皆さんこんにちは。
今回ご紹介するのは姫嶋(大)地車です。 元・堺市神野町の地車で、昨年里帰り曳行が盛大に行われたことで、ご存知の方も多いかもしれません。 姫嶋と神野町は2004年の御堂筋パレードでも共に曳行されており、2町は地車の嫁入りを機に深い友好関係が築かれています。
曳行スタイルが変わっても、地車本体は神野町時代から大きく姿を変えることはなく、大切にされており、神野町時代の名残を随所に感じることができます。
大型の板勾欄型地車で、大迫力の彫刻が魅力の一台です。
それではご覧ください。
大阪市西淀川区 姫嶋(大)地車
◆地域詳細
宮入:姫嶋神社
小屋所在地:神社境内
◆地車詳細
形式:板勾欄出人形型
製作年:不明 (1870~1880年頃か?)
購入年:2000年 (平成12年)
大工:不明 (堺の大工?)
彫刻:彫又
歴史:大阪市住吉方面→堺市神野町→大阪市姫嶋
住吉大佐『地車請取帳』の47ページ表に”泉北郡つくの村 字神の 西尾様”と書かれており、1924年~1925年(大正13年~14年)の間に住吉大佐で修理されたと思われる。
◆歴代姫嶋地車
昭和初期には10台以上の地車が存在していたが、戦災により焼失。
残ったうちの2台は姫嶋(中)地車、姫嶋(小)地車として復活。
2000年に堺市神野町より地車を迎え、現在は3台が曳行されている。
姿見
左が前方、右が後方
かなり背丈の大きい地車です。
玉結びの金綱は神野町時代と同様。
側面より
腰回りが低く、板勾欄より上が長いため、かなりのっぽな印象。
大屋根側虹梁が二重になっていないことで尚更屋根が高い位置にあるように感じます。
姫嶋へ嫁いだ際に肩背棒が交換され、ホイールベースが縮小されています。
斜め前より
斜め後より
破風
特徴は折屋根の名残。破風の両端に切れ目が入っており、それを境に上部へ折り曲げることができます。(現在は使われていません)
上地車時代の津久野は中組と神野町が折屋根の地車でした。
この破風はオリジナルではなく、昭和末期頃に修理で作り変えられています。(池内工務店製?)
鬼板
上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』
①鬣は横が立ち毛で額上部は寝ている、手の上にも鬣がある。 ②歯は11本で鮫歯。 ③目につきやすい大屋根前方と小屋根は表情もよく似ていて、爪が4本・渦が3つ。
部分的に似た特徴を持つ獅子噛はありますが、明らかに似ているというのものは他所で見当たりません。
懸魚
上から
大屋根前方:『鳳凰』
大屋根後方:『虎』
小屋根:『鶴』
大屋根後方はオリジナルが残っていました。
神額
姫嶋へ嫁いだ際に交換されています。
枡組
壊れた斗は取り換えられていますが、大部分がオリジナルのようです。
枡組・虹梁
大屋根前方
枡合:『龍』
虹梁:『牡丹に唐獅子』
小屋根
枡合:『龍』
右面大屋根側
枡合:『龍』
虹梁:『牡丹に唐獅子』
右面小屋根側
枡合:『龍』
左面大屋根側
枡合:『龍』
虹梁:『牡丹に唐獅子』
左面小屋根側
枡合:『龍』
どれも枡合は龍、虹梁は牡丹に唐獅子で統一されています。
虹梁ですが、①作風が枡合と異なる。②隣にある木鼻も虹梁の半分の高さまでしかない。 等から交換されたものと考えます。
大正13~14年の住吉大佐での修理時に入れ替えられたものでしょうか?
車内枡合
車内枡合:『雲海』
1枚から彫り抜かれているので、脱落するパーツもなく、この地車の経てきた年数を物語っています。
木鼻
上が右面、下が左面
木鼻:『獏・唐獅子』
全部で8体あります。
柱巻き・板勾欄
板勾欄型の顔とも言える部分。
詳しく見ていきましょう。
柱巻き
柱巻き:『渡辺綱 金札立て』
この彫刻の存在感はすごいですね。 題材としては珍しくなく、柱巻きにこの題材を有する地車も他にありますが、私の中で金札立てと言えば姫嶋地車のイメージです。
板勾欄
前方 :『源平合戦?』
題材はいまいちピンときませんが、後述の脇障子が源平合戦ですから、板勾欄も源平合戦でしょうか。
右面:『源平合戦?』
これは八艘飛びでしょうか?
