門真市三島神社 下三ツ島地車

新年明けましておめでとうございます。
遅いですが新年初の記事ですので、この挨拶といたします。

早くも正月の地車イベントが幾つか終わりましたが、私は一つも行けていません(汗)
次見に行くとすれば泉田中の入魂でしょうか…そんなことを考えながら過ごしています。

さて、今回は下三ツ島地車をご紹介したいと思います。
この地車を初めて見たのは門真市制50周年記念パレードですが、当日は雨であったことや他の地車についていったこともあり、会場ではあまり見学できず…
改めて向かった際に地車は既に小屋の中におり、住吉大佐の地車と気づいていただけに、見れなかったことを後悔していました。

そして、去年の祭礼夕方頃に再訪問。
夜の曳行があるものだと思ってゆっくり見ていましたが、夕方に終わってその場で片付けまで終わらせてしまうとのことで、大慌てで撮影することとなりました。

それではご覧ください。

門真市三島神社 下三ツ島(しもみつしま)地車

◆地域詳細
宮入:三島神社
小屋所在地:会館に併設

◆地車詳細
形式:板勾欄出人形型
製作年:明治元年~明治20年頃 (推定)
購入年:1957年 (昭和32年)
大工:【住吉大佐】(銘板は「細工人 住吉大佐」)
彫刻:【彫又】一門
歴史:?→淡路方面→下三ツ島

◆歴代下三ツ島地車
先代(初代?):北河内型。大型で屋根が電柱にひっかかるので、電柱を切って曳行していたらしい。
台風(室戸台風?)による水害で駒がダメになってしまい、処分する。
現地車(2代目?):板勾欄出人形型。昭和32年に淡路方面より80万円で購入 

姿見

左が前方、右が後方。

背が低く、小ぶりなサイズです。
過去に一度修復を受けているのか、木の色はやや白く、金具も新しいですね。

側面より

破風

幅が広く、勾配は緩やかな形状です。

鬼板

上から
大屋根前方:『青龍』
大屋根後方:『虎』
小屋根:『獅子噛』

前方の青龍は欠損がなく、大変状態が良いです。
この構成は河内長野市市町西地車(現・東大阪市東楠風荘地車)と全く同じです。

以下、鬼板に青龍の彫刻を持つ地車の写真を幾つか集めましたので、参考程度にどうぞ。

上から塚本神社宮附、市町西、鴬谷、松原神社。

細かな違いはありますが、龍の身体のラインはどれも同じですね。

懸魚

上から
大屋根前方:『松に鷲』
大屋根後方:『雲海』
小屋根:『雲海』

大屋根前方・小屋根は破風の下端より更に下まである大きいものが取り付けられています。

車板・枡合・虹梁

大屋根前方
車板:『雲海』
枡合:『宝珠を掴む青龍』
二重虹梁:『飛竜退治』

小屋根後方
車板:『雲海』
枡合:『松に鷲』
虹梁:『鶴と鷲』

さて、この地車の不思議な箇所が徐々に見えてきました。

①大屋根前方の枡合が無く、後付けで鬼板のパーツとして作られたであろう龍が取り付けられています。
②二重虹梁の彫刻は他の住吉大佐の作品と比較すると、高さ方向の寸法が長く、上段の虹梁との隙間も若干の不自然さが伺えます。
③小屋根の虹梁に後付けで『鶴と鷲』の彫刻があります。一部の擬宝珠勾欄堺型では虹梁の周辺にこのような後付けパーツが取り付けられているのを見かけます。もしくは、桁隠しとして作られたパーツが偶然この位置についているだけかもしれません。

この地車は住吉大佐の銘板はありますが、他の地車のパーツを使って、住吉大佐仕様に組み上げられた作品と考えてよいのではないでしょうか。
住吉大佐が地車の修理や改造は請取帳では”作事”と表現されており、実際にそのような作業が行われていたことが記録されています。

