大阪市平野区旭神社 加美北東地車

皆さんこんにちは。

勢いに乗って、私が書きたいと思った地車の記事をもう一つアップしたいと思います。

加美北東地車は大阪市内に存在する数少ない板勾欄型地車の一台です。
元・和泉市富秋町の地車で、加美北東に来る直前はやりまわし中心の祭礼スタイルで曳行されていました。
昭和末期~平成初期にかけて改修工事を受けたため、オリジナルの要素が若干抜けていますが、板勾欄は健在で板勾欄型好きにとっては嬉しい状態です。
購入から20年が経ち、今となってはすっかり大阪方面仕様の提灯飾りも板につき、この土地に馴染んだ地車となっています。

それではご覧ください。

大阪市平野区旭神社 加美北東地車

◆地域詳細
宮入:旭神社
小屋所在地:衣摺加美北駅南方高架下

◆地車詳細
形式:板勾欄出人形堺型
製造年:明治時代
購入年:2000年(平成12年)
大工:不明
彫刻:彫又一門
歴史:堺市百舌鳥赤畑町→和泉市富秋町→大阪市加美北東

参考)購入年・歴史について
『山車だんじり悉皆調査』 http://www5a.biglobe.ne.jp/~iwanee/

姿見

左が前方、右が後方

富秋町時代にやりまわし可能な仕様に改修(妻台の拡幅・破風の交換)、加美北東に来てから大阪型仕様に改修(懐作成・柱巻き撤去・旗設備撤去)を受けています。
現状でもかなり背は高いのですが、富秋町時代に鳥居をくぐれないため背を縮めているようです。

側面より

板勾欄堺型です。
一括りに板勾欄堺型と言っても構造には色々種類があります。

この地車は土呂幕まわりの柱が8本で擬宝珠タイプの下勾欄になっています。・・・この点は擬宝珠勾欄堺型としての要素が大きいです。
板勾欄については、板勾欄で背景を表現、出人形で人物を表現する独立仕様となっています。
脇障子が勾欄を跨いでいないので、前方から後方まで板勾欄が一続きになっているのが大きな特徴です。

斜め前より

柱は前方のみ丸柱で、それ以外は角柱になっています。

斜め後より

破風

勾配が少なく幅広の屋根、改修によりこの形状になったと思われます。
桁隠しはつきません。

枡組

隅肘木の先が尾垂木のように下部へ張り出しているのが特徴です。
実肘木・肘木とも先端に牡丹の彫刻が施されており、かなり凝った意匠です。

小屋根の枡組は雲肘木タイプになっています。

鬼板

上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』

見慣れない顔なので、彫刻師は誰ですか?と伺ったところ、中国より輸入したものとのことでした。
小屋根の作品を見てみると、なるほど表情等イラストチックと言いますか中国風な印象です。

もう一つ伺った話で、輸入された原型の作品では鬣がかなり長い状態だったそうで、所々散髪をしたとのことです(笑)

懸魚

大屋根前方:『控鶴仙人』

堺型で懸魚に仙人系の彫刻は少々珍しいのでは?といった印象です。

大屋根後方:『鶴』

小屋根:『鳳凰』

車板・枡合・虹梁

大屋根前方
車板:『山水草木』
枡合:『飛龍』
虹梁:『鶴』

台輪には雲海の彫刻が施されており、こちらもかなり凝った仕様。
独特な部分として、二重虹梁の下にもう一つ台輪ほどの厚みで梁が設けられていることが挙げられます。

虹梁に小さな鳳凰の彫刻が取り付けられています。

小屋根
車板:『山水草木』
枡合:『唐子遊び』

右面小屋根側
枡合:『唐子遊び』

右面大屋根側は撮影漏れをしていました。
枡合の題材は猿に鷲です。

左面大屋根側
枡合:『鍾馗の鬼退治』
虹梁:『鶴』

押さえつけられているのが鬼かは分かりませんが、恐らくこの題材で正解かと思います。

左面小屋根側
枡合:『唐子遊び』

小屋根まわりは唐子遊びで統一されています。

木鼻

上が右面、下が左面
木鼻:『阿吽の唐獅子』

左面の大屋根後方は撮影漏れです。

間仕切り

間仕切り:『鶴』

脇障子

脇障子:『松』

角柱に細長い脇障子、この辺りはとても擬宝珠勾欄風の仕様です。

この場所に以前は柱飾りの龍の彫刻が取り付けられていました。
現在は門真市打越地車・下三ツ島地車・小路地車にのみ残っている仕様で、明らかに特徴あるものですが、大工についてハッキリと分かっているのは門真市打越地車のみで、これらの地車に共通点があるかと言われると、柱飾り以外は全くありません。不思議です。

三枚板・角障子

三枚板

正面:『』

右面:『平景清錣引き』

顔が彫り替えられていますが、この題材で間違いないと思います。

左面:『坂田金時?』

提灯に隠れていますが、右手に斧を持っています。

角障子

角障子:『武者』

人物が彫刻されているのは前方側のみです。
酒を飲んでいる武者の彫刻は珍しいですね。

摺出鼻

摺出鼻:『牡丹』

大阪型では使用しないため、途中で切断されています。
持送りにはかなり縦長の部材が用いられています。

板勾欄・出人形・縁葛

前方
板勾欄:『?』
縁葛:『牡丹に唐獅子』

今となっては誰もおらず、何だか寂しい感じです。空間的に元は3体出人形がいたのでしょう。
二重勾欄は恐らくオリジナルの状態から存在していたと思われます。

後方
板勾欄:『武者』
縁葛:『谷越獅子』

後方の板勾欄はその他の面とは異なり、背景・人物共に一体で彫刻されるタイプ。

中央の出人形ですが、元は左前方の柱巻きにいたものです。
持ち手が金棒であることを見る限り、佐久間玄藩でよいでしょう。修復時に先端が刀になっているのはよくある間違いです。

