堺市中区野々宮神社 深井畑山町地車

皆さんこんにちは。

3月に入ってから堰を切ったように入魂式ラッシュ、大変めでたいことですね。
今回は来週に入魂式を控えた深井畑山町地車を記事にしたいと思います。

深井地区は昭和50~60年代の折衷型が沢山誕生した時期に製作された地車が何台も居る地域として堺市内でも個性的な地区です。
東町は後に岸和田型を新調しましたが、水池町・澤町・畑山町・清水町・中町の5台は今もなお現役で折衷型を曳行しています。

畑山町は澤町と同じ年の昭和60年に池内工務店にて誕生し、木下一門・井波彫り・醒ヶ井彫りの合作という非常に豪華な作品になっています。

それではご覧ください。

堺市中区野々宮神社 深井畑山町地車

◆地域詳細
宮入:野々宮神社
小屋所在地:府道36号線沿い、ベルアモール公園付近
歴史:往古は畑山新田・帯屋新田・深井新家とも称した。
石津川の下流東方、海抜40~50mの浅く開析された波浪状の洪積丘陵上に位置する。地名は深井村内の入会山に開かれた新田で、大部分が畑地であったことによる。
元禄年間頃にはタバコ・木綿・麦・菜種・山芋・大根などが栽培された。明治12年には麦・甘藷・実綿・菜種などが中心に栽培されている。
和泉國大鳥郡畑山新田(江戸期~明治22年)→深井村大字畑山新田(明治22年~43年)→深井村大字畑山(明治43年~昭和18年)→堺市深井畑山町(昭和18年~)となる。

◆地車詳細
形式:折衷型
製作年:1987年(昭和60年)
大工:【池内工務店】池内福治郎
彫刻:木下賢治・木下頼定、【井波】中山慶春、【醒ヶ井】十場祐次郎・井尻翠雲

参考)
地域の歴史について
角川書店 『角川日本地名大辞典 27 大阪府』

姿見

左が前方、右が後方

大柄な車体に肉厚な獅子噛や柱巻きが目を惹く地車です。
緑の吊下げ町名旗は珍しく、遠くからでも畑山町だと一目見て分かります。

側面より

一階部分は妻側まで、二階部分は小屋根側まで勾欄をまわしつつも、中央部は縁を切るオシャレな仕様。見送りは三枚板形式になっています。

屋根回りは重厚な枡組が入る岸和田型の要素が強め、胴より下は古風に上地車ならではの様式を意識した作品となっています。

斜め前より

各部の詳細はこれからご紹介しますが、畑山町の地車を見ていると、中神車の影響をかなり受けていると思われる箇所がいくつか見受けられます。

パッと見だと縁葛の中間に複数設けられた阿吽の唐獅子は最たるもので、これは他の地車でもなかなか無い仕様です。
細かい点を見ると、木鼻に獏が居る点、三枚板の川中島の合戦や加藤清正虎退治の題材、台木の竜宮伝説の題材など、とてもよく似ています。

参考)大阪市中神車(野里中之町地車)

上地車においてどっしりとした風格を得るのに、中神車を参考にしない手は無いと思います。
深井畑山町の獅子噛もですが、深井中町も中神車の獅子噛を参考にして製作しているなど、中神車が様々な点で影響を与えていることは間違いないですね。

この世に折衷型は沢山存在しますが、やはり折衷型だからこそ出来るようになった見送り形式を採用する町が多く、昭和50年以降の折衷型新調ブームにおいて昔ながらの上地車の仕様である①四周勾欄がまわり②三枚板形式を採用した折衷型は、深井水池町・深井畑山町の2台しか誕生していません。

破風

池内福治郎棟梁初の入母屋型の折衷型で、色々試行錯誤して生み出されたのだろうと思います。
その後は昭和63年に浜寺元町地車で入母屋型が採用されますが、その間に池内工務店で製作された折衷型は基本的に切妻型で、こちらは少数派にあたります。

枡組

5段2手先の枡組が入ります。

鬼板

上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』

上丹生彫、十場裕次郎師の作品です。
中神車の木下舜次郎師の作品を手本に製作されました。

遠くからでも目立つ大変肉厚な作品で、真下で見上げるとそれがよく分かります。

箱棟

箱棟:『牡丹に唐獅子』

懸魚・桁隠し

大屋根前方
懸魚:『鳳凰』
桁隠し:『阿吽の龍』

それまでの上地車には無かった新しい入母屋型の屋根に、懸魚・桁隠しは上地車古来の獣の題材を採用しています。
そのギャップがなかなか面白いと思います。

大屋根後方
桁隠し:『雲海』

小屋根
懸魚:『鷲』
桁隠し:『阿吽の龍』

車板・枡合・虹梁

大屋根前方
車板:『素戔嗚尊八岐大蛇退治』
虹梁:『?』

昭和61年・62年とその後の池内工務店の折衷型標準の仕様となる題材です。

小屋根
車板:『五條大橋の出会い』

枡合・虹梁

右面大屋根側
枡合:『柴田勝家の勇戦』
虹梁:『?』

枡合右下に頼刀と銘が入っています。

右面小屋根側
枡合:『後醍醐天皇 隠岐より帰る』

左面大屋根側
枡合:『秀吉 千利休茶会』
虹梁:『?』

左面小屋根側
枡合:『桜井の別れ』

車板・枡合の題材は自由に、様々な年代の話から引用されています。

木鼻

上が右面、下が左面
木鼻:『阿吽の唐獅子・獏・松に千鳥』

木鼻に獏がいる折衷型は珍しいのではないでしょうか。私は好みです。
小屋根の松に千鳥も、昔ながらの籠彫り彫刻をどうしても採用したかったのだろうとの意図をひしひしと感じます。

