皆様こんにちは。
最近、(工務店での作業を終えて帰町した際の比較用に) 現在工務店にて作業が行われている地車を優先的に紹介していますが、今回は現在大下工務店にて修理中の野里西之町地車を記事にしたいと思います。
野里の祭りは個人的に好きで、大阪の夏祭りの最終日ということもあり日程的に見に行きやすく、数年前までは毎年見に行っていました。
追い合いが有名ですが、後方を担ぎ上げて長時間まわし続ける様や賑やかな宮入、はりげんのお囃子など見所が沢山です。
最近はだんじりin大阪城に中神車と東之町が参加していますが、あちらでの演技は限られた時間内で行われるものですので、興味を持たれた方は是非熱気溢れる本祭を見て頂けたらなと思います。恐らく私と同様にその魅力にはまってしまうこと間違いなしです。
それではご覧ください。
大阪市西淀川区野里住吉神社 野里西之町地車 ◆地車詳細◆ 形式:大阪型 製作年:不明 大工:不明 彫刻:不明 改修年:昭和33年 改修大工:植山工務店 植山義正 改修彫刻:木下舜次郎
姿見
左が前方、右が後方。
野里の地車はどれも大型で背が高いです。
西之町の特徴は何と言っても大きな後方の幕です。野里中之町先代、野里東之町先代(後年改修により三枚板化)も幕式だったようですが、今では西之町だけがこの形式を残しています。
側面より
斜め後より
大型で破風の形状も岸和田由来のものなので、一見折衷型に見えますが、大屋根と小屋根の段差が少ない大阪型です。
破風
昭和33年の改修前は折屋根式だったようですが、改修で大きく姿を変えています。
鬼板
上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』
木下舜次郎師の作品。
箱棟
箱棟:『雲海』
懸魚・桁隠し
大屋根前方
懸魚:『鳳凰』
桁隠し:『宝珠を掴む青龍』
小屋根
懸魚:『猿に鷲』
桁隠し:『飛竜』
枡組
大斗肘木になっており、桁にもしっかりと彫刻が施されています。
車板
上から
大屋根前方:『宝珠を掴む青龍』
小屋根:『牡丹に唐獅子』
木下舜次郎師の龍は泉州の社寺の蛙股でもよく見かけるので馴染みがあります。
下顎が途中でキュッと細くなる様、髭のトゲトゲ感など、特徴があります。
枡合
右面
大屋根側:『漢高祖龍退治?』
小屋根側:『宝の瓢箪?』
左面
大屋根側:『?』
小屋根側:『高砂』
木鼻
上が右面、下が左面
上に唐獅子が乗っているもの、下に牡丹があるものなど様々です。
全部で10体あります。
柱巻き
柱巻き:『昇龍』
祭礼中は幕に隠れて見えませんが、一つの木をくり貫いて作った貴重なもの。
水引幕
水引幕:『珠取り龍』
立派な幕です。
しかし囃子方にとっては大変なようで、夏は熱気との戦いだとも聞きました。
脇障子
脇障子(前方より)
左が右面:『稲村ヶ崎投剣の場』
右が左面:『児島高徳 桜樹に書する』
立体的で、特に左面の桜木に歌を詠む場面は美しいですね。
脇障子(後方より)
後方にも人物がいます。
三枚板(幕式)
正面:『岩見重太郎狒々退治』
地元ならではの題材で、こちらは平成20年に新調された幕です。
野里住吉神社一夜官女の祭(乙女塚)の由来
永徳二年(一三八二年)足利三代将軍義満の創建と伝えられている野里住吉神社境内の片隅にある「瀧の池」の跡地に乙女塚が建てられている。それには悲しい物語りが伝えられている。
中津川に面した村の野里は、打ち続く風水害と悪疫の流行によって悲惨な明け暮れて近隣の村人たちは野里のことを「泣き村」とも呼んでいた。
この村を救う為には、毎年定まった日に一人の子女を神に捧げよとの託宣があり、村を救う一念から村人の総意でこれを実行していた。
人身供養の子女は毎年一月二十日丑三ツ時に唐櫃に入れられて神社に運ばれ放置された。
丁度七年目の行事を準備している時、一人の武士が立寄り、村人からことの詳細を聞き「神は人を救うもので人間を犠牲にすることは神の思召しではない」と乙女の身がわりに唐櫃に自ら入って神社に運ばれた。
翌朝、そこには武士の姿はなく、大きな「狒々」が深手を負い絶命していた。この武士こそ当時、武者修行中の岩見重太郎であると伝えられている。村ではこの後安泰の日々を送るようになった。これを後世に永く伝えるため、同じ形式で同じ一月二十日に村の災除けの祭をして他に例を見ない奇祭が行われ今日に至ったものである。
明治四十年より二月二十日に改められた。
この一夜官女の祭は昭和四十七年三月三十一日付で大阪府文化財保護委員会より重要民俗資料として指定されている。
この地は古戦場としても有名であり亨録四年六月四日、細川常植と細川晴元が中津川で戦った時、常植方の本陣が当社であったという。
現在の野里本通が急中津川の右岸に当り摂津の大物崩という戦がこれである。
転載
野里住吉神社の掲示より
右面
水害と蛇は関係があります。
昔、水害に苦しんだ野里の歴史を表現しているのでしょうか。
左面
狒々は人間の女性をよく襲ったといいます。
以前の義経八艘飛びの幕です。
勾欄合
上が前方、下が後方
勾欄合:『富士の巻狩り』
上が右面、下が左面
勾欄合:『富士の巻狩り』
こちらは木下舜次郎師が彫刻した新しいもののようです。
隅木
隅木:『波濤』
縁葛
前方:『竜宮伝説』
後方:『竜宮伝説』
右面:『竜宮伝説』
左面:『竜宮伝説』
傷みが激しい部分も多いですが、改修前の貴重な彫刻が残っています。
土呂幕
前方:『薄田隼人?』
後方:『?』
平側が源平合戦関係なので妻側も同様かと思いましたが、そうでもなさそうです。
右面:『敦盛呼び戻す熊谷次郎直実』
左面:『巴御前の勇姿』
台木
妻側
台木:『波濤に鯉』
軸が金属製のものに変更された際に、猫木が一つ追加されています。
要所
①提灯:神戸のだんじりの提灯を参考にこの配列をはじめた、と伺いました。
②鳴物:大太鼓・小太鼓・鉦2つ。野里で地車に鉦を2つ積むのは西之町だけです。
③銘板:後方、左側にあります。
④木軸:改修前までは木軸を使っていました。現在も小屋で保管されています。
金具
①破風中央:透かして雲海に宝珠
②破風傾斜部:昇龍
③破風端:唐草模様・橘 橘の紋の由来は何でしょうか?画像を編集している段階で気づいたので町の方に聞きそびれてしまいました。
④垂木先:左三つ巴紋
⑤脇障子兜桁先:『西町』の文字
⑥台木先:『西』の文字と龍
⑦勾欄親柱
いかがでしたでしょうか。 連年足を運んで撮り続けてきた写真を一つの記事にまとめさせて頂きました。 修理を終えてどのような姿で帰ってくるのでしょうか、来年の夏祭りが楽しみですね。 最後までご覧いただき、ありがとうございました。
明治初期製作(どれだけ残ってるか。)というのが正しいでしょうね。
江戸末期製作という説もありますが、そんなことはどうでもいいことです。
毎年野里の祭りには行っております、大好きなだんじり祭りです。