
皆さんこんにちは。
4月以来久しぶりの更新となります。
何故か5月は筆が進まない時期のようで、昨年も5月は記事を書いていなかったようです。
そうこうしているうちに、高向下町地車が工務店入りしたとの情報が入ってきております。
以前は平成30年に大屋根まわりの修復で工務店入りしていましたので、それから8年経った今回は全体的な修復でしょうか。
戻って来た際に前後変化を確認出来るように、今回も記事化しておきたいと思います。
それではご覧ください。
河内長野市高向神社 高向下町地車
◆地域詳細
宮入:高向神社
小屋所在地:会所に隣接
◆地車詳細
形式:擬宝珠勾欄住吉型
製作年:明治28年/大正14年 (明治28年新調の地車をベースに、銘板・請取帳の記述より大正14年以降に作り替えたと推察。)
大工:住吉大佐11代目 川崎仙之助/12代目 川崎宗吉
彫刻:小松一門
◆歴代高向下町地車
・先々代(初代):明治初期に売却。
・先代(2代目):明治28年に住吉大佐より購入。
・現地車(3代目):町井橋付近にて横転事故のため、大正14年以降に住吉大佐にて作り替えを行う。
参考)
歴代高向下町地車について
『山車・だんじり悉皆調査』 https://www5a.biglobe.ne.jp/~iwanee/
姿見

左が前方、右が後方。
一目見てすぐに住吉大佐製作と分かります。
平成初期に大改修を受けていますが、オリジナルの形状を残した改修が行われていますので、風格が損なわれていません。
個人的には高向神社と書かれた全てのぼり旗を取り付けていた頃の記憶が濃いですが、綺麗な紺色の旗になってからもう暫く経つようです。

側面より
高向の地車はいずれも擬宝珠が8つ(片側4つ)で、全面に大きく張り出した勾欄が特徴的です。

斜め前より
高向は氏子地域全てが住吉大佐より地車を購入し、現在も所有し続けている珍しい地域です。
明治28年8月11日に高向中町、明治28年12月15日に高向下町(先代)、明治30年7月9日に高向上町がそれぞれ地車を購入しています。
高向3町いずれも勾欄が前方に張り出した8つ擬宝珠タイプになっているのは、各村で仕様を示し合わせの上、購入しに行ったのではないかと思わされる部分です。(俄をしていたのでしょうか)
他の地域から購入してきた訳ではない、ワンオーナーの地車ばかりですので、当地仕様と言って良いと思います。

斜め後より
明治28年~30年に3町揃って新調した地車ですが、高向下町は後に横転事故を起こしたため、大正14年10月に地車作り替えの見積りを行った記録が住吉大佐の『地車請取帳』に残されています。
現在の地車は銘板に『細工人 住吉區住吉町 大佐』と書かれていることから、大正14年以降に製作されたことが分かり、『地車請取帳』の記録とも一致しています。
銘板が住吉區住吉町表記であることに加え、作り替えと言うことは完全新調したのか?となりますが、恐らく完全新調ではなく、明治28年に新調した地車をベースに作り替え、その時に銘板を付け替えたのではないかと思います。
破風

貴重なオリジナルの破風が残っています。
金具も沢山あり、豪華です。
枡組

標準的な隅行肘木つき2段1手先で組まれています。
鬼板

上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』
大屋根後方の作品は大屋根前方・小屋根のものとは作者が違うようです。
彫又っぽい印象を受けますが、発電機もあり、よく見えないのが残念です。
大正14年(1925)がどのような時代かと言いますと・・・
住吉大佐の川崎宗吉師は63歳、川崎佐太郎師は45歳となっており、間もなく『地車請取帳』の記入が終わる頃となります。
彫又の西岡弥三郎師(1838~没年不詳)は恐らくお亡くなりになっていると思います。
小松一門は9代目小松源助こと岡村平次郎師(1857~1912)は13年前にお亡くなりになっており、10代目小松源助こと美濃村松雲師(1877~1929)は48歳。
赤金由松師は生没年不詳のため年齢不詳ですが、大正~昭和にかけて作品を生み出されていますので、作り替え時にこの地車に関わっている可能性はあります。
明治28年(1895)で言えば
住吉大佐の川崎仙之助師は55歳、川崎宗吉師は33歳となり、丁度宗吉師が家業を継いだ年となっています。
西岡弥三郎師は57歳、岡村平次郎師は30歳、美濃村松雲師は18歳となります。

