守口市守居神社 土居塞神講地車

皆さんこんにちは。

今回は以前よりずっと書きたいと思いつつ、なかなか筆が進まなかった一台をご紹介します。

土居塞神講の地車は北河内圏では珍しい彫又・西岡弥三郎の彫刻を持つ作品で、豊富な彫刻点数を有していることや、完成度の高さから、かなり高額な費用を投じて製作された地車であることは間違いないと思われる一台です。

過去に改修は受けているようですが、見た目が大きく変わる程手が加えられた形跡はなく、オリジナルの状態をよく残しています。

それではご覧ください。

守口市守居神社 土居塞神講地車

◆地域詳細
宮入:守居神社
小屋所在地:神社境内
歴史:地名は中世の守口城の土居(土塁)にあたることにちなむという。古代の河内国供御江の1つである竹門江に比定される。
明治43年京阪電鉄が開通し、昭和6年滝井駅、昭和7年土居駅が開設された。当地付近は低湿地だったため開発は遅々たるものであったが、第2次世界大戦が終わると住宅地として発展した。

◆地車詳細
形式:大阪型
製作年:不明
購入年:明治8~10年頃
大工:不明
彫刻:【彫又】西岡弥三郎
歴史:
東大阪市鴻池→守口市土居塞神講

参考)
地域の歴史について
角川書店 『角川日本地名大辞典 27 大阪府』
地車購入年・歴史について
『山車だんじり悉皆調査』 http://www5a.biglobe.ne.jp/~iwanee/

姿見

左が前方、右が後方。

オーソドックスな大阪型の姿見ですが、骨格は維持したままで密に彫刻を詰めていることが伺えます。
かなり腰が高い大型の地車です。

側面より。

パッと見では朱塗りの框・勾欄が目立ちますね。

この地車の特徴はとにかく柱に沢山のパーツが取り付けられていることです。
通常では取り付かない大屋根前方の柱にも角障子があり、小屋根後方の柱には平・妻両方に角障子があります。
また、虹梁の持送りも非常に長いものが取り付けられています。
勾欄には外側に均等割で、装飾となる彫刻(金具跡や差込口は未確認だが、雪洞持ちと思われる。)が取り付けられており、珍しいものとなっています。

大屋根前方柱の角障子は守口市高瀬地車、勾欄外側の装飾は東大阪市森河内本郷地車にも見られますが、他の例は存じ上げません。

斜め前より。

明治8~10年頃に東大阪市鴻池村で水害で埋まっていた地車を購入とのことですが、獅子噛の作風は明治14年製作の更池地車とよく似ています。
少し外れますが、8とか10とかの数字が近いのもあり…水害が明治18年の『伊加賀切れ』のことを指していたとすれば時系列的に合いそうなんですが、どうなんでしょう。

破風

丸みのある穏やかな勾配の破風で、桁隠しが取り付きます。

仕口

枡組を介さない、直接接続する仕様です。

鬼板

上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』

どれも肉厚で大変良い表情をしており、個人的にお気に入りの獅子噛の一つです。

先ほども述べましたが松原市更池地車・橋本市市脇先代地車のものと大変よく似ています。
製作年代も近いのではないかと思いますが、どうなんでしょうか。

箱棟

箱棟:『牡丹に唐獅子』

懸魚・桁隠し

大屋根前方
懸魚:『鳳凰』
桁隠し:『鶴』

首が桁隠しに合わせて鶴にされてしまっていますが、身体は鳳凰ですから、鳳凰が正しいでしょう。

小屋根
懸魚:『猿に鷲』
桁隠し:『梅に鶯』

彫又の獣の彫刻は馴染みがありますので、見ていて安心感があります。
背景の松・梅の彫刻も繊細で美しく、欠損もありませんので大変良い作品です。

桁には取り外し可能な装飾が取り付けられています。
製作にあたりお金をかけたであろうと伺える箇所の一つです。

車板

大屋根前方:『宝珠を掴む青龍』

小屋根側を見ていただければ分かりやすいですが、上部から金具を用いて鳳凰を2体飛ばしています。

小屋根:『天乃岩戸』

前板・後板、天照大神は人形として更に奥に配置した3層構成でしょうか、大パノラマの作品になっています。

彫又は奥行きを持たせるような彫刻はあまり得意ではなく、人物だけを出人形として手前に配置することで立体感を出そうと試行錯誤した少々ボテボテな印象の作品が見られます。
しかし、この地車に限ってはそのようなことはなく、三枚板・土呂幕共、背景と人物のバランスが美しく取れた作品となっています。

車板・虹梁

右面大屋根側:『?』

右面小屋根側:『飛龍退治』

左面大屋根側:『大己貴命鷲退治』

左面小屋根側:『素戔嗚尊八岐大蛇退治』

小屋根側は車板の下に三重の切れ込みが入った水平材が取り付くのが、製作大工との絡みで気になるところ。
堺の萬源はこれと同様の仕事を施しますし、直接仕口になっている点も同様です。(河内長野市石坂地車を参照)

