池田市紀部神宮 新宅地車

皆さんこんにちは。

家にいる時間が多くなった関係上、記事のまとめを行う時間が多少生まれ、色々過去に撮影した写真を見返す良い機会となっています。
芸術品は実物を見るに越したことはないですが、今出来る方法で何とか趣味事を楽しみたいものです。

さて、今回は池田市の新宅地車をご紹介いたします。
この地車の存在は書籍等を見て知っていましたが、同時に長らく小屋に仕舞われたままとなっていることも知っており、一生見ることは叶わないかもしれないと諦めていました。
ところが2018年に久方ぶりに小屋が開かれ、祭礼日に飾り付けられるとの情報を聞きましたので、逃さず取材にやってきました。

初めて見る新宅地車・・・オリジナルの状態が残っていることと、繊細な彫刻を見て非常に感動し、2018年の忘れられない思い出の一つとなりました。

それではご覧ください。

池田市紀部神宮 新宅地車

◆地域詳細
宮入:紀部神宮
小屋所在地:神社境内

◆地車詳細
形式:板勾欄出人形住吉型
製造年:明治時代 1896年(明治29年)以前
大工・彫刻:住吉大佐
歴史:地車請取帳に新宅の記述が見られないことから、他村から購入したか?北摂地域で板勾欄型を所有しているのは新宅のみ。

(参考)
兵庫地車研究会 住吉大佐「地車請取帳」と彫刻
兵庫地車研究会 彫 地車彫刻の美 住吉大佐

姿見

前方より

これほど原型を留めている地車は今では殆どなく、貴重な存在です。
曳かれなかった期間は長かったかもしれませんが、保存状態が良く、大切に扱われていたようです。

斜め前より

破風

中央で二分され、厚さが控えめな破風。
隣懸魚はつきません。

枡組

出三斗組になっています。

鬼板

大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』

3面とも獅子噛になっています。
パッと見は明治20年代に量産されたタイプのものに近い印象を受けますが、眉がたち気味なので見比べると意外とそっくりなものは少なく、大和高田市奥田地車・河内長野市三日市南部地車・橋本市柏原地車の小屋根のものが近い表情をしています。

大屋根後方のものは前方・小屋根とは一見似ていますが、鼻まわり・歯の全く彫られ方が異なります。
小屋根のものは大屋根前方と似ていますが、爪が4本で鼻が大きく、横幅が大きい印象です。

(参考) 大和高田市奥田地車
大まかな表情・鬣の巻き位置など共通。大屋根と小屋根の指に本数差がある点も同じです。

ちなみに奥田地車は住吉大佐の地車請取帳の明治15年頃に初めて記述が登場し、明治31~34年頃にも再び記述されています。

懸魚

大屋根前方:『鳳凰』

大屋根後方:『雲海』

小屋根:『鷲』

取れてしまっていましたが、きちんと保管されています。

車板・枡合・虹梁

大屋根前方
車板:『雲海』
枡合:『龍』
虹梁:『牡丹に唐獅子』

この地車の不思議ポイント1。
大屋根平側と妻側で虹梁の構成が異なっており、妻側は装飾としての虹梁のみ、平側は構造体としての虹梁のみとなっています。
いずれも二重になっていない点では共通していますが、大屋根前方の虹梁の彫刻は激しく彫り抜かれており、少し彫刻のタッチが異なる気がします。

(参考) (左)上田南垣内地車 (右)北の辻垣内地車

上田南垣内地車は厚みが小さく、板に胴体を彫刻・顔は上から重ねて彫刻といった彫り方。
北の辻垣内地車は厚みが大きく、板に胴体・顔とも全ておさめて、余分な箇所は徹底的に彫り抜くといった彫り方。

上記で申し上げた彫刻のタッチが異なるとはこのことです。
枡合・虹梁が同じタッチで製作されている上田南垣内地車が自然と考えますが、枡合・虹梁が異なるタッチで製作されている北の辻垣内地車を見る限り、一部の年代・地車において、この製作方法は一般的だったのかもしれないとも考えられます。

小屋根
枡合:『龍』
虹梁:『雲海』

右面大屋根側
枡合:『龍』
虹梁:『雲海』

右面小屋根側
枡合:『龍』
虹梁:『雲海』

左面大屋根側
枡合:『龍』
虹梁:『雲海』

左面小屋根側
枡合:『龍』
虹梁:『雲海』

木鼻

上が右面、下が左面。
木鼻:『阿吽の唐獅子』

全部で10体います。

柱巻き・板勾欄

まずは全景から。

各所にある波の彫刻がとても印象的です、勾欄は内側に擬宝珠勾欄もある二重勾欄仕様となっています。
それでは部位別に見ていきましょう。

柱巻き

柱巻き:『敦盛呼び戻す熊谷次郎直実』

板勾欄

前方:『碇知盛』

壇ノ浦合戦の一場面。
縁葛は地車により板勾欄の題材と共通していたり、していなかったりまちまちですが、この地車は波にのまれる雑兵が彫刻されています。

右面:『義経八艘跳び』

右面

軽快に跳ぶ義経とそれを追いかける凄い形相の武者。

左面:『源義家 勿来の関に和歌を詠ず』

左面

脇障子

脇障子笠木上人形:『?』

住吉大佐の板勾欄型によくある、舞台がついた脇障子です。

間仕切り

間仕切り:『松に鷹』

三枚板

正面:『富士の巻狩り』

顔が取れてしまっていますが、迫力は十分伝わってきます。馬の表情も良いですね。
出人形らしく枠にとらわれず、生き物との大小関係や遠近感など割と自由で規格外な構図・・・というよりは三枚板らしく枠や技法にしっかりおさめている構図だと感じました。