参考までに、4ヵ月違いで誕生した高向中町。
額の表現、歯の数、鼻の形、指の本数、鬣の巻き数、少し左右非対称な顔つき・・・とても良く似ています。
箱棟

箱棟:『雲海』
懸魚・桁隠し

大屋根前方
懸魚:『鎮西八郎為朝鷲退治』(隠岐次郎左衛門廣有 怪鳥退治?)
桁隠し:『阿吽の龍』
著名な書籍では怪鳥退治と紹介されていますが、作品の雰囲気を見るに鷲退治のような気がします。
また、鎮西八郎ですと前後の懸魚で時代背景も近いものとなりますが、どうでしょうか。
やや鋭い鷲の彫刻から、九代目小松のような印象を受けます。

小屋根
懸魚:『五條大橋の出会い』
桁隠し:『猿』
車板・虹梁

大屋根前方
車板:『青龍』
虹梁:『牡丹に唐獅子』
大佐地車ではお馴染み、手前に少し傾けられた枡合・車板一体型の大きな青龍です。

小屋根
車板:『飛龍退治』
枡合・虹梁

右面大屋根側
枡合:『牡丹に唐獅子』
虹梁:『牡丹に唐獅子』

右面小屋根側
枡合:『牡丹に唐獅子』

左面大屋根側
枡合:『牡丹に唐獅子』
虹梁:『牡丹に唐獅子』

左面小屋根側
枡合:『牡丹に唐獅子』
枡合はいずれも牡丹に唐獅子で統一されていました。
車内枡合・花戸口虹梁

車内枡合:『牡丹に唐獅子』
花戸口虹梁:『牡丹に唐獅子』
木鼻

木鼻:『阿吽に唐獅子』
全身彫刻タイプで、全部で6体います。
脇障子

脇障子:『雄略天皇猪退治・加藤清正虎退治』
やはり古い上地車には退治モノが似合います。格好良くとても好きな作品です。
三枚板

正面:『秀吉本陣佐久間の乱入』
様々な地車に採用されている大人気の題材。
高向下町も一番目立つ正面にこの題材が採用されています。

旗を外している雨天の時に撮影しましたが、左右に出人形を配置しており、立体感を演出しています。
高向中町でも似た試みを確認することが出来、三枚板を柱より奥側に配置することで更に立体感を演出しようとしています。

右面:『毛受勝助討死』

左面:『毛受勝兵衛の勇戦』
三枚板にこの題材となると、羽曳野市西之口地車を思い出します。
西之口地車の記事を見返すと、こちらでも同じ題材であることを書いていました。
西之口地車とは脇障子や角障子の題材も同じで、勾欄の擬宝珠が8つなところも共通していることから、基本設計は西之口地車(ひいては安倉地車や荒牧地車にも)に準じているのだろうと思います。
角障子

角障子:『加藤清正山路将監討取り・堀尾吉晴 天王山奪取』
私が脇障子と共にこの地車で一番気に入った彫刻です。
立体感・躍動感があり、とても良い作品だと思います。
摺出鼻

摺出鼻:『牡丹に唐獅子』
旗台

旗台:『力神』
勾欄合・縁葛

前方
勾欄合:『合戦譚』
縁葛:『源平合戦』

後方
勾欄合:『合戦譚』
縁葛:『源平合戦(一ノ谷の鵯越)』 馬を担いでいることから、畠山重忠と分かります。

右面
勾欄合:『合戦譚』
縁葛:『源平合戦(生田森の合戦)』 梅の表現があるので、梶原景時と思われます。

左面
勾欄合:『合戦譚』
縁葛:『源平合戦(屋島の戦い)』 こちらは平景清錣引きが彫刻されています。
縁葛は源平合戦と分かります。
持送り

持送り:『猩々』
土呂幕

前方:『司馬温公の甕割り』

後方:『合戦譚』

右面大屋根側:『合戦譚』

右面小屋根側:『合戦譚』

左面大屋根側:『合戦譚』

左面小屋根側:『合戦譚』
平側の土呂幕は特定の場面を表現したものではなさそうでした。
下勾欄

右面:『波濤に兎』

左面:『波濤に兎』
台木

右面:『波濤』

左面:『波濤』
台木は平成の大改修時にオリジナルを模したものに交換されています。
金具

①破風中央:『雲海に宝珠』
②破風傾斜部:『昇龍』
③破風端部:『唐草模様』
④垂木先:『左三つ巴紋』
⑤脇障子兜桁:『左三つ巴紋』
⑥縁葛:『唐獅子』
⑦肩背棒先:『下』の文字。
⑧曳綱環:『左三つ巴紋』
銘板

『細工人 住吉區住吉町 大佐』と書かれています。
いかがでしたでしょうか。
オリジナルの彫刻や新調当時の風格が各所に残っている素晴らしい作品でした。
画像は令和元年に撮影したものですが、一部目玉等も取れてしまっていますので、今回の工務店入りできちんと修復されるだろうと思います。
綺麗になって戻ってくるのがとても楽しみです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。