枡合・虹梁

右面です。
上から
大屋根枡合:『松に鷲』
大屋根虹梁:『武者』
小屋根枡合:『松に鷲』

側面にも同様の傾向が見られます。
上段虹梁の模様は住吉大佐製の地車でよく見かけるものです。

左面です。
上から
大屋根枡合:『松に鷲』
大屋根虹梁:『鎮西八郎大鷲退治』
小屋根枡合:『松に鷲』

木鼻

上が右面、下が左面。
木鼻:『阿吽の唐獅子』

全部で10体あります。

板勾欄・柱巻き

まずは全景から。

前方は柱巻きと板勾欄がセットになっており、『鞍馬山修行の場』が表現されています。

柱巻き

柱巻き:『牛若丸鞍馬山修行の場』

橋本市柏原地車もこの場所にこの題材を採用しています。
製作年代が近いのではないかと予想します。

板勾欄

前方:『牛若丸鞍馬山修行の場』

特徴として左右の人物は出人形ではなく、板勾欄本体に彫刻されているということでしょうか。
他には柏原市大正西地車、河内長野市古野地車に見られます。

右面:『加藤清正虎退治』

こちらも馴染みのある題材。
国分神社奉納地車とよく似ています。

左面:『合戦譚』

ハッキリとした題材はよくわかりませんでした。

脇障子

脇障子:『?』

舞台が作られ、上に人形が設けられている脇障子は板勾欄型でよく見かけます。
題材は誰かよく分かりません。

大屋根後方柱巻き:『阿吽の龍』

後方の柱にも彫刻が取り付けられています。
他にこの仕様を持つ地車は偶然近年門真市にやってきた打越地車くらいしか思い出せません。

参考)門真市打越地車の大屋根後方柱巻き

三枚板

正面:『漢高祖龍退治』

正面は板勾欄では定番の題材です。

正面:『漢高祖龍退治』

旗飾りの影響で真ん中からは撮れませんでしたので、別角度でもう一枚。

右面:『大貴巳命大鷲退治』

狭いスペースをギリギリまで使って大鷲退治。
大貴巳命が良い表情をしています。

左面:『武松の虎退治』

角障子

脇障子:『合戦譚』

擦出鼻・旗元・旗台

上から
旗元:『珠取り獅子』
摺出鼻:『雲海・飛獅子』
旗台:『唐獅子親子』

旗元に珠取り獅子はよく見る題材ですが、頭の直上から見た様子を彫刻しているのは珍しいですね。
摺出鼻の題材は鶴山台地車と同じ雲海ですが、上に飛獅子がつくのが特徴です。
旗台の唐獅子は西組先代と同じ図柄です

持送り

持送り:『牡丹』

土呂幕

前方:『山水草木』
後方:『武者』

前方の土呂幕は外されていますが、扉式で山水草木でした。

右面
上が大屋根側、下が小屋根側
土呂幕:『合戦譚』

左面
上が大屋根側、下が小屋根側
土呂幕:『合戦譚』

下勾欄・台木

下勾欄:『波濤に兎』
台木:『波濤』

台木は止めホゾになっておらず、彫刻も簡易的なものです。
下勾欄が綺麗に収まっている点や先端の形状を見ると住吉大佐が作ったものと考えられなくもないですが…だとしたら、彫刻なしで納品→妻台が交換され、止めホゾをやめた。先端の彫刻は誰か素人が施した。といったところでしょうか?

要所

①枡組:二段一手先、実肘木の加工を見る限り住吉大佐の仕事かと。
②天蓋:格子です。何気ないですが、ここに彫刻がつかないのも住吉大佐の仕事の特徴。
③銘板:正面三枚板、虹梁中央にあります。扇形で「細工人 住吉大佐」
④貫腕:渦の末端が地車の下方へと流れています。これも住吉大佐の特徴。
⑤引き綱環:穴を塞いで取り付けられている?簡易的なものでした。
⑥芯金:軸が金属製になるのと同時に、猫木で挟む仕様に改造されたか?

金具

①葺地・破風中央:『唐草模様』 中央には三島神社の神紋『?に山の字』周囲の16個の丸は曜か星か?
②破風傾斜部:『昇龍・降龍』
③葺地・垂木:葺地は『唐草模様』 垂木は『左三つ巴紋』
④台輪・虹梁:虹梁には 三島神社の神紋?
⑤脇障子:元は丸い金具(三つ巴紋か?)が並んでついていた跡が見られます。
⑥縁葛・板勾欄端:『唐草模様』
⑦縁葛中央:『唐草模様』の上に『下三ツ島』の文字。
⑧肩背棒先:三島神社の社紋

先代地車

会所に飾ってあります。写真から見て分かる通り大きな北河内型です。
(※個人名が書いてあるところは加工してあります)

参考動画

この日訪れた際に撮影したものです。
祭礼も終盤。上三ツ島と下三ツ島地車が三養苑に集合し、お囃子を披露した後、小屋へと帰っていきます。

いかがでしたでしょうか?

年始早々、私が大好きな板勾欄型をご紹介させて頂きました。
門真市の地車は連合曳きすることが無いので見物が大変ですが、北河内型だけでなく、神戸型・板勾欄型・堺型も存在しており、情報も少ないことからとても興味深いです。
今後も時間はかかるかもしれませんが、門真市の地車を徐々に見物していきたいと思います。

最後までご覧いただき、有難うございました。 

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