久々の雑記の更新となります。
今回、仕事の都合で首都圏に来る機会がありましたので、以前からどうしても見たくて仕方が無かった作品を見に行くことにします。
場所は東京都中央区日本橋にある、日本橋三越本店。

やってきました。
三越は日本初の百貨店として、大正3年(2025年時点で計算すると111年前!)に竣工しました。
その後増改築を繰り返し、現在の姿となっています。

国道4号に面したメインエントランス。堂々とした佇まいです。

国指定重要文化財の銘板が取り付けられています。

非日常の世界にいざなわれるように中に入ります。
通常は入ってすぐに目的の像が見えるのですが、イベントコーナーが開かれていましたので、2階へ…

私が見たかったのはこれです!!
周囲のフロアを見て頂ければ分かるかと思いますが、とにかく大きい…
高さ10.9m、重量6.75t、材質は檜で、佐藤玄々師が約10年の歳月をかけて昭和35年に完成させた超大作です。

意外と撮影されている方が多く、私も様々な方面から写真を撮りましたので、ご紹介します。
まずは正面から。

全体に鮮やかな彩色が施されています。

天女様をアップで。
天女様が身に着けている装飾のように硬いものは硬く、羽衣のように柔らかいものはふんわりと表現されており、同じ材質で出来ているとは到底思えない程、質感の対比が素晴らしいです。

上からもじっくり見ていきます。
これは傘でしょうか?傘の周囲に取り付けられた珠すだれをすり抜けるような表現もこれまた凄い…

天女様の上には大きな鳳凰が居ます。

天女様の足元には沢山花が咲いています。

台座の正面には『天女・まごころ』の銘が刻まれています。

少し位置を変えて、天女様と目線を合わせてみます。

凄い迫力…!そして天女様の表情の柔らかいこと。

先端には細かい珠が沢山取り付けられています。

台座は台座でより細かい装飾が施されています。

3階へ上がり、横方向から像を見てみます。
複雑に捻った形状をしています。重量配分とかどうやって設計されているんでしょう…?

真後ろに回ってきました。後ろも凄い!

上部に1つ、ガラスのような素材で宝珠がありました。

沢山の鳥が列をなして飛んでいます。
咥えている植物がよりリアルに”飛んでいる感”を出す効果を与えており、頭から尾の方へなびいている様子はしっかりと飛行していることを表しています。
一羽ずつ彫刻されたものと思われますが、組みつけた時に相当調整したのではないでしょうか。

右は朱雀ですが、こっちは千鳥でしょうか?

下側も像の縁を囲うように飛んでいます。

像付近へ降りてきました。
助で携わられた方の銘の中に、野村正師・十場祐次郎師等、地車彫刻に携わられた方の銘を発見!

神戸でお馴染み、井岡勘治師の銘もありました。

鐵骨(鉄骨)の文字が見えます、調べると基礎は鉄骨で出来ているようです。

真下から見上げると迫力満点です。

正面に回ってきました。

フィクションではありますが、もし実際に天女様が降臨した時に見る角度はこんな感じでしょうか…

天女様が見つめる先には何があるのでしょうか。

像の後ろ側では運よく三越伊勢丹が所有している佐藤玄々師の作品の企画展示が行われていました。
9/30まで開催されているようなので、ご予定が合う方は是非。

こちらは『天花』
天花は天上界に咲く花のことで、天女様が左手に持っているものです。
天女像が完成するまで、試作品や関連する作品が多く作られたそうで、これもその一つとのこと。

彫り抜き加減の凄いこと…木彫で生み出されたとは思えないですね。

素晴らしい曲線美と装飾です。
彩色も鮮やかでありつつも目に優しい風合いで、到底常人には出来ない技ですね。

こちらは『兎』
昭和26年に日本橋三越本店で開催された「伊勢神宮式年遷宮奉賛総合美術展」に出品され、伊勢神宮に奉納されたものと同型と思われる。とのこと。

こちらは『観音像』
背面の刻銘から『兎』と同じ、昭和26年に収蔵されたものと考えられている作品です。
ここまで見て、三越本店を後にしました。
まさか企画展示までやっているとは思わず、すっかり長居してしまいましたが、非常に充実した時間となりました。
天女像は営業時間内であればいつでも見れますので、機会がありましたら是非見学してみてください。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
ご存知かもしれませんが「摂河泉だんぢり談義 地車工匠編」によりますと野村正氏は昭和14年の時点で佐藤玄々氏の助手として活動されていたようです
助手の名簿でも左から2番目に名を連ねているため玄々氏の右腕級と言ってもいい存在だったと思います
また筒井嶺燁(和男)氏も助手として参加していた時期があったようですが途中で抜けられてしまったせいか助手の名前には載っていません「大坂・浪花木彫史」より
時期的に考えるなら昭和20〜30年代とい事もありだんじりの仕事で手一杯という感じだったのかもしれません
昔の資料なのでところどころ間違いがあるかもしれません、失礼しました
匿名さま
コメントありがとうございます。
私は『大坂・浪花木彫史』は持っているのですが、お恥ずかしながら『摂河泉だんぢり談義』は所持しておりません。(今も探し続けているのですが、出会えません…)
ですので、野村正師(一元正師)のお名前や担当された地車のことは多少知っていたのですが、それ以上のことはあまり理解しておらず、今回佐藤玄々師の作品に触れたことで、初めて野村師の経歴等を知ることになりました。
資料が限られていますので難航していますが、まだまだ勉強しなければいけないことが沢山あると実感いたしました。