何せよ活き活きとしたオリジナルの表情がよく表現されている作品です。

右面大屋根側
板勾欄:『武者』
縁葛:『牡丹に唐獅子』

同じく右前方の出人形も、元は右前方の柱巻きにいたもので、こちらもオリジナルの作品。
この風貌は加藤清正で間違いないでしょう。

しかし、元の柱巻きの状態を考えてみると少し違和感を覚えます。
先程の佐久間玄藩から柱巻きの題材は『秀吉本陣佐久間の乱入』(板勾欄型でもかなりよく柱巻きに採用される題材)だと思ったのですが、相手方にあたる位置にいるのは何故か加藤清正。
しかも後述の土呂幕には同じく賤ヶ岳の合戦の場面と思われる豊臣秀吉の姿が彫刻されており、場所が飛び飛びになっています。

右後方のものは彫り替えで、恐らく井波彫刻の中山慶春師の作品。
他の彫り替えられているものも師の作品と見てよいのではないでしょうか。

右面小屋根側
板勾欄:『武者』
縁葛:『牡丹に唐獅子』

またしても同じく、こちらの出人形も元は前方板勾欄に配置されていたものです。
本来そこには無いはずの出人形が後方へ集められてしまっているのは、富秋町時代にやりまわし中心のスタイルでの囃子方の乗り方をするにあたって邪魔であったからというのが大きな理由でしょうか。

同様の理由で出人形が行方不明になっている地車、本来の配列が分からなくなっている地車はいくつかあります。
まだ擬宝珠勾欄型へ改造されていないだけ、オリジナルの状態を尊重していると言えるでしょう。板勾欄出人形型の悲しい運命です。

左面大屋根側
板勾欄:『武者』
縁葛:『牡丹に唐獅子』

元より出人形として存在していた、かつオリジナルである個体が左面大屋根側後方にいる出人形です。
サイズも小ぶりですが、貴重な生き証人です。

左面小屋根側
板勾欄:『武者』

腕木

腕木:『唐草模様』

唐獅子等ではなく、唐草模様の彫刻になっています。
その下に肩背棒の腕がありますが、土呂幕を無理やり貫通せず、上手に柱に取り付けている辺りは個人的に高評価です。

土呂幕

前方:『鬼若丸鯉退治』

彫り替えられた作品です。
元々出人形のどこかにこの作品があったからこの題材にした?とも考えましたが、既存の板勾欄に波のようなものは見受けられませんので、そういった訳ではないようです。
元々この上部の板には堺型特有の閂が通っていました。

後方:『武者』

右面:『賤ヶ岳の合戦』

明確に千成瓢箪の纏と豊臣秀吉と思われる人物が彫刻されています。恐らく賤ヶ岳の合戦で間違いないでしょう。

まとめるとこんな感じです。
屋根まわりは仙人・中国の題材で江戸時代の地車仕様。
柱巻き・板勾欄は戦国時代で明治時代の地車仕様。
三枚板は源平合戦で江戸時代でも可能な地車仕様。(当然明治時代でも採用例あり)
土呂幕は戦国時代で明治時代の地車仕様。

実は土呂幕の彫刻を見るまで、オリジナルの獅子噛・三枚板・枡合・懸魚等の題材から、この地車は元々江戸時代生まれの堺型を明治時代に改修して板勾欄・柱巻きを付け加えたものなのでは?思っていましたが、土呂幕の彫刻の題材が源平合戦ならまだしも賤ヶ岳の合戦なので、その説の自信が薄れてしまいました。
明治初期に作られた地車なのでしょうか?謎です。

左面:『賤ヶ岳の合戦』

持送り

持送り:『虎』

木鼻

木鼻:『阿吽の唐獅子』

土呂幕周囲にも木鼻が取り付けられています。
この仕様の堺型はまれに見かけます。

下勾欄・台木

右面
下勾欄:『波濤』

左面
下勾欄:『波濤』

この地車の上部が板勾欄仕様であることから、下勾欄も元は板勾欄型だったのでは?とも一瞬思いましたが、八角形の親柱等から察するにオリジナルからこの仕様であったようです。

台木

台木:『波濤に龍』

大変に状態が良いことも見て、オリジナルを忠実に復刻した作品かと思います。
足回りだけ見れば通称箱型と呼ばれる擬宝珠勾欄堺型と同じ仕様です。

前方妻台

雛壇をくりぬいて上手に懐として活用しています。

後方妻台

旗台を撤去し、下勾欄を追加したと思われます。
後ろ梃子の穴は木材を用いて埋められていました。

金具

①破風中央:『雲海に宝珠』
②破風傾斜部:『昇龍』 破風端:『雲海』
③宝
④板勾欄端:『唐獅子』 縁葛端:『唐草模様』
⑤肩背棒先:前方は北・東、後方は六葉紋?に誠・友の文字が入っています。旭神社の社紋は恐らく橘紋と沢瀉紋で、法被には沢瀉紋が描かれています。
⑥下勾欄:『唐草模様』

いかがでしたでしょうか。

考えすぎて少し読みにくい文章になってしまったかもしれませんが、それだけこの地車が個性的であると私は感じています。
今回使用した画像は2013年に撮影したもので、暫く加美北東の祭礼を見に行っていませんので、来年は機会があれば是非訪れてみたいと思います。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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