皆さんこんにちは。
今回ご紹介しますのは奈良県広陵町の平尾地車です。
広陵町を含め、奈良県にはオリジナルから大きく手を加えられていない堺型が多く存在しており、マニアにとってはたまらないですね。
しかし、それら古い地車達も痛みの限界が近いのか、近年では文化庁の助成金を受けることが出来る影響もあって、少しずつ工務店で大規模に修理を受ける地車が出てきました。
修理を受けることによって地車は生き存えることが出来る訳ですが、やはり100年の時を経てきた貴重なオリジナルの姿は記録に残しておきたいところですね。
平尾はそんなオリジナルの姿を残す貴重な一台であります。
それではご覧ください。
広陵町天照皇太神社 平尾地車
◆地域詳細
宮入:天照皇太神社
小屋所在地:神社境内
歴史:室町期から見える地名。江戸時代は換金作物の栽培が盛んで、特にかぶが有名であった。古手・古道具・古鉄の三商売を兼ねる農民が嘉永7年に10余軒あり、中でも油屋太郎兵衛は豪商となった。大正初期靴下製造業開始、西部の丘陵が開発され、昭和58年に馬見南1~6丁目となる。
◆地車詳細
形式:擬宝珠勾欄堺型
製作年:明治時代
購入年:不明
大工:不明
彫刻:西岡弥三郎
歴史:?→広陵町平尾
地域の歴史について
角川書店 『角川日本地名大辞典 29 奈良県』
姿見
左が前方、右が後方
縦に長く箱形の堺型らしい姿見、真っ黒な木の色と提灯の飾りつけが良い味を出しています。
少々見えにくいですが、後方のみ板勾欄になっています。
側面より
縁葛は前後まで一枚で続くタイプ、土呂幕は虹梁で上下2段とする仕様です。
小屋根は折屋根の機構を備えています。
斜め前より
四周をぐるりとまわっている肩背棒は木の色も新しく、後の年代に取り付けられたものです。
斜め後より
破風
堺型らしい勾配が緩やかな形状です。
特徴あるのが桁隠しの存在、大半の堺型では取り付かないものです。
折屋根
上が右面、下が左面。
小屋根は折屋根になっていますが、合わせ面に飛龍の彫刻が施されています。
魅せる折屋根、良いですね。
鬼板
上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』
三面とも獅子噛で統一されています。
小屋根のものは橿原市今井町南地車のものに表情が大変よく似ていますが、あちらは彫竹(西川竹次郎)の銘が出ている地車ですので、西岡弥三郎の銘が出ているこの地車との関連性が気になるところです。
参考に今井町南地車。
懸魚・桁隠し
大屋根前方
懸魚:『鷲』
桁隠し:『猿』
懸魚と桁隠しがセットで猿に鷲の題材です。
大屋根後方
懸魚:『鷲』
一枚モノで作られています。
小屋根
懸魚:『鳳凰』
桁隠し:『猿』
小屋根は鷲ではなく、鳳凰でした。
車板・虹梁
大屋根前方
車板:『青龍』
虹梁:『牡丹に唐獅子』
小屋根
車板:『宝珠を掴む青龍』
後から交換された?部品のようです。 しかも、びっくり仰天!なんと芦高妻三郎の彫刻です。
右下に『彫師大和住 芦高盛貞』と刻まれており、同一人物と言われている山鳥亭盛貞と芦高妻三郎の名前を丁度混ぜたような銘が入っています。
こんなお宝がここに組み込まれているとは驚きです。
と、言うことはどうなんでしょう。
明治時代に既にこの地車が奈良に来ていたのか、先代地車があってその部品を取り付けたか、といったところでしょうか。
いずれにせよ、こんな彫刻が組み込まれると言うことは、かなり早い段階でこの地車は奈良に来ているような気がします。
枡合
右面
大屋根側枡合:『猩々?』
右面
小屋根側枡合:『牡丹に唐獅子』
左面
大屋根側枡合:『猩々?』
左面
小屋根側枡合:『牡丹に唐獅子』
車内枡合
前方:『鶴?』
小屋根の車板が後付けであるのを見る限り、元は小屋根正面の枡合だったものが移されてきたと思われます。
後方:『牡丹に唐獅子』
木鼻
上が右面、下が左面。
木鼻:『阿吽の唐獅子・牡丹』
花戸口虹梁
花戸口虹梁:『昇龍』
脇障子
脇障子:『谷越獅子』
大屋根まで続く縦長の部材が取り付けられています。
三枚板
正面:『阿部介丸龍退治』
右面:『神功皇后 応神天皇併産す』
左面:『神功皇后 応神天皇併産す』
三枚板は三韓の役に関する題材で統一されています。
この題材を見ると河内長野市小塩町地車を思い出します。
角障子
角障子:『谷越獅子』
摺出鼻
摺出鼻:『猿に鷲』
鷲が全て写りきっていませんが、二つの部材を合わせて『猿に鷲』の題材です。
旗台
旗台:『力神』
旗飾りは行っていないようですが、現存してくれています。
勾欄合・縁葛
前方
勾欄合:『波濤に兎』
縁葛:『?』
縁葛は分割ではなく、一枚モノになっています。
後方
板勾欄:『波濤』
