八尾市西郡天神社 西郡地車

皆さんこんにちは。

前回は元・堺市大庭寺地車をご紹介しましたが、その流れに乗って今回はそのご近所さんである元・堺市野々井地車をご紹介したいと思います。
この地車も元・大庭寺地車と同じように、昭和末期~平成初期にやりまわしスタイルの祭礼に対応するために大規模な改造が行われています。

パッと見た感じでは新しい部品が目立ちますが、じっくり見ていくと、各所に改造前の部品や彫刻が沢山使われており、オリジナル時代の姿を推し量ることができますので、今回もそのような点に注目して記事を書いていきたいと思います。

それではご覧ください。

八尾市西郡天神社(あまつかむやしろ) 西郡(にしこおり)地車

◆地域詳細
宮入:西郡天神社
小屋所在地:神社境内
歴史:古代一族で宮中に仕えた錦織家一族の居宅址。
南朝時代に楠木正成により建立された錦織寺があったが、南朝敗退により焼き討ちにあい、その後錦織家の祖神御祀宮として自然発生的に神社が建立された。
参考) 神社境内の掲示より

◆地車詳細
形式:住吉型(元・板勾欄出人形堺型)
製作年:明治時代 (1881年(明治14年)頃か)
購入年:2007年(平成19年)
大工:河村新吾
彫刻:彫又一門
歴史:富田林市貴志→堺市野々井→八尾市西郡

参考) 購入年・歴史について
 山車・だんじり悉皆調査 http://www5a.biglobe.ne.jp/~iwanee/
姿見

左が前方、右が後方。

野々井時代に改修を受け、擬宝珠勾欄化されました。 破風・台木も変わっているので、オリジナルの姿見の面影はありません。
西郡に搬入された時には柱巻きがまだついていましたが、トコテンをつけることができないためか、入魂式の時点では取り外されていました。

側面より

斜め前より

西郡の方より伺いましたが、奥側に見える古く黒い鉦はよく鳴り響く良い鉦で、元は東大阪市豊浦にあったものとのこと。
買い戻したいという話もあったそうですが、譲らなかったそうです。

斜め後より

破風

破風は交換されています。

枡組

前後方向に長い実肘木が特徴あります。

鬼板

上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』

醒ヶ井彫刻でしょうか。

懸魚・桁隠し

大屋根前方
懸魚:『猿に鷲』
桁隠し:『龍』

大屋根後方
桁隠し:『雲海』

小屋根
懸魚:『鶴』 桁隠し:『鶴』

懸魚はオリジナルが再利用されています。
オリジナルの状態では桁隠しはついていなかったと思われます。

車板・枡合・虹梁

大屋根前方
車板:『?』
枡合:『牡丹に唐獅子』
虹梁:『龍』

大屋根後方
車板:『雲海』

小屋根
車板:『張果老 瓢箪から駒』
枡合:『雲海』

右面大屋根側
枡合:『?』
虹梁:『龍』

右面小屋根側
枡合:『松』

左面大屋根側
枡合:『?』
虹梁:『龍』

左面小屋根側
枡合:『松』

木鼻

上が右面、下が左面。
木鼻:『阿吽の唐獅子』

花戸口虹梁

花戸口虹梁:『竹に虎』

脇障子

脇障子:『雲海・武者』

三枚板

正面:『甲賀三郎 飛竜退治』

右面:『朝比奈三郎 門破り』

左面:『巴御前の勇姿』

三枚板はどれも日本の題材です。

角障子

角障子:『武者』

摺出鼻

摺出鼻:『松』

旗台

旗台:『力神』

北出屋敷西町地車が富木時代につけていたものと瓜二つです。

勾欄合・縁葛

前方
勾欄合:『牡丹に唐獅子』
縁葛:『牡丹に唐獅子』

後方
勾欄合:『牡丹に唐獅子』
縁葛:『牡丹に唐獅子』

右面
勾欄合:『牡丹に唐獅子』

右面
縁葛:『牡丹に唐獅子』

左面
勾欄合:『牡丹に唐獅子』

左面
縁葛:『牡丹に唐獅子』

どれも改造時に新調されたものです。

土呂幕

前方:『松』

扉式になっています。

後方:『八艘跳び?』

よく見えませんが、そのような構図に見えます。
この地車に元々ついていた柱巻きが『敦盛呼び戻す熊谷次郎直実』であることや、三枚板の『巴御前の勇姿』などから、他の箇所にも源平合戦の題材が採用されていそうな気がします。

右面:『合戦譚』

左面:『合戦譚』

下勾欄

右面:『波濤に千鳥』

左面:『波濤に千鳥』

こちらも改造時に新調されたものです。

台木

右面:『波濤に鯉』

左面:『波濤に鯉』

こちらも改造時に新調されたものです。

金具

①破風中央:『唐草模様に宝珠』
②破風傾斜部:『昇龍』
③破風端:『唐草模様』
④垂木先:『花菱紋』
⑤脇障子兜桁:『鳳凰』
⑥脇障子兜桁先:『花菱紋』
⑦縁葛:『唐草模様』
⑧曳綱環:『花菱紋』

野々井も西郡も氏神様が同じなのか梅鉢紋ですが、地車本体に梅鉢紋はありませんね。

製作大工について色々

さて、ここからはこの地車のオリジナルの姿について、類似する地車と共に見ていきたいと思います。

先に言ってしまいますが、八尾市西郡地車に類似している地車は
・尼崎市北出屋敷西町地車 ・松原市更池地車 の2台です。
それでは、これらの地車について画像で比較してみましょう。

八尾市西郡地車と尼崎市北出屋敷西町地車を比較

北出屋敷西町地車の姿見です。

元・堺市富木地車で、北出屋敷西町に嫁ぐ際に板勾欄が取り外されてしまいましたので、こちらの地車もオリジナルの姿とは少し遠くなっています。

枡組

組み方、肘木端の模様と段のつき方が全く同じです。

虹梁

虹梁に刻まれた模様が全く同じです。

脇障子

題材は異なりますが、兜桁上の彫刻が大変よく似ています。

破風・貫腕・台木についても比較したいですが、残念ながら両者とも改造されているので、比較はできず。
それでも、これほど共通箇所が見られる地車は他にそうなく、同じ大工の作と見てよいのではないかと思います。

尼崎市北出屋敷西町地車と松原市更池地車を比較

河村新吾の作と言えば銘入りの更池地車がその代表です。

更池地車と北出屋敷西町地車を比較してみると…破風の形状や枡合付近の意匠がそっくりです。

少し比較する画像同士が離れてしまいましたが、枡組についても組み方が近いです。
また、板勾欄の形状も北出屋敷西町地車に元々ついていた形状のものと非常によく似ています。(私の手持ちの画像がありませんので、是非”富木先代”で検索してみてください)

ここまで比較した上で、河村新吾の作品には様々なシリーズがありますが、八尾市西郡地車・尼崎市北出屋敷西町地車・松原市更池地車の3台は、同じ設計思想でほぼ同時期に製作された3台だと私は思います。

今となっては改修でオリジナルが失われたことにより、比較がしにくくなっていますが、昔の姿を知る人からしてみれば一発で同じ大工の作だと見抜けただろうと思います。
しかし、今でも全く追跡が出来ない訳ではない、ということはこれを見てご理解いただけたかと思います。

と、こんな感じで今回は久しぶりに比較なんぞやってみました。

ここまで記事を書いておきながら何ですが…
私、実は西郡地車の野々井時代の改修前の姿やその写真については一度も見たことがありません。
何か情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけますと幸いです。

最後までご閲覧いただきありがとうございました。

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