう。

製造年代についても、なぜそれだけハッキリと分かっているのか、棟に書いてあったのか、書物に残っていたのか出典が気になります。

斜め前より

大工ネタでもう一つ。
同じ大工の作品である古市南町ですが、改修前の写真を見ていると、破風と蓑甲の間に段差がなく勾配は急であったり、彫刻師が彫又一門のようで縁葛の彫刻の方法が異なっていたり、細かいところで東町と差異が見られます。
今となっては比べようがないのが少し残念ですが。

破風

蓑甲と葺地に段差がつく独特の仕様、オリジナルではありません。
元来はもう少し蓑甲の間隔が大きく、古い大阪型風の破風でした。

オリジナルの状態で桁隠しは存在していなかったようです。

鬼板

上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』

耳が寝ており、顔は何となく相野一門風の印象ですが、見慣れたものとは異なる表情です。
また、小屋根のものは明らかに大屋根側とは異なったイメージで彫刻されており、鞘耳・角が特徴的な鬼の顔をしています。

角を持つ獅子噛は珍しいですが、全く存在しない訳ではなく、江戸時代の古い地車に見られる仕様です。
私が真っ先に思いつくのは、画像の大阪市海老江東之町(彫替前)のもの。

他にも古い地車では吹田市金田町、新しい地車では泉大津市田中町が該当します。
完全に鬼瓦の表情をしている作品もあり、吹田市登呂須・交野市私部東・交野市私部西・交野市私市が該当し、いずれも古い地車です。

懸魚

大屋根前方:『鳳凰』

小屋根:『鳳凰』

車板・枡合

大屋根前方
車板:『青龍』
枡合:『牡丹に唐獅子』

小屋根
車板:『飛龍』
枡合:『竹に虎』

右面大屋根側
枡合:『牡丹に唐獅子』

右面小屋根側
枡合:『竹に虎』

左面大屋根側
枡合:『牡丹に唐獅子』

左面小屋根側
枡合:『竹に虎』

平側は分かりやすく、牡丹に唐獅子・竹に虎の並びです。

木鼻

上が右面、下が左面
木鼻上人形(右):『?・?・?・黄安・馬子皇・傘風子・?』
木鼻上人形(左):『蝦蟇仙人・?・王子喬・張果老・?・?・琴高仙人』
木鼻:『阿吽の唐獅子』

台輪が外側へ大きく張り出し、その上に仙人が乗っています。

脇障子竹の節・兜桁

脇障子竹の節:『竹に鶯』
兜桁:『阿吽の龍』

兜桁は彫り替えられています。

脇障子

脇障子:『?』『長坂の戦い 趙雲・張飛』

馬に乗っている姿が見えたので黄石公と張良かと思いきや、反対側も馬乗りなので違う様子。
よく分かりません。


コメントにて長坂の戦いとご教示いただきました。ありがとうございます。

確かによく見ると、趙雲の腕に小さく阿斗の顔が彫刻されていたり、張飛の馬の足元は橋桁らしい表現がなされているように見えます。

水引幕

右面:『碇知盛』

少し年期が入った幕のようです、メーカーや製造年代は分からず。
中央には可愛らしい蟹の刺繍も。

左面:『義経八艘跳び』

左右とも源平合戦で統一されています。

見送り幕

見送り幕:『阿吽の龍』

東の字を中心に左右に龍がいます。幕式は昔ながらの古市の地車の化粧スタイルで大変格好いいですね。
今では東町と中町が常時見送り幕をつけています。堂之内は三枚板彫刻があるので、その上からつけている時もあればつけていない時もあります。
西町と南町は改修前は見送り幕をつけていましたが、立体彫刻の見送りに改修されてから幕をつけることはなくなりました。

板勾欄・勾欄合・縁葛

前方
板勾欄:『五條大橋』
勾欄合:『波濤に兎』
縁葛:『竜宮伝説』

東町と言えば何と言ってもこの場所が最大の特徴です。
部分的に板勾欄の地車は堺型等に存在していますが、平桁より上の架木の部分にかけて板勾欄になっているものは珍しいです。
板勾欄で橋を表現し、弁慶と牛若丸は出人形で表現されています。

右面
勾欄合:『波濤に兎』
縁葛:『竜宮伝説』

左面
勾欄合:『波濤に兎』
縁葛:『竜宮伝説』

縁葛は井桁組になっています。
古い大阪型で見られる仕様です。

土呂幕

前方

法被と同じ東の一文字です。
台木は前梃子がさせるように切り欠きが設けられています。

後方

後方は古市の囲いの中に東町の文字です。

土呂幕・台木

右面
土呂幕:『木瓜紋』
台木:『波濤』

左面
土呂幕:『木瓜紋』
台木:『波濤』

台木は改修されています。
醒ヶ井一門の作で、平成初期頃の改修でしょうか?

金具

①破風中央:『雲海に宝珠』
②破風傾斜部:『昇龍』
③破風端:『波濤』
④垂木:『東・若』の文字
⑤縁葛:『波濤に鯉』
⑥肩背棒先:『東』の文字

いかがでしたでしょうか?

今回記事を書くにあたり色々話を聞きましたが、古市6町の中で地元大工の作品であり、流行りのやりまわし中心の祭礼スタイルに転じることなく曳行しているのは東町のみ、参加人数も多く非常に活気に溢れた地車曳行をしているということを知り、改めて東町の魅力に気づかされました。
今後も古市の伝統を受け継ぐ中心的存在であり続けることは間違いないでしょう。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

「羽曳野市白鳥神社 古市東町地車」への11件のフィードバック

  1. 脇障子は、長坂の戦い 趙雲と張飛ですね
    棟札がありますが、年号は、改修時の可能性もあります。

    1. 地車写真保存会

      通りすがり 様

      ご教示いただき、ありがとうございました。修正させていただきました。

      何故そこまではっきりと製作年代が分かっているのか気になっておりましたが、棟札があるのですね。
      貴重な情報、ありがとうございます。

      1. 平成の大修理の棟札も作り、だんじりの中に納められていますので、100年後、150年後にまた歴史を知ることができます。大修理の棟札の写真も古い棟札が掲載された記念紙に掲載されています。

        1. 地車写真保存会

          古市住民さま

          100年以上先を見据えて大修理の棟札を作るなど、そのようなことをしている町は他に無いのではないでしょうか。
          地車愛を感じる大変素晴らしい話ですね。

  2. 年号は、平成の改修時に出てきた棟札に記載されています。
    その棟札の写真が東町だんじり150年記念事業で町会から配られた記念紙に掲載されていました。

  3. 年代は、平成の大修理時にだんじりから出てきた棟札に記載されていました。
    その棟札の写真が東町だんじり150年記念事業で町会から配られた記念紙に掲載されていました。

    1. 地車写真保存会

      古市住民さま

      ご教示いただき、ありがとうございます。
      棟札が出てきたのですね。

      そう言えば、2014年に150周年記念事業が行われていたのを思い出しました。
      あれからもうすぐ10年が経ちますが、江戸時代に作られた地車をずっと大切に曳行されている東町は本当に素晴らしいと思います。

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