
皆さんこんにちは。
基本的に地車図鑑の記事は、書くに当たって1台1台しっかりと向き合って、無い頭で色々考えた上で記事にしているのですが、今回記事にする地車はこれ以上考えても何も思い浮かばない、このままでは一生記事にせず終わってしまうだろう、と思ってしまった少々不思議ちゃんな1台です。
藤井寺地車は堺市萬崎の先代地車にあたり、萬崎の下地車購入に伴い、平成12年に藤井寺へとやってきました。
萬崎時代に大きく改修を受けているため、原型が謎なのですが、やりまわし中心の祭礼文化に変化して行く堺市のだんじり祭りを支えた一台であることは間違いありません。
それではご覧ください。
藤井寺市辛國神社 藤井寺地車
◆地域詳細
宮入:辛國神社
小屋所在地:藤井寺西幼稚園横
◆地車詳細
形式:大阪型(住吉型風に改造)
製作年:不明
購入年:2000年(平成12年)
大工:不明
彫刻:不明
歴史:?→堺市萬崎→藤井寺市藤井寺
参考)
歴史について
『山車だんじり悉皆調査』 http://www5a.biglobe.ne.jp/~iwanee/
姿見

左が前方、右が後方
藤井寺では令和元年に修理を受けていますが、それより前の写真です。
萬崎時代に恐らく池内工務店にて大規模な改修を受けており、現在の形になっています。

側面より
側面から見ると、元・大阪型であった要素を感じることが出来ます。
柱桁が直接の仕口となっており、側面も車板となる仕様です。
大屋根と小屋根の段差が少ないのも名残でしょう。
不思議なのが、土呂幕が堺型のように間柱有りの3分割になっている点です。
元からこの仕様だったのかは分かりませんが、2台の地車のパーツを使って組み上げられている可能性もゼロではないと思います。
破風

切妻型で、オリジナルではありません。
仕口

姿見でも書きました通り、直接の仕口となっています。
鬼板

上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』
大屋根前方は交換されています、近藤師の作品でしょうか。
大屋根後方、小屋根後方はオリジナルが残っています。
彫清っぽくも見えますが、御幣や旗でよく分かりません。はっきり見えたら何か閃きがあるかもしれませんが…
箱棟

箱棟:『飛龍』
大屋根側は改修により消滅、小屋根はオリジナルが残っていました。
顔が無くなっていますが、定番に獅子噛と睨み合う構図になっていたものと思われます。
懸魚・桁隠し

大屋根前方
懸魚:『鳳凰』
桁隠し:『朱雀』
こちらは全て改修の彫りのようです。

大屋根後方
懸魚:『麒麟』
桁隠し:『飛龍』
小屋根懸魚にただならぬ雰囲気を感じるオリジナルの彫刻がいました。
車板

前方:『宝珠を掴む青龍』
前方にこの題材は定番ですね。

小屋根:『親子獅子』

右面大屋根側:『阿の龍』

右面小屋根側:『唐獅子』

左面大屋根側:『吽の龍』

左面小屋根側:『牡丹に唐獅子』
どれもオリジナルが残っており、良いですね。
木鼻

木鼻:『阿吽の唐獅子』
大屋根後方柱に取り付く木鼻は木鼻と言うより、脇障子兜桁のようなポジションとなっています。
藤井寺地車のように脇障子より外側まで伸びている例が他にもあったような気がして、一所懸命探しましたが、見つかりませんでした。
柱巻き

柱巻き:『阿吽の龍』
立派な柱巻きが取り付けられています、中山慶春師の作でしょうか。
車内車板・花戸口虹梁

車内車板:『鶴』
花戸口虹梁:『牡丹に唐獅子』
大阪型の三枚板にありそうな綺麗な花戸口の形状のものが取り付けられていましたが、不自然に途中で途切れていました。
もちろん大太鼓を積むためではあるかと思いますが、元はどのような状態だったのでしょうね。
脇障子

脇障子:『阿吽の唐獅子』

脇障子(上部):『猿』
脇障子は兜桁の上からも続いており、垂木下まで伸びています。
これも大阪型でよく見る仕様。
三枚板

正面:『?』
正面にいる馬は御幣がついていますので、神馬で間違いないと思います。
馬祭りなのでしょうが、詳細はよく分かりません。

右面:『武者』

左面:『武者』
合戦系ではなく、馬に乗った武者が彫刻されています。
いずれも詳細不明。
角障子

角障子:『昇龍・降龍』
恐らくですが、彫り替えられていると思います。
オリジナルはどこに行ったかと言うと・・・
摺出鼻

右面:『阿の龍・獏』

左面:『吽の龍・獏』
ここです。恐らくこの龍が本来の角障子だったものと思われます。
また、獏がついているパーツも元・腕木の材料ではないかと思います。
旗台

旗台:『力神』
摺出鼻は何とか工夫して作り上げましたが、旗台は新しく彫刻するしかないですね。
旗台とは関係無いですが、下勾欄が後方まで回り込んでいるのは特徴ありますね。
勾欄合・縁葛

前方
勾欄合:『富士の巻狩り』
縁葛:『干支』

後方
勾欄合:『富士の巻狩り』
縁葛:『干支』

右面
勾欄合:『富士の巻狩り』
縁葛:『干支』

左面
勾欄合:『富士の巻狩り』
縁葛:『干支』
縁葛のおさめ方は何となく大阪市内代地車を連想させるものがありますが、恐らく関連性はないです。
腕木

腕木:『阿吽の唐獅子』
持送り

持送り:『雲海』
土呂幕

前方:『牡丹に唐獅子』
欠損が激しかったのでしょうか、彫り替えられています。

後方:『唐獅子』



右面:『波濤に兎・竹に虎』



左面:『波濤に兎・象』
この地車の不思議なところ、土呂幕です。
普通に大屋根側1枚、小屋根側1枚であれば、あぁ大阪型だったのね・・・とすんなり終わった話なんですが、堺型のように間柱があって片面3枚になっているので難解です。
逆に大阪型であれば土呂幕が幕式であった可能性もあるので、他の地車の彫刻を持って来たとも考えられます。
にしても何とかそれらしくおさめているので、どのパーツをどう使って組んだのか、よく分かりませんね。
下勾欄

右面:『波濤に千鳥』

左面:『波濤に千鳥』
台木

右面:『波濤に鯉』

左面:『波濤に鯉』
オリジナルではありません。
ただ足回りがしっかりと近代化改修されているのは、元・泉州の地車を購入するメリットの一つですね。
金具

①破風中央部:『唐草模様に宝珠』
②破風傾斜部:『昇龍』
③破風端部:『唐草模様』
④垂木先:『菊紋』
⑤勾欄:『唐草模様』
⑥肩背棒先:『藤井寺』の文字。
いかがでしたでしょうか。
オリジナルの状態がイメージし難い、少々謎な地車でした。
私の脳みそでは記事の内容くらいしか推しはかることが出来ませんでしたので、この地車のオリジナルの状態について何かご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけますと幸いです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。