
皆さんこんにちは。
勢いがあるうちに今年修理・売却となった地車、第二段を書きたいと思います。
第二段に選ばせて頂いたのは「細田町」地車。
私は板勾欄出人形型地車が好きですが、その中でも特に好きなタイプなのがこの細田町地車とその前後に同じ大工で製作されたと考えられるグループ。
そのグループとは、堺市高蔵寺地車(特に細田町に類似)・河内長野市上原地車・四条畷市東中野地車・河内長野市野作地車・堺市田園地車・富田林市加太地車で、各所の構造に共通点が多く、中でも富田林市加太地車は堺市小阪の大工である堀内市松の墨書きが発見されており、出所が確実。
上原地車・東中野地車については堀内市松より購入と伝わっており、これらの地車は堀内市松の手により作られた地車ではないかと私は考えています。
細田町地車・高蔵寺地車・上原地車については大型の地車で、特に前方の柱巻き・板勾欄の構成が私は大変好みであります。
2016年の大改修で大きく姿が変わってしまいましたが、改修前はオリジナルの状態を最も色濃く残す貴重な地車でした。
今回は改修前の写真を用いてこの地車をご紹介いたします。
平野区菅原神社 細田町(ほそだちょう)地車
◆地域詳細
宮入:菅原神社
小屋所在地:加美第3保育所横
歴史:付近は元は加美村と呼ばれた地域で、細田町という地名が誕生したのは昭和12年(1937)のこと。
戦前は田畑が広がっていたが、戦後は工場が増え、区画整理された町並みに工場と住宅が並んでいる。
◆地車詳細
形式:板勾欄出人形堺型
製造年:明治時代
購入年:平成4年
大工:【堀内市松】?
彫刻:【彫又】西岡弥三郎?
歴史:和泉市黒鳥下村→和泉市池上町→平野区細田町
◆歴代細田町地車
現地車(初代?):平成4年6月14日入魂式。
参考)
地域の歴史について
Wikipedia『加美 (大阪市)』
地車の歴史について
岩根様ホームページ『山車・だんじり悉皆調査』
姿見

左が前方、右が後方
サイズの大きい板勾欄型です。
池上町では明治43年~平成4年と、比較的長い期間所有されていました。
泉州各地ではやりまわしに対応するべく、原型を留めない改修を施される上地車が多かったですが、この地車は大切にされていたのか、ほぼオリジナルの姿を留めています。

側面より
後程各部詳細をご紹介しますが、眼を惹くのは大きな下勾欄と龍の胴体が大きく彫刻され、顔のみ別パーツで製作された台木ではないでしょうか。
改修前の写真で上原地車・東中野地車についても同様のタイプであったことが確認できています。
残念ながら改修で台木は変わってしまいました。
破風

破風はオリジナルではなく、後の時代に新調されたものです。
元は厚みが控えめで細い破風でした。
この場所で特徴として挙げられるのが桁隠しの存在。
板勾欄型では桁隠しはつかないことが多いですが、この地車と同じグループと考えられる地車達にはどれも存在しています。
鬼板

上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』
類似する表情の作例が少なく、パッと見では誰の作品か分かりにくいですが、西岡弥三郎師の作と考えます。
細田町地車と表情がよく似ているのが堺市高蔵寺地車。改修前の上原地車もよく似ていましたが、上原地車の後方の獅子噛は西岡弥三郎師の作品らしさを感じる作風でした。(現在は交換されているため、見ることができません)
特徴は手の甲の上にある毛並み。
懸魚・桁隠し

大屋根前方
懸魚:『朱雀』
桁隠し:『鶴』・『鷲』
主懸魚は顔が鷲になっていますが、正しくは朱雀です。

上が大屋根後方、下が小屋根
懸魚:『龍』
金綱でよく確認できず。
車板・枡合

上から
大屋根前方車板:『松』
大屋根前方枡合:『龍』
大屋根前方虹梁:『武者』
小屋根枡合:『猪目模様』
元は神額があったと考えられますが、残骸のようなものしか残っていません。
小屋根枡合の猪目模様は珍しいです。
枡合・虹梁

右面
上から
大屋根枡合:『武者』
大屋根虹梁:『武者』
小屋根:『武者』

左面
大屋根枡合:『武者』
大屋根虹梁:『源頼朝』
小屋根:『武者』
頼朝公がいることから富士の巻狩ではないかと思いましたが、動物を狩っている彫刻は見当たりませんでした。
台輪に牡丹の彫刻が施されているのは珍しく、高蔵寺地車・上原地車も同じ仕様です
木鼻

