富田林市錦織神社 加太地車

※この地車は2021年より山中田から加太所有となりました。
記事は山中田所有時代に作成したもので、画像も全て山中田時代に撮影したものを使用しております。

皆さんこんにちは。

ここのところ北河内の地車を沢山紹介してきましたが、ここで一旦南河内の地車もご紹介しておきましょう。

今回ご紹介するのは山中田(やまちゅうだ)のだんじりです。
山中田は令和3年に地車の新調を予定しており、現地車の活躍は来年で最後でしょうか?いずれにせよこの地車の今後の動向が気になるところです。

それではご覧ください。

富田林市大伴黒主神社 山中田地車

◆地域詳細
宮入:大伴黒主神社
小屋所在地:会館に隣接

◆地車詳細
形式:石川型
製作年:江戸末期~明治初期?
購入年:不明
大工:不明
彫刻:【彫又】西岡又兵衛

姿見

左が前方、右が後方。

石川型としては大きさは控えめで、直線的なシルエットが特徴です。
山中田と言えば横揺らしの最中にもの凄い角度を傾けたまま維持するパフォーマンスが有名ですが、控えめな背丈・低重心であるが故に出来るものと思われます。

斜め前より

破風

勾配は緩やかです。

石川型と言えば新堂組の存在が名前がはっきりと残っている名門大工であるため印象が深いですが、全ての石川型が新堂組の製作という訳ではありません。
山中田地車も遠目では新堂組製作の石川型地車と同型のように見えますが、破風の形状や枡組の入り方など作りが異なり、そもそも使用されている木材が桧ではなく欅で作られていることが大きく異なります。

参考に富田林市宮地車。新堂組大工により製作されています。

鬼板

上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』

過去に吉為工務店に修理に入っているようですが、目が彫忠特有のもので、彫忠でも修理を行なっているようです。

懸魚

大屋根前方:『鳳凰』

小屋根:『鷲』
鷲ときたら猿もセットのように思えますが、猿掴む鷲の題材は浪花彫刻に多く、彫又は鷲単品のことが多いですね。

枡組

出三つ斗になっています。新堂組の段数の多い組み方とは異なり、控えめなのが特徴です。

車板・枡合・虹梁

大屋根前方
車板:『富士の巻狩り 新田四郎猪退治』

先に申し上げておきますと、この地車は獣の題材、小屋根車板の司馬温公の甕割りを除いて、源平合戦の題材が大半を占めることが特徴です。

大屋根前方
枡合:『敦盛呼び戻す熊谷次郎直実』
虹梁:『飛竜』

大屋根後方
車板:『牡丹』

小屋根
車板:『司馬温公の甕割り』

前方が富士の巻狩りでありながら、後方は題材が全く異なり甕割り、そして又兵衛の銘。
柏原市本郷も同様の題材に堺彫又の銘があります。十八番の題材なのかもしれません。

小屋根
枡合:『富士の巻狩り?』
虹梁:『龍』

右面大屋根側全体

山中田地車は虹梁(構造)・長押・虹梁(彫刻)の構成になっています。
長押は最近新調の石川型では標準仕様ですが、古い石川型では共通して見られるものではなく、非常に贅沢な仕様です。

右面大屋根前方
枡合:『富士の巻狩り』
虹梁:『龍・唐獅子』

右面大屋根後方
枡合:『富士の巻狩り』
虹梁:『龍・牡丹に唐獅子』

右面小屋根側
枡合:『那須与一 扇の的』
虹梁:『鞍馬山修行の場』

左面大屋根側全体

左面大屋根前方
枡合:『富士の巻狩り』
虹梁:『龍・牡丹に唐獅子』

左面大屋根後方
枡合:『富士の巻狩り』
虹梁:『龍・唐獅子』

左面小屋根
枡合:『?』
虹梁:『朽木隠れ』

首が龍になっていますが、本来は異なる生き物のような気がします。

木鼻

上が右面、下が左面。
木鼻:『牡丹・唐獅子』

流石、西岡又兵衛銘入り地車なだけあって、彫又一門の作の中でもズバ抜けて良い作品の木鼻が入っています。

脇障子

脇障子:『牡丹』

この部分のパーツは脇障子と呼ぶべきか桁隠しと呼ぶべきか迷いますが、桁が隠れていないので、脇障子と呼びます。
大きさは控えめです。

勾欄合

前方:『波濤に千鳥』

右面:『波濤に千鳥』

左面:『波濤に千鳥』

勾欄合は新しい彫りのように見えます。吉為工務店での改修時に追加されたものでしぃうか。

土呂幕・台木

右面

左面

阿吽の龍がデザインされた幕をつけています。台木は二枚ホゾになっています。

金具

①破風中央:『雲海・宝珠』
②破風傾斜部:『昇龍』
③破風端部:『唐草模様』
④縁葛:『玄武』・勾欄:『唐獅子』
⑤縁葛:『玄武』
⑥縁葛:『波濤』 縁葛の玄武は結構凝ったデザインの金具が取り付けられています。

その他

泉刕之拾人堺 西岡又兵衛と書かれています。(刕は州の異体字。拾人は住人のこと。)

西岡又兵衛の銘を有する地車は他にもありますが、貴重なものです。
西岡又兵衛という人物は、銘がある地車同士を比較しても全然彫物の雰囲気が異なるものがあり、謎が多いです。
複数の人が名乗っていた・仕上げは別の人物が行った等説があります。

いかがでしたでしょうか。

貴重な西岡又兵衛の銘入り地車、じっくり見てみると非常に良い作品であることが分かっていただけるかと思います。

最後までご閲覧いただき、ありがとうございました。

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