
皆様こんにちは。
お盆スペシャル?ではありませんが、連続投稿です。
大官町の記事を書くついでに、過去に撮影した尼崎の地車の写真を見返していると、面白いことに気が付きました。 この地車…元・板勾欄型です!
数年前に撮影した時は特に何も考えずにいたので、上手く撮れていないのが悔やまれますが、何とか編集して記事化にこぎつけました。
今年の貴布禰の祭礼はもう終わってしまいましたので、見直すならまた来年でしょうか?(来年の祭礼日が上手く休日に重なってくれると良いのですが…)是非もう一度見たい一台です。
それではご覧ください。
尼崎市貴布禰神社 御園町地車 ◆地域詳細 宮入:貴布禰神社 小屋所在時:神社境内 ◆地車詳細 形式:擬宝珠勾欄堺型 (元・板勾欄堺型) 製作年:1889年 (明治22年) 購入年:1994年 (平成6年) 大工:【萬源】木村源平 彫刻:【彫又】西岡弥三郎 改修大工:植山工務店 改修彫刻:【醒ヶ井】井尻翠雲 歴史:寝屋川市打上下(出屋敷)→泉大津市北曽根(明治43年)→尼崎市御園町 製作年と歴史について 参考)山車・だんじり悉皆調査 http://www5a.biglobe.ne.jp/~iwanee/
姿見

左が前方、右が後方。
一見すると折衷型にも見えますが、実は元・板勾欄出人形堺型地車です。
北曽根時代…恐らく昭和末期に植山工務店に入場し、大改修が行われています。
類似する改修を受けた地車として羽曳野市鍛冶町の地車があります。

側面より
土呂幕部に8本柱がある堺型です。
尼崎仕様の長い肩背棒・径の大きな駒に履き替えた以外は、北曽根時代と大きく姿を変えていません。

斜め前より
製作年・新調した町が明らかとなっていることから、改修時に棟からはっきりと銘が出てきていると思われます。
肩背棒より上側においてかなり多くの部品を交換していますので、もしかしたら北曽根地区では元の彫刻を多数所有されているのではないでしょうか?(小屋・会館に足を運んだことがないので、よく分かりませんが…)
破風

植山工務店ならではの角ばった形状をしています。
鬼板

上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』
元は西岡弥三郎師の作品だったと思われますが、改修で井尻翠雲師の作品に交換されています。
羽曳野市鍛冶町地車もよく似た表情をしています。他には堺市新在家地車の小屋根、堺市野代地車の大屋根後方・小屋根等…
懸魚

大屋根前方
懸魚:『鳳凰』
桁隠し:『飛竜』

小屋根
懸魚:『猿に鷲』
桁隠し:『麒麟』
車板(妻側)

前方:『宝珠を掴む青龍』
三段のような細工が施された台輪・大きな車板の彫刻等、石坂地車にかなり似ています。 彫刻の前に飾りがあるためはっきりとは分かりにくいですが、構図もかなり近いように感じます。 画像参照→石坂地車の車板

小屋根:『瓢箪から駒』
車板(平側)

右面
大屋根側:『龍』
小屋根側:『唐獅子』
私が画像を眺めていて真っ先に「ん、もしかしてこれは萬源?」と思った箇所です。

左面大屋根側:『龍』
小屋根側は上手く撮れていませんでした。
木鼻

木鼻:『唐獅子・力神』
全部で6体あります。彫又の顔で間違いないでしょう。
ついている個数は石坂地車と異なりますが、柱を直接桁に繋ぐ方式・繋ぎ目を力神の彫刻で隠すなど、大工仕事が共通していることが伺えます。 画像参照→石坂地車の木鼻
柱巻き

柱巻き:『力神』
元は龍で、先代地車の彫刻と入れ替えたのでは?とも考えましたが、作風は彫又であり、裏側から見ても元からあった彫刻のようです。 このようなタイプは初めてみました、花台として使えるのでしょうか。
明治22年打上下が新調と明らかになっていますので、堺生まれの地車ではありますが、製作時に北河内方面の仕様に合わせて作られたのかもしれません。
花戸口虹梁

花戸口虹梁:『獅子の子落とし』
上下に長い部材を活かした題材です。
脇障子

脇障子:『合戦譚』
この縦に長い脇障子も萬源ならではの仕様と見て良いのではないのでしょうか? 石坂地車は兜桁がついていますが(オリジナルかは微妙)、萬源の擬宝珠勾欄型にはこのような脇障子がつきます。
三枚板

正面:『加藤清正の勇姿』

右面:『?』

左面:『佐久間玄蕃』
全員馬に乗っています。左面の彫刻はガラス目が残っていて良いですね。
擦出鼻

摺出鼻:『猿に鷲』
2つのパーツから構成されたシンプルでありながらも味わい深い彫刻。 ここからも堺型らしさを感じることができます。
勾欄合・縁葛

前方
勾欄合:『波濤に兎』
縁葛:『忠臣蔵』

後方
勾欄合:『波濤に兎』
縁葛:『忠臣蔵』

右面
勾欄合:『波濤に兎』
縁葛:『忠臣蔵』
左面は上手く撮れず。 こちらは植山工務店で改修時に醒ヶ井彫刻で彫り替えられたものと思われます。
土呂幕

前方:『雲海』
後方:『合戦譚』

右面:『合戦譚』

左面:『合戦譚』
オリジナルの顔・目が多く残っており、大変良いですね。
下勾欄・台木

右面
下勾欄:『合戦譚』
台木:『波濤に鯉』

左面
下勾欄:『合戦譚』
台木:『波濤に鯉』
八角形の親柱がつく下勾欄・下勾欄に人物が彫刻されている等、萬源の板勾欄型の特徴が見られます。
元の上部板勾欄もこのようなデザインだったと思われます。
台木はオリジナルではなく、醒ヶ井彫りで新調されたもの。
いかがでしたでしょうか? 堺で生まれ寝屋川へ行き、約20年で泉大津へ。泉大津では約80年活躍し、現在は尼崎で曳かれている地車。 生まれてから北へ南へ様々なところへ嫁いでいますが、100年の時を超えても生き続けているこの地車は各地で大切にされてきたことが伺えます。 必要な部品は交換しながらも、オリジナルの重大な鍵となるパーツをなるべく残して改修している植山棟梁の仕事にも感激しました。 今後も御園町で大切に曳行されることだろうと思います。 最後までご閲覧いただき、ありがとうございました。