柱巻き

全景

柱巻き:『阿吽の親子龍』

流行り廃りはありますが、肉厚な龍の柱巻きは平成後期~令和ではもう作られなくなってしまった貴重な作品です。
中山慶春師の作品でしょう。

天蓋

天蓋:『龍』

珍しく天蓋に彫刻が施されています。
上地車でも一部の板勾欄型等にしか見られない仕様です。

間仕切り

間仕切り:『牡丹に唐獅子』

私が個人的に感動したところ、かなり古風な印象を受けました。
二重虹梁かつ題材が牡丹に唐獅子のところがとても良いですね。

間仕切り:『牡丹に唐獅子』

これも中山慶春師の作品でしょう。

脇障子

脇障子(前方):『俱利伽羅峠の戦い』

縦長の部材を活かした題材です。

脇障子(後方):『加藤清正虎退治・木村重成 単騎部下を助ける』

後方はそれぞれ三枚板の題材に関連していると見て良いのではないでしょうか。

三枚板・角障子

正面三枚板:『川中島の合戦』

三枚板は上丹生彫のようです、台木と同じく井尻翠雲師でしょうか。
龍虎相打つ名場面。

正面角障子:『川中島の合戦』

右面全景

右面三枚板:『加藤清正虎退治』

虎が3匹いる豪華仕様です。

右面角障子:『加藤清正虎退治』

左面全景

左面三枚板:『木村重成 単騎部下を助ける』

あまり自信はないですが、この題材であっているでしょうか。
他の2面の三枚板を見ていると少なくとも戦国時代の題材ではあるかと思います。

左面角障子:『木村重成 単騎部下を助ける』

角障子竹の節

角障子竹の節:『阿吽の唐獅子』

摺出鼻

摺出鼻:『武者・阿吽の獏』

旗台

旗台:『?』

物入れに隠れてよく見えませんでした。

勾欄合・縁葛

大屋根前方
勾欄合:『二十四孝』
縁葛:『【源平盛衰記】義経八艘跳び』

小屋根後方
勾欄合:『二十四孝』
縁葛:『【源平盛衰記】』

右面大屋根側
勾欄合:『二十四孝』
縁葛:『【源平盛衰記】』

錣引きの様子が彫刻されています、連子にも錣引きがあるのですが、平景清はどちらでしょうか。

右面小屋根側
勾欄合:『二十四孝』
縁葛:『【源平盛衰記】』

二十四孝の楊香の題材は、虎関連の題材として三枚板とあえて位置を揃えたと思われます。

左面大屋根側
勾欄合:『二十四孝』
縁葛:『【源平盛衰記】』

左面小屋根側
勾欄合:『二十四孝』
縁葛:『【源平盛衰記】』

縁葛の人物に角があるように見えます。
だとすると大江山の鬼退治?

持送り・貫腕

上が右面、下が左面
持送り・貫腕:『武者』

貫腕一つ一つに彫刻が施されている豪華仕様です。

連子・土呂幕

大屋根前方
連子:『巴御前』
土呂幕:『篠原の戦い 手塚光盛 斉藤実盛を討つ』

源平合戦の題材を主とした地車には稀に登場する題材のようですが、最も目立つ土呂幕正面には珍しいと思います。

大屋根前方
連子:『巴御前』
土呂幕:『篠原の戦い 手塚光盛 斉藤実盛を討つ』

覗き込まないとなかなか見えないですが、縁葛の裏側に連子がもう一段組まれています。

小屋根前方
連子:『【源平盛衰記】』
土呂幕:『朝比奈三郎城門破り』

右面大屋根側
連子:『【源平盛衰記】』
土呂幕:『【源平盛衰記】』

右面小屋根側
連子:『【源平盛衰記】』
土呂幕:『【源平盛衰記】』

笹竜胆紋が見えますので、源平合戦には違いないようです。

左面大屋根側
連子:『【源平盛衰記】平景清錣引き』
土呂幕:『【源平盛衰記】』

左面小屋根側
連子:『【源平盛衰記】』
土呂幕:『【源平盛衰記】』

土呂幕まわりはどれも源平合戦と思われますが、下勾欄に隠れてよく分かりませんでした。

下勾欄・台木

右面
下勾欄:『波濤に千鳥』
台木:『竜宮伝説』

松良はありませんが、松良受けの彫刻が設けられ、水板がある仕様になっています。
台木の竜宮伝説は折衷型においては唯一無二ではないでしょうか。
昨年の改修で彫り替えられたものの、題材としては引き継いでいるようです。
貴重な井尻翠雲師の作品は大切に保管されることでしょう。

左面
下勾欄:『波濤に千鳥』
台木:『竜宮伝説』

台木

前方:『竜宮伝説』
後方:『竜宮伝説』

右面:『竜宮伝説』

左面:『竜宮伝説』

金具

①破風中央部:『唐草模様に宝珠』
②破風傾斜部:『昇龍』
③垂木先:『畑』の文字。
④破風端部:『唐草模様』
⑤縁葛端:『唐草模様』
⑥兜桁先:『畑山』の文字。所々銀メッキの金具が用いられています。
⑦肩背棒先:『畑山』の文字。

醒ヶ井彫の名人・井尻翠雲師の銘。

いかがでしたでしょうか。

各地で競い合うように地車を新調していた頃の1台。
古きから学び、新しい要素を取り入れ、更に豪華さをプラスした面白い地車だと思います。
途中で勾欄を切る仕様は後の時代の地車でも採用されるようになり、この地車も後の時代の作品に影響を与える1台となったことでしょう。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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