東大阪市若江鏡神社 若江東地車

皆さんこんにちは。

今回ご紹介するのは昨年修復を終え、綺麗になって帰ってきた若江東地車を記事にしたいと思います。

この地車は1890年(明治23年)に大鳥郡百舌鳥村大字高田村(現・百舌鳥本町)地車として誕生した作品で、住吉大佐の銘車として名高い一台です。
しかし、何故でしょうか安泰な歴史を持つ銘車はあまり多くなく、この地車も不運と奇跡があって今も私たちの前に存在してくれているようです。

まずは製作してすぐの1896年(明治29年)に堺地車騒動により地車の曳行が禁止され、途端に地車が蔵入り状態となってしまいます。
とは言え、折角力を入れて新調した地車を簡単に手放す訳にもいかなかったのでしょう・・・他村が地車を処分する中、約50年間にわたって大切に保管されることとなります。
しかし、保管されていた地車を襲ったのが1945年(昭和20年)の堺大空襲です。

堺大空襲では百舌鳥本町と目と鼻の先にある堺旧市が大きな被害を受けており、大仙古墳からも焼夷弾が見つかっていることから、戦火がすぐ近くまで迫っていたことが分かります。
その後すぐに日本は終戦を迎えますが、戦後の復興資金のためか?地車を別の地域で活かすべきといった話になったのか?どのような思惑があったかは分かりませんが、戦火を免れたこの地車は1947年(昭和22年)に東大阪市若江東へと嫁ぐことになります。

売却直後の1950年(昭和25年)に発生したジェーン台風により堺市内は再び大きな被害を受けており、1947年(昭和22年)のタイミングで売却されていなければこの地車も水没・倒壊していた可能性があったかもしれません。
そのような歴史背景を辿ってみると、この地車は新調してすぐに蔵入りとなる不運はあったものの、奇跡的に戦火も台風被害も免れて生き続けていることがよく分かると思います。

さて、つい歴史語りが多くなってしまいましたが、いつものように写真と共に地車の各部をご紹介したいと思います。

東大阪市若江鏡神社 若江東地車

◆地域詳細
宮入:若江鏡神社
小屋所在地:神社境内

◆地車詳細
形式:住吉型
製造年:1890年(明治23年)
購入年:1947年(昭和22年)
大工:住吉大佐
彫刻:小松源助・赤銅芳松
歴史:堺市百舌鳥本町→東大阪市若江東

姿見

左が前方、右が後方

吊り下げ町名旗は今回新調されたのでしょうか、よく似合っています。

側面より

この地車の大きな特徴として大屋根下が擬宝珠勾欄、小屋根下が板勾欄になっていることが挙げられます。

前方の円柱、大屋根下が擬宝珠勾欄・小屋根下が板勾欄、勾欄を跨ぐように取り付けられた脇障子。
若江東地車を見ていると、これらの仕様を兼ね備えた河内長野市小塩町(元・堺市新在家濱)の地車を思い出します。

明治23年に住吉大佐が若江東地車を作るにあたり、
①天保時代に製作された堺でも名高い銘車だったであろう現・小塩町(元・堺市新在家濱)地車を参考に製作した。
②施主側が現・小塩町(元・堺市新在家濱)地車をベースに住吉大佐のアレンジを加えた地車を製作するよう要望があった。
どちらの可能性もゼロではないように思えます。

斜め前より

斜め後より

破風

住吉大佐の作品と一目見て分かる、蓑甲に丸みを帯びていない堂々たる風格の破風。
通常であれば取り付けられる桁隠しが無い点も、堺型を意識して作られたのでは?と感じる要因の一つです。

