守口市守居神社 瀧井地車

皆さんこんにちは。

暫くブログの引っ越しのために、新規の記事がストップしていましたが、引っ越しが少し落ち着いたのと、是非記事にしたい地車が登場しましたので、久々に記事を書きたいと思います。

今回ご紹介するのは守口市瀧井地車です。
大々的な入魂式やお披露目はありませんでしたが、今年になって新しい地車を購入され、先日行われた守口市だんじり祭りが新地車お披露目の場となりました。
瀧井に嫁ぐまでは暫く小屋に納めっぱなしになっていた地車だったこともあり、絶対に見に行こうと決めており、当日は富田林の地車イベントを時間の許す限り楽しんだ後、すっ飛んで守口まで見物に行きました。

それではご覧ください。

守口市守居神社 瀧井地車

◆地域詳細
宮入:守居神社
小屋所在地:滝井東会館横

◆地車詳細
形式:大阪型
製作年:明治時代か
購入年:2019年(令和元年)
大工:不明
彫刻:彫清一門・彫又一門、その他も有り
歴史:?→西宮市名塩大西町→車楽会→大阪市生野八坂神社宮附→守口市瀧井

◆歴代瀧井地車
・先々代:大阪型(幕式)、鴫野方面より購入。先代地車購入に伴い大阪市旭区別所町へ。
・先代:大阪型(彫忠製)、東大阪市川俣より購入。現地車購入に伴い工務店引き取りとなり、背丈を40cm縮めて東大阪市へ嫁いだと聞く。
・現地車:生野八坂神社宮附地車として小屋に納められていたものを購入。

姿見

左が前方、右が後方

大阪型の中でも小ぶりな方ですが、先々代・先代地車に比べるとサイズが大きく、十分に存在感があります。
先々代の頃から同じ小屋を使っていますが、納めるときは箱棟を外すことで、ギリギリ収まるようです。

側面より

瀧井に嫁ぐ際に三枚板の彫刻が追加されています、詳細は後程。

斜め前より

彫刻の追加の他、洗い掛け、肩背棒・彫刻の目玉の交換が行われています。

斜め前より (生野八坂神社宮附地車時代)

破風

急な勾配があり、大阪型地車特有の破風です。
このタイプの破風は今ある大阪市内の地車は殆ど交換・新調されてしまっていますので、現役で見れるものは貴重です。

大熊こと永田熊次郎が手掛けた地車の破風。
蓑甲の入り方や茨の雰囲気など、形状は近い気がしますが、瀧井地車の方には桁隠しや裏甲がなく、破風尻の形状が異なります。

鬼板

上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方: 『獅子噛』
小屋根: 『獅子噛』

大屋根前方の獅子噛は彫清一門の作です。
小屋根の獅子噛は元々この地車についていたものではありません。
オリジナルはどこに行ったかと言うと・・・

生野八坂神社の現地車の小屋根に移設されています。

懸魚

大屋根前方:『鶴』

オリジナルではありません。

小屋根:『鷲』

少し顔の雰囲気は異なりますが、構図は猪飼野地車等と似ています。

柱・桁

仕口は大阪型ではよくある枡組を介さない直結タイプ。

木鼻

上が右面、下が左面
木鼻:『阿吽の唐獅子・獏』

胴の前の部分のみ彫刻されており、全部で10体あります。
少し面白いことに、左面大屋根前方以外の獏は鞘耳になっています。車板の彫刻師とはまた別か?

車板

大屋根:『青龍』

車内:『鶴』

小屋根:『雌雄獅子』

側面車板

右面
上から
大屋根側:『牡丹に唐獅子』
小屋根側:『牡丹に唐獅子』

大屋根側には岩に隠れた唐獅子がいます。
彫清一門の作品に見られる構図で、彫清一門が関わった北河内型でも見ることができます。

左面
上から
大屋根側:『牡丹に唐獅子』
小屋根側:『牡丹に唐獅子』

花台

この地車は瀧井に嫁ぐ際に、解体された八雲南先代地車の三枚板を組み込みました。
そして、交換として元々この地車についていた花台が八雲南の現地車に取り付けられています。

こちらの写真は2019年5月時点の八雲南地車です。

花台:『猩々』

三枚板

正面:『後藤又兵衛の勇姿』

こちらが今回組み込まれた八雲南先代地車の三枚板です。
地車彫刻のトレードは稀にあることですが、記録しておかないと本当に分からなくなります。

右面:『加藤清正』

左面:『豊臣秀吉』

三枚板の彫刻は彫又一門のようです。

勾欄・縁葛

彫刻はありません。
しかし、縁葛が井桁組になっているのが製作大工との絡みで気になるところ。

土呂幕

後方:『武者』

この彫刻も瀧井に嫁いだ際に取り付けられたものです。
会長様に伺ったところ、インターネットオークションで手に入れたもののようです。
恐らく元も地車についていたものかと。

右面:『武者』

左面:『武者』

こちらの彫刻は生野八坂神社地車時代に既に存在していたものです。

寸法等全くあっていませんので、後付けであることは間違いありません。
古い映像からの判断になり、ヒアリングは出来ていませんが、彩色や武者のポージングの一部が同じであることが確認できましたので、元・富田林市伏山地車(現在の大阪市鼻川地車)の板勾欄だった部材で間違いないと思われます。

鼻川地車は平成13年の購入(購入時に擬宝珠勾欄化改造)、生野八坂神社地車は平成16年の購入なので、パーツが流用されていたとしても、時期的に不自然ではありません。

台木

右面

左面

この部分も箱金物の文字が変わったのみで、その他は生野八坂神社地車時代から手が加えられていません。

金具

①破風中央:『唐草模様』
②大屋根前方破風傾斜部:『五瓜に唐花紋・鳳凰』 偶然にも生野八坂神社とお祀りしている神様が同じなので、紋の金具はそのままです。
③破風尻:『唐草模様』
④大屋根後方破風傾斜部:『左三つ巴紋』
⑤垂木先:『己』の文字?
⑥勾欄親柱・縁葛:『唐草模様』
⑦宝:『菊・唐獅子』
⑧肩背棒先・台木先:『瀧井の文字』

いかがでしたでしょうか。

生野八坂神社はこの地車で祭礼を復活させたため、思い入れがあったのでしょう・・・涙ながらにこの地車を見送ってくださった方もいたと瀧井の方から伺いました。
しかし、再び元気に街中を曳行されているこの地車はとても輝いて見えました。

今年の守口市だんじり祭りで見逃してしまった方は是非また秋祭りや、来年の守口市だんじり祭りでも注目して見てみてくださいね。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です