高石市等乃伎神社 新家地車

皆さんこんにちは。

今回も泉州で活躍する上地車をご紹介出来ればと思います。

新家は下地車化が進んだ高石市内で今もなお上地車での曳行を続けている地域です。
高石連合もほんの少し前までは高師浜が元・板勾欄型改造の上地車を所有していましたが、現在では綾井と新家の2台のみが上地車となっています。

新家は今でこそ折衷型の見た目をしていますが、元を辿れば板勾欄型・・・泉州地域でやりまわしを中心とした祭礼スタイルで走り回っている元・板勾欄型は新家が最後ということになり、なかなかレアな存在かと思います。

それではご覧ください。

高石市等乃伎神社 新家地車

◆地域詳細
宮入:等乃伎神社
小屋所在地:会所の斜め向かい

◆地車詳細
形式:折衷型 (元・板勾欄出人形型)
製作年:明治時代
購入年:1985年(昭和60年)
大工:不明
彫刻:彫又一門
改修大工:小松工務店
改修彫刻:松本幸規
歴史:大和方面→堺市深井澤町→高石市新家

参考)
購入年・歴史について
山車・だんじり悉皆調査 http://www5a.biglobe.ne.jp/~iwanee/

姿見

左が前方、右が後方。

平成12年の改修で、板勾欄の撤廃・重厚な枡組が組み込まれ、折衷型へと生まれ変わりました。
小松工務店と言えば大庭寺の先代地車(現・藤井寺市大井)が平成11年に折衷型化改造を受けており、第二弾の作品と言えるのではないでしょうか。

側面より

三枚板・土呂幕を除き殆どのパーツが新調されていることが分かります。

斜め前より

破風

小松工務店の破風。
盛り上がっている範囲は小さく、それでもしっかりと高低差を設ける辺りが特徴でしょうか。大庭寺先代とよく似ています。

枡組

5段3手先でしょうか、しっかりと枡組が組まれています。

そして何と言ってもこの地車の特徴は、三重の垂木!!
桁の部分は食い込んでいるような部分も!?

大工さんの大型化への苦労が伺えます。

鬼板

上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』

3面とも獅子噛になっています。
目を吊り上げて怒る獅子噛・・・なかなか強烈な表情で個性的です。

懸魚・桁隠し

大屋根前方
懸魚・桁隠し:『素戔嗚尊八岐大蛇退治』

師の作風だとスケール感を小さめにして複数の龍が居てもおかしくなさそうですが、登場するのを素戔嗚尊と奇稲田姫(左奥に居ます)と大蛇一匹に限定し、驚くほど奥行きを持たせた作品になっています。

大屋根後方
懸魚・桁隠し:『雲海』

小屋根
懸魚:『七福神』
桁隠し:『鳳凰』

車板・枡合・虹梁

大屋根前方
車板:『青龍』

大屋根前方
枡合:『天乃岩戸』
虹梁:『龍』

小屋根
車板:『親子獅子』

小屋根
枡合:『清洲城割普請』
虹梁:『牡丹』

枡合・虹梁

右面大屋根側
枡合:『神功皇后 応神天皇併産す』
虹梁:『龍』

右面小屋根側
枡合:『矢矧橋の出会い』
虹梁:『鳳凰』

左面大屋根側
枡合:『神武東征』
虹梁:『龍』

左面小屋根側
枡合:『醍醐の花見』
虹梁:『鳳凰』

枡合はどれも松本彫刻らしいスケール感小さめでとても細かく緻密に彫刻された作品ばかりです。
このスペースにこれだけの登場人物を入れるのは、かなり大変なことでしょう。

