柏原市二宮神社 安堂地車

皆さんこんにちは。

色々地車の記事を書いていますが、まだ堺型の魅力ある一台をご紹介出来ていなかったと思い、今回は安堂地車の記事を書くことにしました。

この地車の生まれは江戸時代で、安堂の地へやってきたのは2014年、それまでは約100年間河内長野市上田町のだんじりとして活躍してきました。
上田町時代に躯体の修繕工事を受けているため、多少の変更が加えられていますが、大きく改造された訳ではなく、彫刻もオリジナルの作品が残っているので、今後も健康で生き続けるために必要十分な措置が施された、古いながらも非常に状態の良い一台です。

この地車が銘車と呼ばれている理由として、彫刻の美しさが挙げられますが、堺・彫又一門:西岡又兵衛の希少な銘入り作品で、量産志向で作られた他の彫又一門の作品とは一味異なり、豊かな表情と滑らかな線が見る者を圧倒します。

それでは写真と共に安堂地車を見ていきたいと思います。

柏原市二宮神社 安堂地車

◆地域詳細
宮入:二宮神社
小屋所在地:神社境内

◆歴代安堂地車
・先代(初代)
堺型、購入のエピソード等は聞けず。江戸末期製作、大工は新庄衛門か新兵衛、彫刻は彫又一門2代目西岡又兵衛。
現地車の試作品と言われているが、根拠はよく分からない。強いて言えば三枚板の題材は同じである。
地車の周囲を四角くアングルで囲い提灯をつけていたため、ジャングルジムのように見える飾り付けが印象的だった。
現地車購入に伴い一部の彫物を現地車・子供地車に組み込み、躯体は焼却処分となる。
・現地車(2代目)
先代地車老朽化に伴い、河内長野市上田町より購入。

◆地車詳細
形式:擬宝珠勾欄堺型
製造年:文政年間
購入年:2014年(平成26年)
大工:木村一門と云われている
彫刻:【彫又】西岡又兵衛
歴史:堺市甲斐町→河内長野市上田町→柏原市安堂

姿見

左が前方、右が後方

この日は怪しい天気だったので、カッパを着ています。

年長者様に話を伺ったところ、この地車は明治29年の堺地車騒動で地車が禁止されたことにより大浜で2~3年間沈んでいたとのこと。
こんな素晴らしい地車が海に浸かっていたと思うとゾッとしますね。

側面より

堺型なので通し柱6本+土呂幕まわりのみ間柱2本なのは一般的な仕様。
特徴ある部分として、脇障子・角障子が取り付けられていないことと、土呂幕周囲に枡組が入っていることが挙げられます。
縁葛は勾欄親柱のスパン毎に分割、土呂幕も梁で上下に分割されている仕様です。

木の色からも分かるように、破風・柱・勾欄(勾欄合の彫刻はオリジナル)・台木は交換されています。

上田町時代に取り付けられた長い肩背棒は安堂に来てからも健在です。
そもそも柏原の地車はしゃくる文化は無いのですが、先代地車では傷んでいたため出来なかったしゃくりが出来るようになり、駅前ではぶんまわしのパフォーマンスも行われるようになりました。河内長野の地車文化との融合ですね。

これも年長者様に聞いた話。
私も気づきませんでしたが、上田町時代のやりまわし時に当ててしまったのでしょうか?右前方を強打しているため、右側の肩背棒だけねじり棒に加えて補強の金物が取り付けられています。

破風

交換されていますが、大まかな形状はオリジナルに忠実と思われます。
テリが少し効いています。

鬼板

上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』

大屋根前方の獅子噛は平成3年の火災で焦げてしまったので、岸田恭司師の作品に交換されています。
恐らくオリジナルは今も上田町で保管されているはずです。
大屋根後方の作品を見て頂ければ分かる通り、あまりにも肉厚・力作すぎて、本当に彫又一門の作品!?と思ってしまいますが、墨書きが出ているので間違いありません。

