和泉市八雲神社 春木川だんじり戎

皆さんこんにちは。

今回は少し趣向を変えて、社殿化された地車をご紹介します。

春木川だんじり戎は和泉市の山奥、八雲神社の境内にひっそりと佇んでいます。
立て看板等がありませんので、『だんじり戎』なのか『だんじり恵比寿』なのか、正式名称は分かりませんが、どんな書き方をしてもマニアックな方なら大体通じるかと思いますので、当サイトでは『春木川だんじり戎』と書くことにします。

元は和泉市春木川の先代地車にあたりますが、曳行されなくなり、昭和30年代(道路改修の折に社殿化したとするなら石碑より昭和39年・40年)に社殿化したとのことです。

それではご覧ください。

和泉市八雲神社 春木川だんじり戎

◆戎社詳細
住所:和泉市春木川町167
※神社駐車場及び、周囲には駐車場が無いので注意。

◆地車詳細
形式:堺型
製作年:明治時代か
購入年:大正時代 伯太の業者より
大工:不明 しかし堺北が製作する形態と似ている箇所あり
彫刻:彫又一門 大屋根車板・枡合は小松一門

参考)
購入年について
山車・だんじり悉皆調査 http://www5a.biglobe.ne.jp/~iwanee/

社殿全景

自然豊かな山奥の更に急な石段を上ったうえに、だんじり戎はあります。

よくこんな場所までだんじりを担ぎ上げたものですね・・・社殿化にあたりフルオーバーホールしないと出来ないような改造も施されているので、もしかするとパーツ単位で運び込んだ可能性もありますが。

姿見

前方より

近づくとだんじりの姿が次第に見えてきます。
部分的ではなく、殆どありのままの姿です。

側面より

前方以外三面は板張りになっているので、しっかりとは見えません。

石段を上って見える景色がこんな感じ。
お賽銭を入れて見物します。

破風

堺型ですが破風は厚めで、頂部は丸みを帯びているようです。
桁隠しが取り付きます。

枡組

先ほど写っていた車板から察しの良い方は気づいていると思いますが、この地車はオリジナルの状態から大屋根まわりの車板・枡合に手が加えられています。
詳しくは枡合の項目で見ていきます。

枡合は隅肘木なし二段二手先になっており、これも他では見ない組み方になっています。
大斗はともかく、台輪の上から直接一手先の斗が出ている時点で不自然です。

鬼板

大屋根前方:『獅子噛』

大屋根後方・小屋根も彫刻はありそうでしたが、裏側にまわるのは憚られたので見ていません。
彫又一門の顔をしています。

懸魚・桁隠し

懸魚:『猿に鷲』
桁隠し:『鶴』

車板

前方車板:『宝珠を掴む青龍』

超大型の作品で、元は別の地車のパーツだったのではないでしょうか。
右には小龍の顔もありますが、手のパーツのつけ間違えかな?分かりませんが。

これは彫又一門ではなく、小松一門の彫刻かと思います。

枡合

右面大屋根側:『?』

構造的な見方をすると、台輪が台輪の意味をなしていないことと、虹梁の位置が本来あるべき高さよりも一段低い位置に取り付けられていることが分かります。

これは枡合・車板に大型の彫刻を取り付けるために行われた改造と思われます。

左面大屋根側:『?』

また、社殿化の際に大屋根側の平側長さを約半分に詰め、大屋根の高さを下げる工事が行われています。
大屋根の高さを下げたことにより、小屋根の折屋根機構が全く機能しない状態になっています。

木鼻

木鼻:『阿吽の唐獅子・牡丹』

木鼻:『阿吽の唐獅子・牡丹』

岸和田型等では馴染みがありませんが、木鼻が上下二段になっているのは堺型・石川型ではよくある仕様です。

脇障子

右面:『?』

左面:『羅生門?』

左面には鬼の彫刻が見て取れます。雰囲気的に渡辺綱金札立てかな?

勾欄・縁葛

前方

社殿化に際し、舞台の前方張り出しが最小限に抑えられました。
勾欄親柱芯と柱芯が同位置になるように止められ、架木は柱に接続されています。

なかなかセンスよく社殿化されていると思います。

右面

側面奥を覗き込むと、この地車は段差勾欄を持ち、大屋根側が擬宝珠勾欄、小屋根側が板勾欄になっていることが分かります。

もう少し細かいところへ目をやると、最後部の腕木が斜め45度後方を向いており、その下の持送りも同様に斜め45度後方を向いていること。
小屋根木鼻の下に小サイズの角障子がつくこと。
小屋根側は擬宝珠勾欄と板勾欄の二重勾欄になっていること。
に気がつきます。

左面

板勾欄には兎を追いかける武者の彫刻が見えますので、富士の巻狩りでしょう。
縁葛は全面彫刻タイプ。

段差勾欄の時点で察しがつきますが、橿原市の小綱町と構造の特徴が似ている部分がありますね。

①段差勾欄 ②大屋根側擬宝珠勾欄・小屋根側板勾欄 ③小さめ角障子 ④小屋根側の二重勾欄 ⑤端部の斜め45度に出る腕木と持送り ⑥二段の木鼻 等々・・・

小綱町を引き合いに出すなら門真市小路地車も同様です。

こちらは段差勾欄が撤廃されていますが跡は残っています。そして、春木川と同じ全面彫刻タイプの縁葛になっています。

しかし、春木川は脇障子の仕様が小綱町とも小路とも異なるのが一点気になるところ。屋根まわりは改造を受けているので比較になりません。

土呂幕

右面

土呂幕を見ると、何故大屋根側の枡合・虹梁があの寸法で縮められていたかが解決します。
例外もありますが、基本的に堺型は片側で通し柱3本・間柱1本・土呂幕は3枚(もしくは上下2段で6枚)になっています。
しかし、このだんじり戎は通し柱3本・土呂幕2枚になっていますね。

つまり、社殿化の際に大屋根側にある間柱を撤去した長さに改造していたのでした。

左面

持送りには波濤に兎の彫刻が見えます。
松竹梅のパターンが多いので、珍しいかもしれません。

台木

右面:『波濤に鯉』

柱・土呂幕は間柱分縮められましたが、台木は前方妻台の部分まで、もう少し長めに残っています。

左面:『波濤に鯉』

台木の下は石の基礎が敷かれており、社殿の周囲は水勾配のついた土間コンクリートが打たれています。

木が水に触れて腐らないようにしっかりと対策されており、社殿化に際してもいかに村の人がこの地車を大切にしたかを感じる部分でした。

総括

この地車オリジナルの状態を予想し、更に社殿化の際に使われているパーツを朱塗りしてみました。
注意事項をご一読のうえ、お楽しみください。

あとがき

いかがでしたでしょうか。

春木川のだんじり戎は結構知られていますし、今更私が記事にするまでもないかもしれませんが、皆さんの見学の助けになれば幸いです。

さて、前回もそうですが、何故か私は毎回夏にだんじり戎に来てしまうようです。
自然豊かな山奥故、夏は野生味が凄く、頭上のクモ・ハエ・蚊に気を取られていると足元の蛇にビックリ!何てこともありますので、いつも冬に来るべきだったと思います・・・

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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