木鼻

上が右面、下が左面。
木鼻:『阿吽の唐獅子・牡丹』

大屋根が唐獅子、小屋根が牡丹です。
唐獅子は体を捻って様々なものを手にもっており、岸和田型寄りの木鼻です。

天蓋

格天井の天蓋がつきます。
オリジナルで彫刻があったかは今となっては不明。

間仕切り

三枚板形式なので広いスペースがありますが、間仕切りは取り払われているようです。
脇障子は前方からでは後ろ姿のみになっています。

脇障子

脇障子:『武者』

三枚板全景

角障子を含めた全景です。
オリジナルからいかに大型化されているかがよく分かります。

三枚板

正面:『加藤清正虎退治』

題材はどれも朝鮮の役から題材を採用しています。
つまりは製作年代は明治時代になるのだろうと思います。

右面:『李舜臣』

左面:『小西行長』

後ろに千成瓢箪の纏が見えますが、朝鮮の役において秀吉が実際に朝鮮に出向いた訳ではないので、秀吉ではなさそう。
右面で先鋒の小西行長、正面で2番手の加藤清正を表現したか?

角障子

角障子(前方):『武者』

角障子(後方):『武者』

馬の目は白目を描かない表現となっており、よりリアリティを求めたものとなっています。

摺出鼻

摺出鼻:『牡丹に唐獅子』

旗台

旗台はシンプルなものとなっています。

勾欄合・縁葛

前方
勾欄合:『干支』
縁葛:『波濤』

右面
勾欄合:『干支』
縁葛:『山水草木』

左面
勾欄合:『干支』
縁葛:『山水草木』

持送り

持送り(前方):『波濤・雲海』

持送り(後方):『波濤・雲海』

持送りは貴重なオリジナルのパーツが使用されています。
切断されている跡があるので、元はもう少し大きな部品だったのでしょうか。
元から持送りのパーツだったのか、どのような付き方をしていたか今となっては不明です。

貫腕

オリジナルを推し量るのに有効なパーツですが、全て交換されているようです。

土呂幕

前方:『武者』

彫刻1枚で構成されており、扉式にはなっていないようです。

持送りや土呂幕のパーツを見ていると、馴染みのある住吉大佐の板勾欄型とは異なりそうに思います。
大和方面から来た板勾欄型の例を他に知りませんので、何とも不思議な一台です。

後方:『武者』

右面:『武者』

左面:『武者』

こちらも朝鮮の役に関する題材でしょうか、持っている刀が異なっている等それらしい表現がなされています。

台木

右面:『波濤に鯉』

左面:『波濤に鯉』

金具

①破風中央:『雲海に梅鉢紋』
②破風傾斜部:『昇龍』
③破風端部:『唐草模様』
④垂木先:『梅鉢紋』
⑤縁葛:『唐獅子』
⑥脇障子兜桁:『梅鉢紋』 等乃伎神社には過去の合祀により菅原道真が祀られていますが、菅原神社は土生村の鎮守、新家村は大歳社とありますので、何故梅鉢紋かは分かりません。
⑦肩背棒先:『新家』の文字。

いかがでしたでしょうか。

新家の昔の写真はネット上でも比較的よく見かけるのですが、人が群がっているものが多く板勾欄の詳細までは分からず・・・また、現在の姿はかなりの大改造を受けているので、原形がどのようだったか分からなくなっているのが何とも悩ましい点です。

それはさておき、こんな歴史ある上地車が泉州地域で今も頑張っているとなると、応援したくなりますね。
どうか末永くこの地で活躍して欲しいものです。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

「高石市等乃伎神社 新家地車」への4件のフィードバック

  1. 土呂幕正面は元の板勾欄の一部の再利用です、改修前の写真あるからまた見ておきます(^^)

    1. 地車写真保存会

      飛獅子会 様

      お世話になっております。以前のヤフーブログでも度々コメントを頂戴しておりまして、引き続き新サイトにもコメントをいただき、ありがとうございます。

      雛壇に物が置いてあったのでよく見えず、元・板勾欄パーツとは気づきませんでした…是非とも正面から見たかったです。
      教えていただき、ありがとうございます。

      1. いつもちょくちょく見させてもらっています(^^♪ 板勾欄時代も正面だったようです。だんじり好きの中でも同じようなジャンルが好きなんでブログ今後も楽しみにしてますよ★

        1. 地車写真保存会

          飛獅子会 様

          ありがとうございます。
          そう仰っていただけますと、記事を書いている側としましては大変嬉しい限りです。
          今後も何卒よろしくお願いいたします。

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