更に言ってしまえば、この後記事に登場する花戸口虹梁の形状や直交方向に取り付く角障子も、大阪型と言うより堺型に見られる仕様に近しいと私は感じています。

木鼻

上が右面、下が左面。
木鼻:『阿吽の唐獅子・獏・力神』

唐獅子は斜めを向いていたり舌をだしたり、茶目っ気があります。

飛獅子

飛獅子も比較的厚みのある材料が使われており、片方は珠取りになっています。

花台

花台:『獅子の子落とし』

立派な花台が取り付けられています。

虹梁持送り

前方:『神功皇后 応神天皇併産す』

右面:『源頼政鵺退治』

左面:『桜井の別れ』

退治系に限定している訳ではなく、神話・歴史上の名場面からそれぞれ題材を引用しているようです。

花戸口虹梁

花戸口虹梁:『松に鶴』

虹梁の形状はやはり堺型に近いと感じます。(参考例として広陵町平尾地車)

角障子(前方平側)

角障子(前方平側):『合戦譚』

角障子(前方平側):『合戦譚』

木鼻の下まで続く大きな角障子が特徴あります。
柱を隠すために柱巻きを選ばなかったのは、花台を置く必要であったからでしょうか。

脇障子

脇障子:『合戦譚』

三枚板

正面:『秀吉本陣佐久間の乱入』

お待ちかね三枚板です。
三枚板は三面とも賤ヶ岳の合戦より題材を得ており、正面は定番の秀吉本陣佐久間の乱入ですね。

大きく口を開けて突っ込んでくる佐久間玄蕃、秀吉側は分かりやすく大きな千成瓢箪の纏が彫刻されています。

右面:『福島正則 拝郷五左衛門討取』

左側に小さく『福嶋』と墨書きされていますので、福島正則だとジャッジできます。

左面:『加藤清正 山路将監 組討』

私がこの地車で一番気に入った彫刻です。

組み討つ加藤清正と山路将監。ツツジに引っ掛かった清正の兜の緒が切れ、谷へ落ちてゆく場面が彫刻されています。
ツツジは薄いピンク色で彩色が施されています。

元・貝塚市脇浜地車の土呂幕も彫又一門で同じ題材が彫刻されていますが、場面的には三枚板の方が谷を転げ落ちる表現がしやすかったことでしょう。素晴らしい作品です。

角障子(後方平側)

角障子(後方平側):『合戦譚』

角障子(後方平側):『合戦譚』

角障子(後方妻側)

角障子(後方妻側):『合戦譚』

角障子(後方妻側):『合戦譚』

大阪型なので旗設備が付くことはありません。
その場合、斜め45度後方に角障子を取り付けていることが殆どですが、この地車は贅沢に平側・妻側それぞれに角障子を設けています。

勾欄合・縁葛

前方
勾欄合:『花鳥風月』
縁葛:『合戦譚』

後方
勾欄合:『花鳥風月』
縁葛:『合戦譚』

右面
勾欄合:『花鳥風月』

すみません、左面はきちんと撮影出来ていませんでした。
題材としては同様です。

勾欄の装飾(雪洞持ち?)

右面:『猿』

左面:『猿』

特徴ある部材で、全て猿の彫刻でした。
建築的にはこのような部材も正式名称もありませんので、配置されている間隔と位置からして、雪洞持ちなのだろうと判断しています。

腕木

妻側:『阿吽の唐獅子』

平側:『阿吽の唐獅子』

持送り

前方:『波濤』

右面:『猿』

左面:『猿』

よくある持送りなのですが、貫腕の側面までカバーしている辺りから、拘りを感じます。

土呂幕

前方:『合戦譚』

前方は扉式になっています。

後方:『合戦譚』

土呂幕の彫刻は前板・後板の2枚重ねで背景に奥行きを持たせた作品となっています。

右面大屋根側:『合戦譚』

右面小屋根側:『合戦譚』

左面大屋根側:『合戦譚』

左面小屋根側:『合戦譚』

特にこれと言った題材性は感じませんでした。
下勾欄が無いので、大変見やすいです。

台木

右面:『波濤に鯉』

左面:『波濤に鯉』

右面は前を向いて泳ぐ鯉、左面は後を向いて泳ぐ鯉の彫刻です。
木軸だった頃を思わせる太い芯金が印象的です。

金具

①破風中央部:『雲海に宝珠』
②破風傾斜部:『昇龍』
③破風端部:『波濤』 ここだけ銀メッキが使用されていました。
④垂木先:『左三つ巴紋』
⑤脇障子兜桁:『左三つ巴紋』
⑥勾欄:『二十四孝』 それぞれが異なる二十四孝の題材になっており、大変拘りあるものでした。

『堺彫師 西岡弥三郎 藤原政光』と小屋根車板左下に刻まれています。

いかがでしたでしょうか。

ちょっとマニアックですが、彫又好きにはたまらない作品だったかと思います。

神社の講組織の地車ですので、守口市だんじり祭等のイベントではなかなか見ることが出来ませんが、毎年10/20・21固定で祭礼をされていますので、ご都合の合う方は是非見に行かれてはいかがでしょうか。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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