枡組

オリジナルが残っています。
桁鼻があり、実肘木もそれに対応した形状をしています。

台輪は5枚積み重ねたように見える細工が施されています。

懸魚

大屋根前方:『鳳凰』

小屋根:『鷲』

破風の交換に伴って懸魚も交換されています。

車板・枡合

大屋根前方
車板:『牡丹』
枡合:『牡丹に唐獅子』

大屋根後方
車板:『雲海』

小屋根
車板:『牡丹』
枡合:『牡丹に唐獅子』

この角度からだと、唐獅子の顔パーツの前方への立体加減がとてもよく分かります。

枡合

右面大屋根側:『牡丹に唐獅子』

右面小屋根側:『牡丹に唐獅子』

左面大屋根側:『牡丹に唐獅子』

左面小屋根側:『牡丹に唐獅子』

枡合は牡丹に唐獅子で統一されていました。
こちらも普段の彫又一門とは全く雰囲気が異なり、彫り抜き加減が凄いです。

車内枡合

上から
前方:『竹に虎?』
後方:『珠取り獅子』
右面:『牡丹に唐獅子』
左面:『牡丹』

解体された先代地車の彫刻が組み込まれています。
先代地車の彫刻はこの地車だけではなく、子供地車にも組み込まれています。

木鼻

上が右面、下が左面
木鼻:『阿吽の唐獅子』

全て唐獅子で統一されています。

間仕切り

間仕切り:『猩々』

こちらも彫刻師の腕が光っている部分です。
登場人物の数が大変多く、形が限定された部分にこれほどの世界観を生み出せるのはまさに神業です。

三枚板

正面:『漢高祖龍退治』

いよいよこの地車一番の見所、三枚板です。

この題材は板勾欄型でもお馴染みですが、出人形は使えませんので、1枚の板をベースに彫り抜き・手前に張り出して立体感を出すしかありません。
獅子噛や枡合などと同じ感想になってしまいますが、あまりにも完璧に出来すぎていて、本当に彫又一門の作品!?と思ってしまいます。

しかし、そう思ってしまうのも仕方ないのかもしれません。
彫又一門の彫刻を有する地車が現在もかなり多くの数で存在していることから、彫又一門は想像を遥かに超える多数の仕事をこなさなければならず、1つ1つの作品に対する時間の制約はかなり厳しかったと思われます。そうなると、師匠が荒彫り→複数の弟子が仕上げるサイクルの中で、師匠が作品にかけることができる時間が短かくなり、人物や動物の表情もお決まりのパターンになり、特に人物は表情の少ない武者顔となっていきます。
(それが悪いという話ではありません。彫又がパターンとして定着させた彫刻の表情は、浪速彫刻のように肉厚で大胆に彫り抜き、細く小さく細かい彫刻等は施さないながらも、生き物の真髄を写し取っており、一見あっさりしているようで描かれた線に無駄がなく、近づき難さが全く無い、見れば見るほど親しみが湧いてくる不思議な魅力を持っています。こうして多数の彫刻を世に生み出したことで、堺・彫又ここにあり!と絶大な存在感を世に与えたことと思います。)
この地車が作られた当時、彫又一門がどれほど仕事を抱えていたかは想像できませんが、西岡又兵衛の銘が残されている地車が少ないことから考えても、銘を入れる=それだけ師匠本人が時間をかけ、力を入れて作った作品であったことが伺えます。

寄って一枚。

別の角度からも。
この彫刻の裏面に西岡又兵衛の墨書きがあるようです。

右面:『伍子胥、重さ千斤の鼎を揚て文を作りみづから書す』

どれも名作の彫刻揃いですが、この地車と言えばこの図柄が真っ先に思いつきます。
独特な構図に加え、表情も大変迫力溢れるものになっていますので、とても印象に残ります。