左面:『源平合戦?』
花戸口虹梁
花戸口虹梁:『牡丹に唐獅子』
脇障子
脇障子:『敦盛呼び戻す熊谷次郎直実』
顔が交換されていますが、この題材で間違いないと思います。
三枚板
正面:『加藤清正虎退治』
使えるスペースの限界まで大きく彫刻されており、加藤清正の身体は板勾欄を飛び出しています。
右面:『金汝吻』
身長が七尺余りと大きく、大変強かった朝鮮官軍の金汝吻。 こちらも限界まで大きく彫刻され、かなりの迫力です。
左面:『後藤又兵衛』
2人同時にやっつける後藤又兵衛の雄姿が彫刻されています。
左側は神野町時代の転倒による欠損が大きいですが、極力オリジナルのパーツを残し、元の雰囲気を崩さないように工夫して修復されています。
今更ですが、これら太閤記に関する題材が彫刻されていることから、この地車が明治以降に製作されたことは間違いないでしょう。
角障子
角障子:『武者』
擦出鼻
擦出鼻:『松』
姫嶋では旗飾りを使用しないので、部分的に取り外してあります。
持送り
持送り:『山水草木』
土呂幕
上から
前方:『山水草木』
後方:『合戦譚』
右面です。上から
大屋根側:『合戦譚』
小屋根側:『合戦譚』
左面です。上から
大屋根側:『合戦譚』
小屋根側:『合戦譚』
黒目オンリーの馬の目はオリジナルのものですね。
貫腕
オリジナルではないようです。
下勾欄と干渉しないように工夫された形状をしています。
ねじり金物
珍しくねじり金物に文字が刻まれています。
大正参年十二月 踞?嬰安(きょ えいあん)作 と書いてあります。 えいの部分の部首が読み取り辛いですが、読みは同じでしょう。
恐らく人の名前かと思いますが、踞の字が踞尾村(現在は津久野と書く)の踞と同じ辺り、何かしら関連性がありそうな気がします。
この地車は大正3年に住吉方面から神野町にやってきたとされていますが、これがその根拠でしょうか。
台木
上が前方、下が後方
現在は使われていませんが、曳き綱環は2つ。
後方には神野町時代の名残で後梃子の穴が残っています。
下勾欄・台木
上が右面、下が左面
下勾欄:『波濤』
台木:『波濤に兎』
下勾欄・台木共にオリジナルではありません。珍しい点として、改修された台木ではありますが、止めホゾになっています。
改修前の仕様を引き継いだのでしょうか?
神野町時代は先端が角型でしたが、姫嶋では地車をしゃくる際につかえるので、下方を加工されています。
要所
①折屋根の名残
②柱巻きの渡辺綱が持つ金札には『祝 神野町より姫島町へ 平成十二年五月吉日』と書かれています。
金具
①破風:『唐草模様』
②破風端:『唐草模様』
③垂木先:『左三つ巴紋』
④縁葛端:『唐草模様』
踞尾八幡宮と姫嶋神社の神紋は偶然同じ左三つ巴紋で、引き継がれて使用されています。
いかがでしたでしょうか。 神野町で活躍していた末期から大きく姿を変えていないのが大変嬉しい地車です。 関わった大工には疑問が残りますが、柱巻きの金札立てや三枚板の金汝吻の彫刻は傑作で間違いないでしょう。 少し前までは神社の祭礼日に合わせて曳行していたので、平日になることもありましたが、近年は祭礼日に近い土日に曳行されています。 今回はご紹介しきれませんでしたが、(中)・(小)のだんじりも小松の彫刻で大変見ごたえのある地車です。 気になった方は是非足を運んでみてはどうでしょう。 最後までご閲覧いただき、ありがとうございました。