橋本市相賀八幡神社 橋谷地車

皆さんこんにちは。

前回、堺市草部地区の馬場の先代地車をご紹介しましたので、今回は同じ草部地区の原田の先代地車をご紹介したいと思います。

この地車について真っ先に思いつくことは、一度解体され、再び組み立てられた過去があるということです。
実はこの地車は、堺市原田が所有の頃、1955年(昭和30年)に一度解体され、28年後の1983年(昭和58年)に池内工務店で再び組み立てられ、復活を遂げています。

一度解体された地車が再び組み立てられた、といった話はパッと思いつくところで柏原市旭ヶ丘地車くらいで…他にもあるかと思いますが、あまり聞かない話ですね。

それでは、そんな珍しい運命を辿ってきた橋谷地車を詳しくご紹介しましょう。

橋本市相賀八幡神社 橋谷地車

◆地域詳細
宮入:相賀八幡神社
小屋所在地:高野街道沿い、慶賀野垂井線の高架下

◆地車詳細
形式:住吉型(元・大阪型)
製作年:明治時代
購入年:2005年(平成17年)
大工:不明
彫刻:不明 (辻田一門?)
改修大工:池内工務店
歴史:?→泉大津市の工場保管→個人→堺市原田→橋本市橋谷

参考) 購入年・歴史について
山車・だんじり悉皆調査 http://www5a.biglobe.ne.jp/~iwanee/ 

姿見

左が前方、右が後方。

元・大阪型なので、背丈は小ぶりです。
やりまわし中心の祭礼スタイルに対応するべく、台幅は広くとられています。
集りをしっかりとつければ、背丈が低い分重心も低いので、意外と安定しているのかもしれません。

側面より

破風

再組立時に池内工務店にて新調されたものと思われます。

車板は交換されておらず、車板周辺に調整した隙間などが見られないので、オリジナルに近い形状ではありそうです。

箱棟

右面
大屋根側:『龍』
小屋根側:『牡丹に唐獅子』

左面
大屋根側:『龍』
小屋根側:『牡丹に唐獅子』

鬼板

上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』

誰の作品か悩ましい獅子噛です。
大阪市の内代地車が大変よく似た獅子噛をしていますが、こちらも作者は不明です。

2014年の修復時に銘が出てこないかと期待していたのですが、入魂式でそのような話はなかったので、恐らく見つからなかったのでしょう。

懸魚・桁隠し

大屋根前方
懸魚:『鳳凰』
桁隠し:『猿』

小屋根
懸魚:『猿に鷲』
桁隠し:『鶴』

小屋根後方は昼間は旗飾りでなかなか見ることができませんが、綺麗にまとまった良い作品だと思います。

仕口

柱・桁直結タイプ、大阪型でよく見られる構造です。

車板

大屋根前方:『宝珠を掴む青龍』

小屋根:『牡丹に唐獅子』

右面
大屋根側:『龍』
小屋根側:『唐獅子』

左面
大屋根側:『龍』
小屋根側:『唐獅子』

金綱が被ってしまい、よく見えないですが、かなり良い表情の獅子ですね。
特に右面小屋根の左側の獅子に惹かれます。

木鼻

木鼻:『唐獅子・力神』

こちらも金綱に隠れていますが、唐獅子の上に力神が乗っています。

水引幕

水引幕:『大蛇退治』

恐らく原田から受け継ぎ、そのまま使用されています。
原田から嫁いできた当時は金綱の結び方も同じでしたが、最近は通常のあわじ結びに変更されたようです。

花戸口虹梁

花戸口虹梁:『雲海』

脇障子

脇障子:『神功皇后 応神天皇併産す』

三枚板

正面:『加藤清正虎退治』

右面:『素戔鳴尊八岐大蛇退治』

左面:『阿部介丸龍退治』

すべて退治モノで統一されています。

摺出鼻

摺出鼻:『牡丹に唐獅子』

摺出鼻:『牡丹に唐獅子』

元は大阪型であったため、オリジナルでは存在していないパーツです。
池内工務店で再組立時に新調されたと思われます。

旗台

旗台:『牡丹に唐獅子』

こちらも摺出鼻同様、オリジナルでは存在していないパーツで、池内工務店で再組立時に新調されたと思われます。

勾欄合

前方:『二十四孝』

後方:『二十四孝』

右面:『二十四孝』

左面:『二十四孝』

欠損が激しかったため、2014年に修復新調されました。

土呂幕

上が前方、下が後方
土呂幕:『波濤に兎』

後方土呂幕まわり

全体像はこのような感じ。

花台

恐らく元は前方の勾欄の内側にあったのではないかと思われます。

土呂幕

右面
上が大屋根側、下が小屋根側
土呂幕:『波頭に兎』

左面
上が大屋根側、下が小屋根側
土呂幕:『波頭に兎』

下勾欄

右面
下勾欄:『波頭に千鳥』

左面
下勾欄:『波頭に千鳥』

台木

右面:『波濤』

左面:『波濤』

金具

①破風中央:『唐草模様・宝珠』
②破風傾斜部:『唐草模様』
③破風端:『唐草模様』
④垂木先:『菊紋』
⑤柱:『菊紋』
⑥縁葛:『唐草模様』
⑦肩背棒先:『橋谷』の文字
⑧引綱環:『花菱紋』

いかがでしたでしょうか。 

堺市原田で活躍していた頃と変わらず、遠く離れた和歌山県で今もやりまわしをしている姿を見ることができます。
昔をご存知の方は懐かしの姿を見に橋谷を訪れてみてはいかがでしょうか。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。 

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です