千斤は600kgですから、とんでもない重さのものを片手で持っていることになります。

寄ってもう一枚。

左面:『楚の項羽、烏騅と云う名馬を得る』

こちらの面のみ、馬の彫刻が登場です。
登場人物が多く、交換される前の暗く茶色い目玉の状態はもっと迫力ある作品であったことは間違いないでしょう。

こちらも寄ってもう一枚。

摺出鼻

摺出鼻:『牡丹』

摺出鼻自体は改修により交換されているようですが、持送りはオリジナルが健在です。
よく彫り抜かれています。

旗台

旗台:『力神』

こちらも彫又の作品で普段見慣れているものより分厚く深く、表情豊かに彫られています。
下部両端部の窪みが元の台木のラインで、やりまわしに対応するために一回り広げられていることが分かります。

勾欄合・縁葛

前方
勾欄合:『牡丹』
縁葛:『牡丹に唐獅子』

後方
縁葛:『牡丹に唐獅子』

右面
勾欄合:『牡丹』
縁葛:『牡丹に唐獅子』

左面
勾欄合:『牡丹』
縁葛:『牡丹に唐獅子』

縁葛はこれほどの狭い空間に多いところでは3体の獅子がいます。
勾欄合もオリジナルで牡丹の彫刻が入っており、大変贅沢な仕様です。

持送り

前方:『唐草模様』

勾欄持ち

今となっては不自然な空洞がありますが、これは過去の改修で肩背棒を取り付ける際、土呂幕の彫刻を切り欠ないように、この空洞から貫腕を出していたためのようです。
現在は取り付け位置が改善され、貫腕が腕木も兼ねるような取り付け方をされています。

先人達が彫刻を傷つけないように大切にしていたことが伺える部分です。

二重の虹梁が無いので、全く同じではありませんが、元々はこのような見た目の土呂幕であったと思われます。
こちらは彫刻を切り欠いて貫腕が取り付けられている例で、残念ながら現存している堺型の大半はこのような改造を施されていることが殆どです。

腕木

腕木:『牡丹』
木鼻の上に乗るように枡が組まれ、牡丹の彫刻が施されています。

土呂幕

前方:『力神・獅子噛』

力神の肩には閂が通っていたであろう窪みが残っています。

獅子噛を拡大してもう一枚。

後方:『牡丹に唐獅子』

平側全体図

改修により下段の土呂幕は見えにくい位置にいますが、存在していない訳ではありません。

内部を覗いて見るときちんと存在していることが分かります。

土呂幕下段:『波濤』

題材は波濤です。

右面:『牡丹に唐獅子』

左面:『牡丹に唐獅子』

場所的には土呂幕ですが、土呂幕まわりにも枡組が組まれているので、ある意味枡合チックな部材の形状になっています。
枡合と同じ題材で、こちらも表情豊かで大変よく彫り抜かれています。
顔のパーツが大きく手前に張り出しているため、かなり立体的に見えます。

台木

台木:『波濤に鯉』

上田町時代に交換されています。
台木はどうしても傷んでしまうパーツですが、交換されていることにより、現役で遜色なく活躍できています。

金具

①破風中央:『波濤に宝珠』
②破風傾斜部:『昇龍』立体的ではない金具が用いられています。より昔味といったところでしょうか。
③破風端部:『唐草模様』
④垂木先:『菊紋』
⑤柱:上部に金物が取り付けられています。
⑥縁葛:『牡丹』
⑦肩背棒先:『安堂』の文字
⑧土呂幕上部:『竹に虎』
⑨下勾欄親柱:『唐草模様』
⑩安全柵:ブレーキを含め機械的な安全設備が引き継がれています。しゃくり時にわざわざ柵を外さなくてもよい、跳ね上げ式の安全柵です。

いかがでしたでしょうか?

表情豊かな彫又一門の彫刻を持つ堺型の銘車の一台、大変魅力的で存在感があります。
晩年の上田町時代とは異なり、駅前でパフォーマンスはしつつも、基本的には練り歩く祭礼スタイルなので、じっくり見る機会が増えたように思います。
今後も安堂の地で大切にされ、長生きしてくれることと思います。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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