(参考)北の辻垣内地車

同じ題材で、こちらは出人形ではない通常の三枚板。

縁葛

縁葛:『武者』

三枚板

右面:『佐々木高綱 馬を奪い頼朝加勢』

記述の題材だったようですが、彫刻が欠落していました。

左面:『悪七兵衛景清、東大寺に潜む』

こちらは正面と比べて、出人形ならではの構図の自由さの下に彫刻されていると感じます。

角障子

角障子:『武者』

人物が彫刻されています、こちらもなかなか人間味あふれる表情です。

摺出鼻

右面:『牡丹に唐獅子』

この地車の不思議ポイント2。
摺出鼻の構成が2パーツになっています。住吉大佐の板勾欄型は1パーツで構成されているものが多いですが、どちらかと言えば擬宝珠勾欄型寄りの構造です。
獅子噛が似ていることで例に挙げた大和高田市奥田地車もこの仕様にそっくりです。

左面:『牡丹に唐獅子』

(参考) (左)大和高田市奥田地車 (右)橿原市上田南垣内地車

奥田地車は題材も同じ、地車によっては猿(北の辻垣内地車)等もあり。
通常板勾欄型では右の上田南垣内地車のような1パーツの仕様が多数派です。

旗元

旗元:『牡丹に唐獅子』

旗本の押さえパーツとして使われていたであろう彫刻です。

旗台

旗台:『力神』

貫腕

貫腕

この地車の不思議ポイント3。
住吉大佐の板勾欄型の多くが、一つの渦巻き模様が入った部材を取り付けているところですが、この地車は他の地車でもあまり無いような曲線付きの部材を取り付けています。
交換したと言えばそれまでかもしれませんが、木の色合いもそれほど差異が見られませんので何とも言えないところです。

土呂幕

前方:『山水草木』

この辺りは一般的な仕様ですが、上の切れ込みが少し気になります。

後方:『武者』

右面大屋根側:『武者』

右面小屋根側:『武者』

左面大屋根側:『武者』

左面小屋根側:『武者』

台木

右面:『波濤』

台木はオリジナルと見て良いでしょう、住吉大佐の板勾欄型でよく見られる止めホゾの仕様です。

左面:『波濤』

この地車の不思議ポイント4。
妻側の持送り・下勾欄がないこと。
加えて妻側土呂幕と平側土呂幕の高さ寸法が異なり、平側土呂幕は通常の取り付け位置より下げて取り付けられています。代わりに土呂幕上部に梁材が二重に通されています。

とても不思議です。住吉大佐の板勾欄型で、下勾欄が撤廃されているものはこの地車くらいではないでしょうか?
足回りを全て解体するような大掛かりな改修がなされていないと思われるため、最初からこの仕様なのでしょう。

台木先の波の形状はよく見かけるものです。

猫木・芯棒

オリジナルの根木・木製の芯棒・梃子が保管されていました。

金具

①破風中央:『唐草模様に梅鉢紋』 恐らくオリジナルと思われますが、透かしになっており、非常に凝った金具です。
②破風傾斜部:『唐草模様』
③破風端部:『唐草模様』
④垂木先:『梅鉢紋』
⑤脇障子笠木:『右三つ巴紋』
⑥縁葛端:『波濤に千鳥』 千鳥の金物は住吉大佐の地車に取り付けられていることがあります。
⑦縁葛中央:『波濤に千鳥』
⑧肩背棒先:『梅鉢紋』
⑨台木前方
⑩台木後方

銘板

『住吉郡住吉邨 細工人大佐』と書かれています。
銘板に住吉邨と書かれている地車はこの一台のみです。

1896年(明治26年)4月より住吉村は住吉郡から東成郡となったため、この地車は明治26年以前の作と考えることができます。

いかがでしたでしょうか。

謎な部分はあるものの、銘板で大工・年代が特定できるように、まだまだいっぱいヒントをくれている地車でした。
他の地車も交えて比較をしてみましたが結論としては”擬宝珠勾欄型によく用いられる構造が一部において採用されている板勾欄型地車”といったところかと思います。

数十年の眠りから目覚めた新宅地車。
地車氷河期に入りつつあり、地車の維持管理等もなかなか厳しくはありますが、今後も曳かれなくとも祭礼日には飾り付けられ、村人・祭礼日に神社へ訪れる人々の目に触れることが出来る存在であり続けてくれることを願います。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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