獅子噛特集 中山慶春師の作品

年代別に師の作品をまとめた記事です。

製作時点と入魂式時点での日付のズレ、誤り等あるかもしれません。
誤りがありました際にはコメント欄にてご教示ください。

昭和末期に折衷型上地車が多く誕生するはじめ頃・・・当時は井尻翠雲師の作品が2作品ありました。

1984年(昭和59年)

河内長野市西代地車 (元・堺市大東地車)

堺市辻之地車

池内福治郎師×中山慶春師コンビでの初仕事は昭和58年の元・堺市毛穴町地車ですが、その1年後にこの2台の折衷型が誕生し、以後もこのコンビでの折衷型地車が誕生していくこととなります。
当時は鬣が顔の横にまとまっており、厚さも控えめでした。

1985年(昭和60年)

堺市深井澤町地車

これ以降、指の数が5本→4本になります。
角が生えていたり、巻き数が左右5個になったり、鼻の形を変えてみたり、新しいスタイルを模索されていたのでしょうか。

堺市田園地車 (改修)

この後数年続く、師の作風の標準となる顔が完成します。
厚みが増え、鬣が破風に沿って大きく広がるようになります。

1986年(昭和61年)

河内長野市下西代地車 (元・高石市三区地車)

河内長野市三日市北部地車 (改修) (改修時所有・堺市菱木奥地車 元・堺市新在家地車)

髭があったり、巻き数を左右6個にしたり、少し変化を持たせた作品です。

羽曳野市樫山地車 (改修) (元・堺市馬場地車)

下西代地車は改修で目の交換・歯の着色が落とされましたが、この時代の作品には歯に着色が行われました。

1987年(昭和62年)

堺市桝矢地車

目の周りの窪みを深くして影を作ることで、少し怖さを持たせた作品になります。

河内長野市片添地車 (元・和泉市上代町地車)

東大阪市横枕地車 (元・泉大津市西之町地車)

この年かは不明ですが、これも恐らく師の作品と思われます。
それまでに取り付けられていた獅子噛を模しているため、師のオリジナルの作品とは顔のパーツのデザインが異なります。

1988年(昭和63年)

堺市濱寺元町地車

松原市河合地車 (元・泉大津市田中町地車)

(写真無し)
富田林市宮甲田地車
堺市・大阪狭山市山本地車 (改修により現在は澤義博師の作品)

田中町地車の改修の彫りに影響を受けたのでしょうか、以後耳を手前に張り出して立ち耳とした作品が多くなります。
仕事量もピークだったと思われます。

1989年(平成元年)

羽曳野市馬場町地車 (元・和泉市上伯方地車)

(写真無し)
東大阪市箕輪地車 (元・和泉市下伯方地車)

池内工務店の代替わりのため、2台だけ大下工務店とコンビを組んだ作品が登場します。
これまでとは勝手が異なり、薄く小さい製材が渡されたのだろうと思われます。

1990年(平成2年)

堺市・大阪狭山市隠地車

再び池内工務店の池内幸一師×中山慶春師コンビの作品が誕生しましたが、これを最後に中山慶春師の獅子噛を持つ地車は作られなくなります。
獅子噛は誕生しませんでしたが、中山慶春師はその後も平成4年まで地車の彫刻に携わられています。

その後、池内幸一師×川原和夫師コンビ、天野行雄師×松波義孝師コンビの獅子噛を持つ折衷型上地車が作られていくこととなります。

いかがでしたでしょうか。
地車新調ブームのために沢山地車が求められる中、一時代を作り上げた池内福治郎師×中山慶春師の作品。
私は中山慶春師の作品が好きなのですが、同じ意見の人に出会ったことはまだありません。
いらっしゃったらコメントにて教えてください。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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