縁葛:『?』
後方のみ板勾欄になっています。
右面
勾欄合:『波濤に兎』
縁葛:『?』
勾欄には後彫りで唐草模様が彫刻されています。ノミ跡的に彫刻趣味の人物が施した、程度の作品のようです。
左面
勾欄合:『波濤に兎』
縁葛:『?』
縁葛の題材は「?」としておりますが、村人の生活の様子が彫刻されています。あまり見ない仕様ですね。
持送り
持送り:『唐獅子』
腕木・持送り
上が右面、下が左面。
腕木:『阿吽の唐獅子』
持送り:『竹に虎・松に猿』
勾欄持ちの持送りには植物のみではなく、動物も彫刻されています。
土呂幕
前方:『竹に虎』
閂の跡が残っています。
貫腕で塞いでいるのを見る限り、周囲に肩背棒を回す際に閂はもう使わないことに決めたようです。
後方:『仁田四郎猪退治』
右面
上段:『富士の巻狩り』
下段:『唐獅子』
左面
上段:『富士の巻狩り』
下段:『唐獅子』
側面の土呂幕は上段・下段の二段構成になっています。 上段は富士の巻狩りで統一、下段は唐獅子で統一されています。
下勾欄合
下勾欄合:『波濤に鯉』
台木
右面:『波濤に阿の龍』
左面:『波濤に吽の龍』
左右で阿吽となっています。 駒軸は昔ながらの木製のものが使われています。
金具
①破風中央:『唐草模様』
②破風端部:『唐草模様』
③垂木先:『左三つ巴紋』 天照皇太神社の紋も巴紋でしたので、違和感はありません。
④縁葛端:『唐草模様』
墨書き・銘
土呂幕に墨書きがあります。
他は読み取れませんが、西岡弥三郎と読み取れます。
半鐘にも銘があります。
昭和四年 十二月八日
大阪??? 久保??
平尾 久保熊吉
と書いてあります。地車購入の手がかりとなるでしょうか?
仮に昭和四年に地車購入をしたとして、昭和四年の出来事と言えば世界恐慌等ですので、御大典の折に購入、日清・日露戦争戦勝祝いに購入、と言った感じではなさそうです。
さておき、昭和四年に大阪からこの半鐘を買ったことは間違いありません。
小屋根車板の銘です。
右下に『彫師大和住 芦高盛貞』と銘が刻まれています。
いかがでしたでしょうか。
古い堺型、しかもオリジナルの面影やヒントを沢山残している地車というのは見ていて飽きませんし、ワクワクするものがあります。
平尾地車は西岡弥三郎・芦高妻三郎の大変良い彫刻を持つ地車ですので、見物がまだの方は是非ご覧になってください。
撮影にあたり、平尾青年団の皆様には大変良くしていただきました、誠にありがとうございました。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
はじめまして。まずはこのような記事を作成していただきありがとうございます。
2024年に文化庁の助成金により改修することが決定いたしました。それに伴い調査が行われ、恥ずかしながらその時にこの地車の詳細、歴史的価値を知りました。もう少し自分の地域の神社、地車を勉強しようと思ったところこちらの記事に出会う事ができました。
価値も扱い方も分からず予算が無い中、自分達で修理した部分もあり知識のある方が見ればお叱りを受けるかもしれません。
それでもこんなに詳細な記事を作成していただき非常に感謝しております。
2024年の10月には改修後の姿をお披露目できると思います。近隣の疋相、大塚などの地車も改修されていますのでご都合が合えば是非足を運んで下さい。
平尾青年団団長さま
はじめまして、コメントありがとうございます。
当記事を書くにあたり2018年に平尾を訪れたのですが、平尾青年団の皆様にはとても親切していただき、本当にありがとうございました。
地車改修の決定、誠におめでとうございます。
私はこれまで村の皆様で小修理を繰り返しながらこの地車を維持されてきたことは、決して悪いことではなく、むしろ良い面があったのではないかと考えています。
と申しますのも、地車を原形通りに修復する技術が向上したのもここ10年来の話であり、より原形を尊重した修復・復元新調への機運が高まったのもつい最近の話だからです。
私が以前祭礼に参加していたとある村の先代地車は、数十年前にお金をかけて某業者に修理を出したものの、原形を全く無視した彫刻の入れ替えや、ニスでベタ塗り、といったお世辞にも良いとは言えない修理を施工されてしまいました。
そのような例があることを考えますと、今日まで原形の地車を大切に維持されてきた皆様の努力は素晴らしいもので、むしろ非常に良いタイミングで地車の修理を決定されたのではないか、と考えております。
平尾地車は特に小屋根まわり(車板や三枚板)に素晴らしい彫刻が施された地車だと個人的に思っておりますので、修復された姿を見る日がとても待ち遠しいです。
是非またお伺いさせていただきます。