上が右面、下が左面
木鼻:『阿吽の唐獅子・松』
全部で8体です。
大屋根後方と小屋根の合間にあたる木鼻は台輪と一体に見せかけた木鼻が取り付けられていました。
柱巻き・板勾欄

オリジナル通りかは少し謎ですが、出人形として二対の獅子がいます。
本来は獅子の部分に武者の出人形がいたのではないかと思います。
柱巻き

柱巻き:『秀吉本陣 佐久間玄番の乱入』
側面まで複数の武者が彫刻されているのが特徴。
佐久間玄番は刀を持っていますが、元は金棒を持っていたと思われます。
脇障子

左2つが前方より、右2つが後方より見た状態です。
脇障子(前方側):『楠公父子 桜井の別れ』
脇障子(三枚板側):『武者』
柱巻きとは時代が変わり、桜井の別れ。
板勾欄をまたぐように取り付けられており、両面人物の彫刻になっているのも特徴。
角障子

左2つが後方より、右2つが前方より見た状態です。
角障子(後方側):『三韓征伐 応神天皇を抱く武内宿禰・神功皇后』
角障子(前方側):『武者』
角障子も人物の彫刻です。
摺出鼻・旗台

摺出鼻:『牡丹に唐獅子』
旗台:『力神』
摺出鼻に牡丹に唐獅子の彫刻があるのも特徴で、住吉方面の地車は松などがよく彫刻されています。
力神のポーズは他の地車でもよく見かけるものです。
三枚板

正面:『飛龍退治』
飛龍の翼が角障子に被るほどギリギリまでスペースを使って表現されており、かなりの迫力です。
後で別枠で写真を載せますが、飛龍の後ろにも人物がいます。

右面:『大巳貴命 大鷲退治』

左面:『武松の虎退治』
よく見る題材で、虎は大概1匹で表現されますが、堺市田園地車と同様で2匹います。
縁葛

前方
縁葛:『武者』

後方
縁葛:『武者』

右面
縁葛:『武者』

左面
縁葛:『武者』
縁葛は一枚モノで全面に武者が彫刻されています。これも特徴と言えるでしょう。
土呂幕

上が前方:『竹に虎』
下が後方:『源平合戦?』
池上町時代までは閂が取り付けられていました。
高蔵寺地車・上原地車にも同様に閂が通っていた跡の切れ込みが見られます。
側面土呂幕・下勾欄

右面
土呂幕:『源平合戦?』
下勾欄:『宇治川の先陣争い』

左面
土呂幕:『源平合戦?』
下勾欄:『敦盛呼び戻す熊谷次郎直実』
下勾欄は大きな部材で、武者が彫刻されています。これは細田町地車と同じグループと考えられる地車の大きな特徴で他に類を見ません。
持送り

左が左面:『竹に虎(阿)』
右が右面:『竹に虎(吽)』
持送りは山水草木ではなく、獣の題材。
台木

上が右面、下が左面
台木:『波濤に龍』
改修で交換されてしまった、オリジナルの貴重な台木です。
一匹の龍が彫刻され、顔のみ別パーツで製作。止めホゾとなっています。
彫刻要所

これまでの項目で載せきれなかったものをご紹介していきます。
①三枚板正面:飛龍退治の飛龍の後ろにいる人物です。悲壮感あふれる素晴らしい彫刻。
②左面板勾欄:側面板勾欄は人形が撤去され題材不明ですが、唯一この場所にだけ人物がいます。
③勾欄持ち:『吽の唐獅子』
④勾欄持ち:『阿の唐獅子』
⑤左面台木:『阿の龍』
⑥右面台木:『吽の龍』
金具

①箱棟:『菊紋』
②破風端:『唐草模様』
③破風傾斜部:『昇龍』
④垂木先:紋はなし。
⑤肩背棒先:『細・田』の文字。
⑥勾欄親柱:端部にあり板勾欄が接続されています。二重勾欄として内側に配置される地車とは明らかに構造が異なります。
⑦芯金:軸の位置は変わっていない様子。
要所

①隅行肘木:『牡丹の彫刻』 隅行肘木に彫刻が施されるのが細田町地車と同系列の地車の大きな特徴。
②車内:お囃子は大太鼓・鉦・小太鼓それぞれ1つで構成されます。
③貫腕:『松』
④旗台付近:『渦模様』
⑤前方台木:元々梃子制動でない地車はよくこのように改造されます。
⑥後方台木:後方も同様に懐を後付け。
関連動画
曳行→休憩地点に到着した際に演奏されたショートバージョンのお囃子です。
いかがでしたでしょうか?
少し濃厚な板勾欄型地車の記事でした。
同系列の地車についても、比較参照のために記事化してご紹介していきたいと思います。
当日お声かけ頂きました細田町の皆様、ありがとうございました。