枡組

一手先の組物になっています。
桁に不自然な切れ目と埋めた跡があります。どれもオリジナルの木材のようですが、何かしらあったのでしょう。

鬼板

上から
大屋根前方:『獅子噛』
大屋根後方:『獅子噛』
小屋根:『獅子噛』

三面とも獅子噛で統一されています。
今回の改修で目玉が交換され、かなり表情が活き活きと蘇ったように思いますが、御幣で隠れて良い角度では見れませんでした。

上が改修前の獅子噛、下はよく似た表情をしているであろう羽曳野市西之口地車の獅子噛。

懸魚

大屋根前方:『猿掴む鷲』

懸魚から早速力作揃いで、逞しい猿と鷲です。

大屋根後方:『鷲』

小屋根:『竹に虎』

車板・枡合

大屋根前方
車板:『宝珠を掴む青龍』
虹梁:『雲海』

車板・枡合一体の青龍は住吉大佐定番の仕様です。

大屋根後方
車板:『なし』
枡合:『松』

小屋根:『鍾馗の鬼退治』

私が好きな題材の一つです。転げまわる鬼の姿もあり、非常に豊かな世界観です。

枡合・虹梁

右面大屋根側
枡合:『牡丹に唐獅子』
虹梁:『神功皇后 弓末で岩に字を書く』

右面小屋根側
枡合:『牡丹に唐獅子』

左面大屋根側
枡合:『牡丹に唐獅子』
虹梁:『源義家 勿来の関に和歌を詠ず』

激しく彫り抜かれており、大変細かい彫刻です。

左面小屋根側
枡合:『牡丹に唐獅子』

木鼻

上が右面、下が左面
木鼻:『阿吽の唐獅子』

全身彫刻されており、前方の柱につくものは珠を持っています。

車内虹梁

車内虹梁:『勧進帳』

脇障子

脇障子:『韓信の股くぐり・奏の始皇帝狙う張良』

成形された板の形状を全く感じさせないほど全面彫り抜かれています。欠損もなく、大変素晴らしい作品です。

三枚板

正面:『鵯越の逆落とし』

右面全景

右面:『源義経 梶原景時 逆櫓争い』

左面全景

左面:『熊谷次郎直実勇戦』

角障子

角障子:『武者』

角障子:『武者』

摺出鼻

摺出鼻:『牡丹に唐獅子』

先端の立体的に彫刻された唐獅子は住吉大佐の地車ならではの仕様です。

摺出鼻:『牡丹に唐獅子』

旗台

旗台:『竹に虎』

力神であることが多いですが、竹に虎の題材が用いられています。

勾欄合・板勾欄・縁葛

前方
勾欄合:『富士の巻狩り』
縁葛:『源平合戦』

前方には源頼朝がいます。

後方
板勾欄:『源平合戦』

縁葛:『源平合戦』

右面大屋根側
勾欄合:『富士の巻狩り』
縁葛:『源平合戦』

仁田四郎の猪退治は右面大屋根側に彫刻されています。

右面小屋根側
板勾欄:『源平合戦』
縁葛:『源平合戦』

左面大屋根側
勾欄合:『富士の巻狩り』
縁葛:『源平合戦』

左面小屋根側
板勾欄:『源平合戦』
縁葛:『源平合戦』

小屋根側を板勾欄とするにあたり、出人形がなく、板勾欄に武者・背景とも全て彫刻する仕様が採用されています。
これは最初で類似していると述べた小塩町地車とは異なる仕様で、明治20年代に製作された木村一門の地車(石坂・木戸本郷)や、明治14年に製作された河村新吾の地車(更池)と同じ仕様で、堺で流行していた当時の仕様を汲み取った可能性はゼロではないと考えます。

腕木

腕木:『阿吽の唐獅子』

持送り

前方:『唐子』

左右とも楽器を演奏しています。

前方:『唐子』

後方:『猿』

持送り:『猿』

平側の持送りも通常の住吉型であれば存在しませんが、やはり堺型を意識してか取り付けられています。
堺型ではよく松竹梅の題材が施される箇所です。

土呂幕

前方:『司馬温公の甕割り』

閂の跡があり、完全に堺型の仕様で製作されていることが分かります。
平側土呂幕の少々荒い切り欠きから察するに、オリジナルの状態では現在のように地車をぐるりと囲う肩背棒も存在していなかったと思われます。

現在でも堺型本来の仕様を残している地車はレアケースで、奈良県葛城市の勝根地車以外すぐに思い出せません。
何故、どの堺型でも大切な土呂幕の彫刻を切り欠いてでも囲うタイプの肩背棒を取り付けるようになったのか、疑問に思います。
ほぼ平地の海側の堺市内で活躍していた頃の堺型は本来の仕様で取り回しに困らなかったが、各地に散らばると傾斜地が多く存在し、囲うタイプの肩背棒でなければ操作性があまりにも悪かったから、ということでしょうか。

後方:『源平合戦』

右面大屋根側:『義経八艘跳び』

飛び回る義経は右前にいます。

右面小屋根側:『義経八艘跳び』

それを追いかける平教経は後方。

左面大屋根側:『宇治川の先陣争い』

左面小屋根側:『宇治川の先陣争い』

下勾欄合

右面:『波濤に玄武』

左面:『波濤に玄武』

地覆がそのまま下勾欄の取り付けベースになっています。

台木

右面:『波濤に兎』

左面:『波濤に兎』

台木は後年の改修で作り変えられたものです。

金具

①破風中央:『雲海に宝珠』 黒字で透かしになっているのは前方のみです。
②破風傾斜部:『昇龍』
③破風端部:『唐草模様』
④垂木先:『東』の簡体字。
⑤脇障子兜桁:『水仙紋』 若江鏡神社は左三つ巴紋ですが、関係性は?
⑥勾欄:『唐草模様』
⑦縁葛:『牡丹』
⑧肩背棒先:『東』の簡体字。 改修前は左三つ巴紋でした。
⑨下勾欄:『唐草模様』
⑩曳綱環:『菊紋』

銘板

細工人 住吉郡住吉村 大佐 の文字

いかがでしたでしょうか。

若江のだんじり祭りは日付固定で実施されているので、平日になってしまうことが多く、私もまだ一度しか本祭に訪れたことがありません。また近々本祭を見に行きたいところですね。

若江東の皆様、この度は地車修復おめでとうございます。

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